2020年 東京都立大学 二次試験 世界史

かっぱの大学入試に挑戦、12本目は首都大学東京改め東京都立大学の世界史。時代は古代・中世・近代・現代。地域はインド・中国・ヨーロッパ。問題形式としては用語記述+論述。簡単な表の読み取りもありました。では、以下私なりの解答と解説。


第1問 仏教の歴史

問1.解答 a:ガウタマ=シッダールタ b:スリランカ(セイロン島) c:鳩摩羅什 d:法顕 e:吐蕃 f:仏国寺 g:シュリーヴィジャヤ h:パガン

解説 仏教史に関わる基本問題。aは仏教を開いた人物ということで、もともとの名前がふさわしいだろう。bは「アショーカ王」「シンハラ人が進出」「上座部仏教が伝わった」から判断。cは「西域出身僧」で「仏図澄」とセットと言えば鳩摩羅什。dは「東晋」の僧で「『仏国記』」を記した法顕。eは「ソンツェン=ガンポが建てた」だけでもわかるが、「チベット仏教が生まれた」というのも重要なポイント。fは「慶州郊外」「新羅の代表的な仏教寺院」で判断。gは「義浄」が「長期滞在した」王国であり、『南海寄帰内法伝』にも記された国。hは「上座部仏教」が広まった「ビルマ」の王朝と言えばパガン朝。

問2.解答 ヒンドゥー教徒のバクティ運動による仏教への攻撃が進む中、8世紀以降、北インドはラージプート時代という抗争の時代となり、陸上交易が打撃を受けて都市の経済活動が衰退し、支持基盤である商人の力が弱まり、仏教は衰亡していった。(109字)

解説 設問の要求は8~13世紀を通じてインドで仏教が衰亡していく理由を説明すること。条件として、政治・社会経済の状況と仏教などに対抗する宗教運動の展開を踏まえることと、「ラージプート時代」「陸上交易」「都市」「バクティ運動」の4つの語句を使用すること。インドにおける仏教衰退を説明する問題であるが、条件が盛りだくさんなわりに字数が少なく、簡潔にまとめるのが難しそうな問題。まずは条件の「対抗する宗教運動の展開」であるが、これは6世紀半ばごろから発生していた、シヴァ神やヴィシュヌ神への熱烈な信仰である「バクティ運動」であろう。バクティ運動は仏教やジャイナ教を攻撃し、仏教が衰退していく要因の一つとなった。一方、政治の状況としては8世紀以降、イスラーム勢力が進出してくると、北インドは「ラージプート時代」と呼ばれるヒンドゥー諸勢力による抗争の時代となったことについて触れると良いだろう。社会経済の状況としては、「陸上交易」の衰退により、「都市」の経済活動が衰え、仏教の支持基盤である商人の力が弱まったことが重要である。

問3.解答 中心思想:菩薩信仰(別解:空の思想) 特徴:従来の仏教は厳しい修行により自身の救済を求めるものだったが、大乗仏教は自身の悟りより人々の救済に重きを置いた。(55字)

解説 設問の要求は大乗仏教の中心思想の名称を記し、特徴を説明すること。条件として、従来の伝統的仏教と比較すること。まず大乗仏教の中心思想といえば思い浮かぶのは菩薩信仰だろう。ただ、大乗仏教を理論化したナーガールジュナが唱えた「空の思想」も大乗仏教の基本思想とも言えよう。その特徴としては、従来の部派仏教が修行による自己の救済を主な目的としていたのに対し、大乗仏教は広く大衆の救済を目指すものであった。

問4.解答 魏晋南北朝時代は分裂と動乱の時代であり、政治と深くかかわる儒学よりも、個人の信仰を説く仏教や道教が漢人に好まれたため。(59字)

