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平和について考える(2/2)


パレスチナは一筋縄ではいかない

パレスチナとイスラエルの問題はイギリスの二枚舌外交に端を発し、それ以降ずっと続いています。僕の寮にパレスチナから来ている友達が何人もいました。パレスチナはヨルダン川西岸地区とガザ地区に分かれています。同じパレスチナ人であっても、ヨルダン川西岸地区の出身かガザ地区の出身かで帰国できるかが異なります。ヨルダン川西岸地区はまだ帰国することができ、帰国するときはヨルダン経由で帰るのが一般的だそうです。パレスチナ出身の友達はヨルダンの首都・アンマンに立ち寄ってから、ヨルダン川西岸地区に帰っていました。ドイツに戻ってくるときも同様のルートで帰ってきていました。
ガザ地区は一度出ると二度と戻ってくることはできません。母国を離れるとそれっきりになってしまうのです。一度離れてしまうと戻って来られない辛さは計り知れないものです。イスラエルが建国されるまでは、ガザ地区もヨルダン川西岸地区も分断されることなくつながっていましたが、イスラエルとの度重なる戦争で領土を分断されてしまいました。彼らにとってイスラエルは同胞を殺め、母国を分断した憎い敵です。しかし、彼らがそう思い込んでいるのはハマスによる洗脳であり、反感を植え付けることで次世代のハマスの構成員、すなわちテロリストを養成するのです。イスラエルへの反感を煽ることはパレスチナの平和のためではなく、ハマスが一番得をする構図になっています。
パレスチナ人はハマスが彼らの代表であるとは思っていないようで、ハマスはパレスチナのためにイスラエルと戦っているのではなく、自らの利益のために戦い、その途中でパレスチナ人が邪魔となれば排除することも厭いません。イスラエルを攻撃したのはハマスであって、パレスチナ人を代表する人間で組織された部隊ではありません。ハマスはテロ組織であり、非常に危険な存在です。イスラエルはパレスチナと戦っているのではなく、ハマスというテロリストであり、パレスチナ人を虐殺しているのではなく、ハマスの拠点を狙っているのです。ハマスは人間の盾という戦法を使い、自らのために一般のパレスチナ人を盾にします。そんなハマスがパレスチナの代表であるわけがありません。特に今回の問題はパレスチナとイスラエルの問題ではなく、イスラエルとテロ組織という構図になり、テロ撲滅は国際社会の大きな目標であるため、ここで屈してはいけません。パレスチナ問題はガザ地区からハマスのようなテロリストがいなくなってから、イスラエルと交渉することになるのではないかと思います。
これまで僕もパレスチナ問題を誤解していましたが、パレスチナ問題はテロ問題であり、歴史問題と一緒に考えるべきではないと思うようになりました。
 

考えされられた平和の意味

チュニジアとシリアは「アラブの春」での両方の結果を示していると思います。チュニジアでは民主化運動に成功し、政情不安に陥っていません。それに対して、シリアはいまだに決着がついていませんし、途中、ISも加わり三つ巴の抗争になっていました。このような現状を見ると、戦争の悲惨さというものをまじまじと見せつけられます。戦争をしないに越したことはありませんが、いつ何時、誰かによって巻き込まれるかわからない状況であるのも確かです。
日本にいると、戦争は遠い昔のことで、今は活動家が戦争反対や9条改正反対と言って活動をしています。理想論としては、それがいいと思います。しかし、いまだに世界では戦争が起こっています。力をもって、力で制する世界です。このような状態で、武器を捨てて、真の平和は訪れるでしょうか?おそらく、丸腰になれば、攻め入るスキを相手に与えるだけになってしまうだけです。
国際社会ではやはり力がものを言います。つまり、力を持ったまともな国もあれば、力はあるがまともでない国も存在するサバイバルの世界です。サバイバルをするうえで必要なものは武器です。ジャングルの中で、猛獣に襲われそうになった時に話し合いで解決しようとする人はいないはずです。おそらく、手持ちの道具で使えそうなものを猛獣退治に使うか、相手の気をそらしている間に逃げるかをするはずです。そのまま、立ちすくんで死を選ぶ人は少ないはずです。武力を持つことがいいか、悪いかを別にして、国際社会というジャングルでサバイバル生活を生き抜くためには必要なことだと思います。武器を持たずに平和を実現する理想論だけで国際社会で生きていくことができません。国際政治の世界では、国内政治のように誰かが統一する人がいません。アメリカが世界のリーダーとなっていますが、それも事実上そうなっているだけであって、正式に決まっている物ではありません。もっと、言えば力さえあれば、トップになれます。猿山と同じ構造です。
ヨルダンの首都・アンマンの上空を一日数回はヨルダン軍の戦闘機が飛んでいました。戦争の多いの地域でも、もちろん戦争をしたくないと思っています。だからと言って、戦争をしないために武器を捨てるという考えは全くなく、自分たちを守るために武器があり、それを捨てることは座して死を待つ状態になってしまいます。いつ自分たちが戦争に巻き込まれるかわからない状態にいると自分たちを守るために武器を持たなければならないと思っているようです。武器のない平和な世界が実現するのが一番いいですが、その道のりは遠く、今の時点で武器を捨ててしまうと近隣の荒くれ者に丸腰になっていることを宣言し、攻め入るスキを与えてしまうことになります。目標としての武器のない世界の実現はいいですが、現状でそれをすると非常に危険だと思います。理想論だけが先行していることが多いですが、理想と現実を分けて考え、現状ではどのような対応をしないといけないかを考えることが平和への近道ではないでしょうか?理想論を実現するためのステップは飛ばしてはいけません。


最後に

平和や民主化といった言葉はよく耳にすると思います。しかし、理想を掲げるがあまり、逆の結果を招いてしまうことは歴史的に見ても多々あります。理想では戦争ない世界になることが望ましいということは分かっています。しかし、今でも世界中で戦争は起こっていて、特に中東ではシリアやイエメンでは内戦がずっと続いています。悲しいことにこれからも戦争はなくならないと思います。その理由は簡単です。資源は有限、人間の欲は無限だからです。尽きることのない欲を求め、限られた資源を取り合うのです。資源という椅子を取る、いわば取りゲームのような状態です。ただ、椅子取りゲームと違うのは椅子取りゲームにはルールがありますが、国際社会では一度外れたから戻ってはいけないというルールはなく、報復などよくが起こってしまう点です。国際社会でのルールは必要ですが、違反に対する制裁は非常に弱く不完全な点が多いため、破られることは珍しくありません。このような現状で、理想論を実現することは非常に難しいです。理想と現実にはあるギャップをしっかり知る必要があり、理想論者は都合のいいような解釈をせず、現実的な視点で物事を見る必要があると感じます。現状での平和は、現時点で必要なことをしっかり準備していることだと思います。

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