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昭和から平成の初め頃は、会社の福祉施設も充実していて、私は入社してすぐに寮に入ることになった。家から通うには、少し会社まで時間がかかった。入寮するか否かの選択を迫られ、私は二つ返事で入寮を決めたのだ。

当時は円高不況からようやく脱してバブルが始まりかけた頃で、会社は会社で、とにかく残業することが多かった。時には会社に泊まってしまったりする。それを人事に見つかってしまったら上司が注意を受ける。つまりは最後は自分が忠告を受けるようになる。だから、遅くなっても、寮にはとりあえず帰るようには、していた。

大量に新入社員が入ってくるようになったこともあってか、寮での規制が大幅に緩くなり、風呂に入れる時間が22時終了から25時終了に変わった。ただ、お湯が出るのは23時まで。そこから先は、湯船のお湯を使って体を洗う。そうなると必然的に、遅く入れば入るほど、湯量は少なくなってくる。


ある日、帰寮が27時を超えてしまった。しかし夏でもあったし、どうしても汗を流したくて、恐る恐る風呂場の扉を開けたら、なんと、開くではないか。しかし開くには開いても、電気はつかない。元電源を寮監が切っているのだ。それでも、

なんで開くんだろう?

不思議に思いつつ、中にゆっくり入る。真っ暗で何も見えない。ゆっくり服を脱いで、音をたてないように気をつけながらタイルを踏みしめ、浴槽まです進む。

案の定、湯は、かなり減っている。夏場はみんながギリギリまで入る。夏でもさすがに水シャワーはきついから、みんな湯船のお湯を使うのだ。だから、ほとんどお湯が残っていない。そんな状態だった。

それでも桶にかき集めて冷めたお湯を入れ、体を洗う。

洗い終えて、私はゆっくりと浴槽に入った。全然体がつからない。完全に寝そべったとして、耳は浸かっても、鼻や目や口は、水面から出ている。そうこうしていると耳に水が入ってきた。

いかん。いかん。

そして腹這いになる。そして首を少し、もたげる。なんなんだろう。この感覚。腹這い風呂か.....。

そう思った瞬間だった。横から、低い声がした。

お疲れ。

一瞬ビクッとしたたが、月明かりに慣れてきた目で見て、私と同じように腹這いになって風呂に浸かっている人影が見えた。

よく見ると、先輩の寮長だった。

あっ、おっ、お疲れっす。

おう。遅いな。

ええ、まあ。

お互い、大変だなぁ。でも、いいなぁ。こんな風呂でも。

あ、はい。

これ、なんて言うか、知ってる?

えっ。これのことですか。

そう。こうやって入る風呂のこと。

さあ。知りません。

ワニ風呂だよ。

私は寮の草野球チームに所属していたので、野球好きの寮長には、可愛がってもらっていた。新入社員ではあったが、その中ではかなりの有名人だった。声もでかい。朝が早い。夜は遅い。廊下を走る。めちゃめちゃ飲む。そして騒ぐ。


その夜は、ゆっくりと2人でワニ風呂につかった。その後も、時々、深夜にワニ風呂に入った。そしてよく、寮長と一緒になった。

あまりにも湯量が少ない時は、寮長はときどき、仰向けになり、

これが潜望鏡だ。

といって自分の○○を持ち上げたりした。

バカじゃないんすか!

そう言いながら、深夜のワニ風呂でクスクス小声で笑い合った。


最後は少し下ネタが入ってしまったが、若かりし頃の、忘れ得ぬ、深夜のひとときの思い出である。今の若者は、もう、こんな激烈かつ緩やかな時代感覚は、会社生活では味わえないのだろうなぁと思う。会社生活において、何が幸せで何が大切なのか。そして価値観は時代というよりもその個人が決めるものだろう。昭和から平成にかけての会社オヤジは、まぁ、多かれ少なかれ、こんなもんだったのだろうと勝手に思っている。



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