小説『雨上がりの虹』第一章(愁視点)ー下ー

【9】

 数時間かそこらが経った頃合いだろうか。 

 空の色は青みが増し、藍色の空に橙色の雲が混じるような時刻になっていた。

 愁たち二人は、さっきと同じ場所にいた。クールダウンに、だいぶ時間を要していた。

 天使野郎、もとい「なぜか羽の生えた元人間野郎」は、蚊の泣くような声で俯いてつぶやいた。

「もっと人間でいたかった」

「……」

愁は、素直に言うなあと思った。そして、肯定した。

「そうなんだろうと思っていた」

「え……?」

 奴は本心から意外だといった風に顔を上げてきょとんとする。憎めないな、と愁は思った。

 愁は説明した。こんなもんだろうという、自分の解釈だ。たぶん当たっている。

「……多分、人生に未練があって、上手く死にきれなくて、こんな地縛霊みたいになってんのかな、とか、すごく思ったけどさ」

「すごい、図星だ」

――ほらな。

「ちょっと意外だった。もっと自分のことで手一杯なのかと思ってた」

 奴は少し微笑む。お前の言いなりにはならねえぞ、と冗談めかして示すために愁は少々肩をすくめオーバーに示して言った。

「手一杯だよ」

一呼吸おいて続ける。

「むしろあんたの方が余裕なさすぎだ。俺とお前は違う、そんな基本的なことすらわからないなんて」

 そして愁はもともと行こうとしていた道を歩き出す。天使野郎が怪訝そうな顔で尋ねる。

「……またいくの?」

「ああ、だってあんた、死なせてくれそうな気配ないし」

「そして、また首つるんだ」

「首はつらねえ」

 愁がそういうと、天使野郎が小さく息を呑んだ。少しうれしそうな表情をした。

 お前の言いなりにはならねえぞ、と愁は思った。

「あんたがまた来たら困るから。もっと確実な方法さがす」

 愁は静かに言った。このぐらい牽制しておいたら十分だろう、と。

 しばらく返答はなかった。

 愁は天使野郎の顔はみていなかったが、とはいえ、単に諦めただけだろうと思った。そして、なおもかくさず、懲りもせず、また追ってくるのだろうと信じて疑わなかった。

 その時、後ろから息を吸う音がした。

 そして。

 聞き慣れた声が聞こえた。

「そんなに死にたければ死なせてやるよ! この書類にサインしろ。そうすれば死ねる」

 今までとは違う大声だった。

 愁は戸惑った。

「マジ……?」

 愁は急な変化に驚いて顔を上げ、奴を見やると、奴は険しい顔をして頷いた。

 奴は頑なに書類を引っ込めようとしない。その頑なな態度に、愁は諦めて渋々書類を受け取った。

 奴は書類を渡すと、くるりと振り向いて、音楽番組を流す大型ビジュアルのほうを見ている。

 愁は、サインをしているふりをすることにした。そうしていれば、どこかのタイミングで諦めて引き下がってくれるに違いない。そんなわけないか。

 愁は書類の上でペンを動かしながら落ち着いた表情で言う。

「あんた……本当に音楽好きなんだな」

「……」

 奴は後ろを向いたまま答えない。

「さっきも立ち止まって聴いてた」

「……死ぬのやめた?」

「やめない」

 愁は書類にペンを走らせた。インクは出さない。あくまでも、ふり、だ。

 天使野郎も無視を続ける。

 大型ビジュアルに映し出されるコンテンツが入れ替わった。

 どうやら新規バンドのランキングのようだ。

 こころなしか、天使野郎が真剣に見入ったような気がした。奴はこういうのに興味があるのか。

 愁が様子を見ていると、何番目かの切り替えの後、天使野郎が息を呑んだのが聞こえた。

 その意外な様子に、愁は顔を上げて様子を見る。

「どうした?」

「……君には関係ない」

 いつになく冷たい響きだった。お前は仲間ではない、というような。

 思い直したのか、天使野郎は言い直した。

「……いや、冥土の土産ぐらいにはなる話かな」

 彼は静かに言った。

「昔ある所に、南川春樹くん 通称ハル、というバンドマンがいました」

 大型ディスプレイの番組は相変わらずさっきと同じ曲を流している。


【10】

 ハル、と名乗る天使野郎は語った。

 その日はメジャーデビュー第一弾、リリースしたファースト楽曲のレコーディングを終えた日だった。

 メジャーデビューのレコーディングを追え、意気揚々と帰り道を歩いていたその日、彼は交通事故にあった。

 ハルは浮かれていた。ハルはバンドのギターボーカルで、バンドの8割の曲はハルが作詞作曲したものだった。そんな自分の曲が、今日をめどに、メジャーシーンにでる、そう思うと、普段はおちついてあまり感情を大っぴらにしないハルでも、それなりにその日はうかれていた。

 その時の記憶は曖昧だった。口笛を吹きながらよそ見して横断歩道を渡っていたら大きなトラックに遭遇したほかは、記憶らしい記憶は思いあたらないまま、ふと意識を失い、気づいたら彼は見知らぬ場所にいた。

 真っ暗闇の世界だった。そして、暗闇の中、きらきら瞬く儚げな灯篭のような光。

 ハルは息を呑んだ。ただただ茫然としていた。少し後、自分を取り戻してギターケースのストラップを握りなおそうとすると、あるはずのナイロンストラップの生地の感触が手に伝わらないことに気づいた。ふと見やるとギターケースを彼は持っていないことに気づいた。

「何が……」

 しずかにあたりを見渡すと、暗闇の向こう、水平線がわずかに波打ち、その水平線の向こうの遠くから何かがやってくる気配があることに気づく。

 息を呑んだ。舟だった。

 水平線が、今度ははっきり水のように波打っていた。

 舟の上には白い人……いや、『ひとのようなもの』だ――が載って、ゆったりと櫂を漕いで近づいてくる。

とうとうハルの目の前まで人影はやってきた。

 遠近感が鈍ってよくわからなかったものの、目の前に近づいてくると、その人影は、とても大きいことがわかった。

 あるところで舟は止まった。人影が中から降りてくる。目の前にやってきてなお、白くうすぼんやり光る人影のディテールははっきりしない。

 舟から、少なく見積もって三メートルはある馬鹿でかい人影が、ハルの前に立った。

 ハルは、驚きつつ、「あの、ここはどこですか」と懸命に会話を試みる、のどがどうにかこうにかしてしまっていて、かすれた声しかでない。

 白い人影は口も開けずに言った。

「死ダ」

 えっ…と声にならない声でハルが小さく言う。

「サア、オイデ」

 と、無機質な声がこだまするようにハルの脳髄に鳴り響いた。

「えっ、死」

「大丈夫、こわくない」

「死んだ?」

「シンダ」

「ムコウ いたくない こわくない やさしい」

 無機質な声がこだまするようにハルの脳髄に鳴り響く。

「明ルイ」

 ハルは割り込むように、そして半ば懇願するように、どうにか、『一番重要なこと』を振り絞るように訊いた。

「音楽は?」

一呼吸間があった。

「ナイ」

 断罪の瞬間だ。

「っ……」

 ハルは俯いた。ハルにとって音楽はとても大事な、「人生を賭すにあたる」ものであった。

 次の瞬間、ハルの身体は恐れや、人ならざる者への畏怖を忘れた。

 ハルは白い人影の透明な腕を振り切った。

 身体が本人が自覚するまでもなく動く。そして、走り出す。真っ暗闇の中を、影の前から必死に逃げ去る方向へ、遠く遠くへと全速力で走っていった。

 ふりきってからというもの、白い影は微動だにせず追ってこなかった。でも、ハルは走る速度を緩めなかった。ここで走るものを辞めたら捕まえられてしまう予感がしたからだ。

 予感は当たった、白い人影自身は追ってこないものの、その腕が急に伸び、飛ぶようなスピードでハルの後ろから追ってきた。

 全速力でも、間に合わない。

 もう、捕まえられてしまう。

 ここまでか。とうっすら思ったその時、急に目の前の世界が変わった。

 また、その際、白い腕が空を切る音が止んだ気がした。

 真っ暗でひかりといえばちらちらする灯りしかなかった場所から、一歩踏み出すとそこはなじみの草原が広がり、景色がひらけた。空は青く、そして頭上には見慣れた赤い鳥居、そして前方には同じように赤い和風建築がみえた。

 鳥の声などは聞こえないものの、見慣れた世界に束の間安堵し、ハルは静かに立ち止まった。そして後ろを振り向く。

 もう白い人影は追ってこない。

 どうやら、振り切ったらしい。

 ハルは、安堵の息を漏らした。そして、前方の境内の大きな赤い建造物を見やった。

「……」

 ハルは息を呑んだ。目の前の赤い自社風の建造物には無数の白い紙が貼りつけてあり、その中の一枚には黒い筆で何かが書いてあるようだった。彼は、恐る恐る近づいて、その一枚をめくった。それは日本語だった。

『地上への使者を求む』

 読みやすい文字でそういう風に書いてあった。ハルは、その建物を見上げると、目をつぶってこくりと一回頷き、和風の赤い寺社風の建物内に入っていった。

【11】

 中に入ると、ハルは、人ならざる者に会った。部屋の奥は暗く、はっきりは判別できなかったが、黒い影のようなものが奥の間に座っていた。まるで、机に向かっている事務員のように感じられた。

 「彼」は、先ほどの白い大きな人影のようなものとは違い、ずっと、普通の人間に近い者だった。かたちがよくわからないことを除いては。

 彼は日本語を流暢に話したし、意志の疎通もハルが今まで身につけた通りのスタイルで十二分に可能だった。ハルは、「彼」と、契約書のようなものも交わしさえした。ビジネス程度以上の感情があるのかどうかはわからなかったが、それは人間どうしでも同じだと思い直し、あまり気にしないことにした。

 ともかくも、ハルは、「人ならざる存在」でも、「亡くなって肉体を離れた人の魂そのもの」でもない、少し変わった存在になった。そして、使者としての仕事を受け持つことによって、実質的に、死=川の向こうのどこかへ行くこと、を逃れることが出来たのだ。

 永久に河の向こうへ渡らなくともいいし、音楽と共にあっていい。割り振られた「仕事」をきちんと遂行する限りでは。


【12】

 そうして、ただの人間だった南川春樹ことハルは、天使風の羽が生えてそれらしい容姿になった。

 とはいっても、彼自体に大きな羽根以外はとりわけ目立った変化はなかった。

 仕事がいいわたされた。亡くなった死者の魂を例の「きらきらした草原地帯」につれてゆき、河の向こうへ連れていくという仕事。ハルはその先に何があるか知らない。

 ハルが知っているのは、この仕事をやっているうち、つまりハルが使者として勤めを全うしているうちは、ハルはあの河の向こうへ渡ることを免除される、ということだ。

 だからまあ、河の向こうに何があるかは知らないままでいいのだと思う、とハルは語った。

 ハルはある日の仕事を語った。

 仕事の頻度はおおむね一日一回、多くて一日二回だ。それ以外の自由時間は何をしていてもいい。

「暇が多くていいな……。と思うだろ?」

 とはいえ、彼が相対するのは死者の魂だ。気を使うし、高齢で家族に見送られ安らかに大往生なんて、なかなか珍しいぐらいだ。横にある死体は往々にして、その…グロい。

「あいつわかっていやがる」と、ハルは言った。

「あいつって…?」愁は聞き返す。

「上司、にあたる人、かな、いや、人というのは適切な言い方ではないかもしれない。ともかく、人に指示を出す上役でさ」

「慣れないうちは、病院の一室で家族に見守られてしずかに眠る高齢の老人案件を任されて、そのうち慣れてきたら、若い人、事故死、急死、入水自殺…なんでもありだ、どんどんひどい有様の案件を任せてくるんだ。

 ハルはいう。

「つまり、その人の死が、「安らかで幸せな眠り」だったのか、そうじゃないのか、上はきっちり優劣をつけているってことさ」

 愁はハルが何を言おうとしているのかがはっきりくみ取れず、ちょっとぼんやりとした表情をした。

「それは……その……まずいことなのか?」

「まずかないけど。でも、人ならざる神みたいな存在がさ、一人一人の人間の人生のあり方とか、死にざまについて事細かに評定を下しているの、それ知ったらちょっとぞっとしないか? それも、大体の評価基準が人間の当り前に感じるそれ、と一致してるなんてさ」

 ハルはペラペラしゃべる。

 えっ、上司って神なの? と愁は口を開きかけて、ふと、ハルの背中の羽が視界に入り、それはそうか……と言葉を飲み込んだ。これ以上の深入りはよしておこう。互いのためにならなそうだ。

「それ、その仕事について、長いのか?」

「ああ、二年。だから最近酷い案件を任されるんだよ」

 ハルは愚痴った。

 さいきん任されたのは幼児の案件でさ。連続殺人犯の。一時期ニュースの新聞欄にも乗ったやつ、と添えた。

 個人的にキツかった。とハルは言った。血が出てる、女の子で。自分が殺されたことも死んだことも幼すぎてわからないんだよね。だから、俺が抱きかかえて空の上に連れていくと、ただただ飛べることが楽しそうだったな。何もわからないからさ。

 まあ俺も実のところ河の向こうがどうなっているかはわからないんだけどさ、とハルは添えていった。

 愁はわかってみたいか? とハルに問いかけられて、愁は少し戸惑った。そういわれると、俺も同じく深入りせず知らないままでまだいいのかな、という気になった。

 あと、この身体になって、精神が病んでくるとそれが連動して羽根が黒くなるのだと、ハルはいった。否応がなしに感情が外に出てしまうというのは、まあ、考えようによってはコンディション管理がしやすいというメリットがあるともいえなくはないな、とハルは笑った。

 ハルはそうやってキツイ仕事に当たった後は、なるべく音楽と触れる所に向かうことにしているといった。

 都会はいいところさ。どこ行っても音楽がありふれているからな。

 ライブハウスや路上パフォーマンスでほぼ毎日どこかしらミュージシャンの渾身のパフォーマンスがあるし、ああいうのをちらっと眼にすると、ああ頑張って生きているんだなという気がするんだ。

 だけどな、本当にきついときは、そういう生身の熱気ですらきつくなる。そういうときは、ラジオとか、ムービーとか、録音や映像で編集されたものを見にいくことが多い。

 良い時代だよな。録音媒体。

 ハルは何ヶ所か観に行くスポットを決めているという。原宿、新宿、渋谷、そして秋葉原、北千住の電光掲示板の前。ルーチンのように慣れ親しんだ場所に、ふらふらと死にぞこないのゾンビのような足で赴くのだという。

 そうやって正気を保っている、ハルはそういわなかったが愁はそういうことなんだろうなと思った。

 「とくにさ」ハルはいった。「音楽のレコードランキングチャートのダイジェスト映像を定期的に流している大型ビジョンがあるんだけどさ。「俺の、だったバンドがそのチャートに初めてランクインしたのを見たときは、そりゃあ、嬉しかったね」

 ハルは顔も上げずに言う。愁は、目の前の人波と十字路、その向こうからも十分聴こえる大型ビジュアルの喧騒をふと意識した。その場所はここなのだろうか。

「よかったじゃないか」愁は言った。「うまくいっているようで」

「うまく……は、いってるな……」

 苦虫を噛み潰したような声だった。ハルは言った。

「俺が抜けた後のバンドは、どうやったかっていえば、他のメンバーはそのままで、俺がいた部分に専業ボーカルを迎え入れて穴埋め、再結成したんだ。今では人気出ててさ、常にオリコンチャート上位だぜ」

 ハルは嬉しそうな語尾をもった言葉遣いで、そしてちっとも嬉しくないんだろうなという声で言った。後ろを向いていて、愁からは表情が見えない。

「よかったんじゃないのか」

「よかった……うん、俺だってそう思いたい」

 静かな声だった。落ち着いている、というよりは、その中に小さな炎をともしていて、それを外の風圧にさらさまいと、小さなケージにかくまっている感じ。

「俺以外の……一緒にやってたメンバーが活躍しているのを見るのは、そりゃ嬉しいさ。特に大輝」

 愁はハルが言った名前が誰を指すのかはわからなかったが、特に伝えたいわけではないのだろうと思ってあいまいに小さくうなずいておいた。

「あいつらは……いいんだけどさ」

 だとすると新入りボーカルのことだろう、と愁は予想した。

 大型ディスプレイのプランが一通り終わったのか、先ほどの音楽ランキングの映像に切り替わる。

 先ほどハルが反応したバンドの映像になった。

 ハルはじっと画面の方をみている。

 愁はきいた、「あのバンドがそれなのか?」

 ああ、とハルはうなずいた。

 ハルが結成したというバンドの曲が開始した。サビ部分だ。

 意外なことに、「この歌詞どう思う?」 とハルが聞いてきた。愁は少し戸惑ったが、悪くはないんじゃないか……俺は音楽に詳しくないからわからないけど、と付け足しておいた。実のところ、歌詞はよく聞き取れなかったし、聞き取れた部分も恋だの愛だのと歌う平凡なラブソングだな……という印象しか得られなかった。ただそれを今のハルにいっていいのかがよくわからなかった。

 短く、そして小さく息を吐いた。愁が訊いたハルの反応はそれだけだ。

 そして、楽曲はクライマックスの部分、サビの一番印象的な部分に差し掛かった。

 人は頑張ったら幸せになれるとかたぶんそんな感じの歌だったような気がする。

 「愛」「感謝」といった言葉がボーカルによって大きく高らかに叫ばれる。そしてこの部分は愁にもはっきり何を言っているかが聞き取れて印象的だった。愁の対極にある人の考え方だと思った。

「あのさ」ハルは、吐き捨てるように言った。

「俺は、あんな歌詞、書いてない」

 そして、ハルは俯いた。

 その姿は、愁には聴きたくない、でも聴かなければならない。という風に見えた。

「あんな、歌詞、俺のバンドが演るはずがない」

 肩が震えていた。曲は二曲目に入る。今度も明るい曲調だ。

 世界賛歌のようだ、と愁は感じた。そういう、明るく、そしてまた今度も迷いのないまっすぐな明るい愛を歌う曲だ、と感じた。正直俺はきらいじゃないな、と愁は感じた。もちろん今の自分にはふさわしくはないけれど。

 しかしハルの方は打ち震えている。だが落ち着こうとしているのも愁にはわかった。

「いいんだ、わかっている」

 低く、限りなく抑えたトーンの、感情を押し殺そうとした声で、ハルはつづけた。

「よくあることだ。プロデューサーが呼んできた新しいボーカルがメインで取り仕切るようになって、同じ名前をした全く別の音楽性のバンドになること。いいんだよ、それは」

 噛み殺すような声だった。

「でも俺は許さねえ」

ハルは言った。

「あるときからかさ、あいつネタ切れ起こしたんだよ」

 楽曲のアイデアに詰まった新ボーカルは、自ら作曲するのを放棄したのだという。そして、彼は、メジャーシーンにのらない様々な無名アーティストの…そして、生前のハルの楽曲を漁り、構成を、メロを、ギターリフを「拝借」し、そこに、独自解釈による歌詞をつけて、自分のバンドの曲、としてリリースした。

 ハル書いたものは、変な話、あるいみ、「間違ってない」わけで。

 それは売れに売れた。

「周りのメンバーはいたんだろ?」

 愁は訊いた。

「いたけど……」ハルは責めたくはない様子だった。

 ふうん、と愁は受け流すと、大型ビジュアルの方へ視線を遣った。スクリーンに映っている喧騒がサビに差し掛かってきた。元気な曲だ。明るい。

「俺の書いた曲はあんな曲じゃない」

 ハルが吐き捨てた。強い口調だった。その間も、バラードに載せて、ただただまっとうな人生賛歌が流れてくる。

「俺の曲は、あんな、空っぽの、薄っぺらい曲じゃあなかった……!」

 ハルは激昂した。今のハルには、その改変を防ぐ術がない。喧嘩をする権利がない。怒りを表明する権利がない。何をしたところで、相手には一切その怒りと憤りは届かない。

 肩が打ち震えている。

 愁は少し感心した。この状況で、憤りや怒りを感情を持ち続けられるハルに。そして、自分だったら諦めてしまうだろうな、と思うだろうと想像した。

 愁は、このままハルをここにおいておいてもいいことがないと判断した。ここの交差点は原宿だから、確か近くに代々木公園があったはずだ。愁はハルに、一言「行こう」と声をかけ、肩をぐいとひっぱり、彼を静かな公園へと引きずっていった。


【13】

 愁はハルを代々木公園の一角、しずかな池の区画に連れてきて、ベンチに座らせた。

 大分落ち着いたが一人にさせておこうと、愁自身はハルの視界に入らない、少し離れたところに身を落ち着けた。

 そのまま離れたところでぼんやりと休んで、しばらくたった。呼吸音が大分落ち着いてきたようだ。

 ベンチの方から声が聞こえた。

「……さっきは取り乱してごめんな」

「ん、いや」愁は答えた。「熱いなって」

 コミニュケーションが取れようがとれまいが、叫んだところで誰にも相手にされず声も届かない、そして状況は変わるはずがない、そういったことをすべてわかっているのに、それでも、感情を失わず、激昂し、おのれの主張をし続ける熱量のあるハルのエネルギーはすごいな、と愁は思った。

「俺には、そういう熱くなれる対象ってないから」

 ハル自身からするとみっともないとかそういう感じなんだろうけれども、愁からすると少し羨ましさすらあるように思えた。そんな風にまっすぐに自分を主張できる様に、すこし、憧れる。

「俺、思うんだけどさ」

 そういって、愁は立ち上がった。そして、池の方を向く。

 叫んだ。

「何で世の中こんなにクソゲーなんだよ!夢も希望もあったハルは死んで。

 クソの役にもたたねえ俺は生きられて!」

 思いのほかの大声に、愁は自分でも少し驚いた。俺もやればできるのかも、と少しだけ思った。

 ハルの反応はわからない。

 でも、愁は続ける。

 大きく息を吸った。そして、少し演技がかったようにふざけた調子の声で、そして、大真面目に、池の方に向かって中空に語りかける。

「そいつは、ハルという」

「そいつに……!」

 ハルの反応が見えたような、みえなかったような気がした。どちらでも構わない。

「そいつに俺の人生を!俺のライフポイントを!」

 何やってるんだろうな俺は、と愁は思った。池の向こうに神もゲームマスターも居やしないのに。

 それでも続ける。叫び続ける。ゲームだから。ゲームだと、思って。

「……ああ、全部、全部だ! 全部やってくれ!」

 愁は言いきった。池の向こう、そして、いや、どこかにいるだろう誰かさんに伝わったのかと思いつつ、あまりどこかの誰かさんには伝わりすぎてほしくないなとも思いつつ、その場に愁はへたり込んだ。

 誰かが走ってくる足音がした。

 ハルだ。奴は、愁の横へ来るなり、お前の気持ち嬉しい、ありがとうと手短に礼の言葉を述べた。声はいつものあかるい声に戻っていた。

 ハルは愁の横に立って、先ほどの愁と同じように、池の上の中空に向かって真似をして叫ぶ。

「おーい! 聞こえるかーあ。 今もらったライフポイント、愁に全返ししてやってな!」

 こだまが響く。もちろん何の反応もない。

「ついでに攻撃呪文「自分の人生を歩め!」発動な!」

 ハルがゲームらしいセリフで締めくくった。

「てなわけで、さっきのターンは無効」

 と愁の方へ向いていった。

 愁は嬉しかった。もちろん嬉しかったが、顔には出さず、少しいやそうな顔で、「なんだそれ」と言った。愁はまるで「ばかばかしい茶番につき合わされて呆れた」かのようなふりをする。その茶番を始めたのは自分なのに。

「どんな慈善事業ゲームだよ……」

「ははっ」

 もちろん、というか、ハルはそんな愁の態度などお見通しというように意に介さない。

 愁は言った。

「そんなに言うなら生きてやってもいいけどさ」

一呼吸おいた。そして、ゆっくりと、つづけた。

「でも、あんたみたいな奴は、向こうにはいないんだよなあ……」

 本心だ。ハルは今度も笑ってやり過ごすのだろうか、と思ったが、まあそれでもかまわない。

 意外なことに、ハルは愁の言い分に同意した。

「……いない、かもしれないなあ」

「わかってんじゃん」

「だからまー 愁に生きて欲しいってのは、俺のエゴっちゃエゴかな」

「エゴ……」

 その言い回しをハルからされることは意外だった。

「だって、そうだろう? 愁は生き返ったらあの誰も協力してくれない無味乾燥な世界を一人はいつくばってしがみついて何とか生きていかなきゃならない。キツイよな。普通に考えて」

「……まぁ」

「だろ? そして、愁がきつい想いをした反面、俺は「人助けをした」って優越感と幸福感を得るわけだろ? まぁ、そっちのほうが、俺はすっきりするけどさ」

 ハルはそこでいったん言葉を区切った。一呼吸、間があった。そして、ハルが再び口を開いた。

「人助けだと思ってさ、人に親切をさせてあげた経験を味わわせてくれよ、俺に」

「なんだろ……最悪だな……悪魔かよ」

 ふふっ、とハルは笑った。

「おうよ、だって死神なんだぜ?」

「そうだな……」なんか中二病な言葉が大真面目にポンポン出てくるやり取りが、急にばかばかしくなってきた。たぶんハルの方もそうなんだろう。奴は言った。

「この死神にさ、一瞬だけ、人助けさせてくれないか」

「そこまでいうんなら、しょうがないなぁ……」

 わざとらしいまんざらでもない感を付け足して、愁はそう答えた。

 だってお前、俺がどう答えてもそういう方向にもっていくつもりだったろ。

 ハルはふふっと笑った。

 ばかばかしいほどの冗長なやり取りだ。愁は笑ってしまった。ああ、もちろん、ハルもだ。

 そうして、ハルが静かに言った。

「決まりだな」

 そういって、ハルはぐいと利き腕を差し出した。

「ん」

 そういって、愁は奴の腕をぐっとつかんだ。

 握手だ。

 ハルは、腕がしっかりつかまれたことを確認すると、その大天使のように大きな羽を勢いよく羽ばたかせた。

 宗教とかそういうのよくわからないけど、愁は荘厳な気がした。

「行こう」

 ハルが一声かけた。体が宙に浮く。

 大きな翼が一振り空を仰いだ。勢いの良い風の塊が服をはためかせる。

 行きと違って、今回は勢いよく空へ上昇し、上昇気流に乗って滑空した。まさに飛んでいる感じそのものだった。

 生身でジェット機にのるとこんな感じなのだろうか、あるいは、単身でパラグライダーを操縦するとこんな感じなのだろうか、愁には見当もつかなかったが、爽快な気分だった。

 飛行機で飛ぶような勢いで飛んでいく。かなり上昇したころだろうか、愁のポケットからひらりと一枚の紙が舞い落ちた。

 愁は、あっ、しまった、みつかった、と思った。

 愁のポケットから舞い落ちた紙はくるくる、ひらひらと舞う。

 ハルもふりかえってその紙を見た。

「なんだあ」

「真っ白じゃん。安心したあ」

 街の真ん中でそんなに死にたいならサインしろ、と言われたの時の紙だ。

「うるさいな。いちいち口に出して言うなよ」

 愁は言った。ちゃんと照れ隠しができていたのだろうか、自分ではわからない。

 ハルは意に介さず、「ははっ」と流した。

「愁は本当に口に出すのが下手だな」

 その口ぶりは暖かい。

「わかったよわかったよ」

 こいつ、扱いに慣れてやがる。一呼吸おいてテンションをもどしてから愁は口を開いた。

「……じゃあ。……じゃあさ、俺、向こうで何したらいいかな……」

 ハルはすぐには答えなかった。愁は少し驚いて、掴んでいた腕を少しだけ放しそうになった。

「なんだよ……やっぱり、自分で考えろって…」

 愁は少し自信がなくなった。こいつやっぱり最後までご都合主義か。

 そう思った矢先、ハルが口を開いた。

「いや、そうだな……」

 それは愁にとって思いがけない発案だった。

 二人は空をどんどん高く飛んでいく――。


【14】

 窓から朝日が差し込む。

 愁は目を開けた。そして、自分がうつぶせに倒れていることを発見した。

 ここは、愁の部屋だ。何の変哲もないなじみに馴染んだ愁の部屋だ。

 愁は起き上がって周りを見回す。

 何一つ変わっていない。

 一つだけ変わったものを見つけた。

 拙い結びのハングマンズノットも以前と同じようにそこにかかっていた。しかしそれは、重みに耐えきれなかったのか少し緩んでいた。

 おそらく、ずり落ちたのだろう。

 何が?って、たぶん俺が。

 何やってたんだろうなあ…と俺は自分にあきれる。いい夢を見た。まあ、それだけなんだけれど、この死にぞこない野郎が、と笑って声に出してみる。あまりの阿呆くささに笑えた。

 とはいえ、

 奴は、「愁にぜひやって欲しいことがあるんだ」と言っていたが、まあ、まさかな……と思うものの、念のためにパソコンを起動した。

 インターネットにつながっていることを確認し、検索ブラウザを立ち上げる。

 その検索窓に、愁はキーボードで打つ、「アルキオ バンド」 そして、検索窓の横のGOボタンを押し。

 まあ、まさかな。

 気休めだ。

「あった」

 思わず口から言葉が漏れた。

 そこには、昨日、「夢の中で」会話した青年と同じ容姿の――ただ、羽が生えていない――青年がギターをもって写真に映っていた。

 インディーバンドのホームページだ。 ここ2年ほど、更新されていない。

『ハルが』先日言っていたように、ホームページの左の端を、下へスクロールする。

 すると、下の方に、小さなプレーヤーが出てきた。

「小さな灯り.mp3」と表記されたその曲の再生ボタンを、愁は押した。

 音楽が、そして見知った歌声が、パソコンの拙い音響のなかで精一杯叫ぶように流れ出てきた。

 愁はしっかり聴いた。そして、立ち上がった。

「生きよう」

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