解説 設問の要求は魏晋南北朝時代に仏教・道教が人々の心をとらえるようになった理由を説明すること。条件として、魏晋南北朝時代の社会状況と、儒学と仏教・道教それぞれの思想的特徴を踏まえること。というわけで、また条件に比べて字数が少なくまとめるのに苦労する問題。まず設問で「漢人社会の間でも」とあるので、仏教や道教は南北朝いずれでも広まったが、特に漢人に広まった理由を考えると良いだろう。当時の社会状況としては、後漢の滅亡➝三国時代➝晋の統一➝南北朝時代と目まぐるしく状況が変化する、分裂と混乱の時代であった。異民族の侵入により漢人は江南に逃れ、漢代の儒学はその権威を失っていった。儒学と仏教・道教の思想的特徴については、比較してまとめるのが難しいところがあるが、儒学が多分に現実の政治と関わる政治思想であったことに対し、仏教は苦からの人々の救済を、道教は神仙思想や民間思想と融合した現世利益をもたらす思想と捉えることができるのではないだろうか。こうした信仰的側面が儒学と異なり、漢人に好まれたと考えることができよう。


第2問 ヨーロッパの人口移動

問1.解答 両シチリア王国

解説 「北フランスに定住した」ノルマン人の一派が築いた2つの王国(王朝)のうち、12世紀前半に建国された国を問う問題。まず2つの王国(王朝)というのが、イギリスに成立したノルマン朝とイタリアに建国された両シチリア王国のことだと抑えよう。ノルマン朝は1066年のノルマンコンクエストにより始まるので、正解は両シチリア王国となる。

問2.解答 農民は領主に対して直営地を耕作する賦役と自らの保有地の生産物を納める貢納の負担を負った。農民は移住の自由を認められず、結婚や相続の自由も制限される農奴身分であった。しかし中世を通じて商業が発展してくると、農村にも貨幣経済が浸透し、貨幣を蓄えて経済的に力をつけていく農民も出てきた。領主は農民への束縛を改めて強めると、農民一揆が起こるようになり、中小領主の力はますます弱まっていった。(192字)

解説 設問の要求は「農民は保護の見返りとして領主に対して従属を深めた」ことの具体的な内容と、中世を通じた農民と領主の関係の変化を説明すること。条件として、「賦役」「貨幣経済」「農民一揆」「保有地」「移住の自由」の語句を使用すること。いわゆる中世ヨーロッパの封建制の説明である。どこまで説明するかは、指定された語句を確認しながら考えたい。まずは「賦役」「保有地」とあるので、農民の負担である賦役と貢納についての説明が必要だろう。「移住の自由」という語も指定されているので、農民の権利が制限されて農奴身分であったことも具体的に説明できる。こうした農民と領主の関係の変化としては「貨幣経済」という語に注目したい。中世を通じた商業の進展により、農村でも貨幣経済が浸透すると、貨幣を手に入れるために領主は生産物地代に代わって貨幣地代を農民に納めさせるようにしていった。農民の中には生産物を売ったり貨幣地代の残りを蓄えたりして経済的に成長していく者があらわれていった。ペストの流行による人口の減少もあり、農民の地位が上昇していくが、領主の中には封建反動として束縛を強める者も出てくる。しかしこうした領主に対して「農民一揆」が起こされ、領主の力はますます弱まり、農民との力関係が変わっていくのであった。

問3.解答 重量有輪犂、三圃制

解説 「11世紀から14世紀までの間」に確立した農業技術2つということで、中世の代表的な農業と言えば農地を春耕地・秋耕地・休耕地の3つに分けてローテーションを回す三圃制と、牛や馬に引かせて農地を耕す重量有輪犂の登場が重要だろう。

問4.解答 ①フランドル ②カペー朝断絶後、ヴァロワ朝が成立すると、イギリスがフランスの王位継承を主張して百年戦争が起こった。(49字)

解説 ①は職種ごとの構成表から都市を答える問題。しかし②で14世紀から15世紀にかけて2つの国の間で起こった戦争の「争点の1つ」と書かれてしまっているので、表の読み取りが出来なくても答えてしまえる問題。一応、表を見てみると「毛織物工業」の比率が高いので、そこから毛織物業の盛んなフランドル地方を想定できる。この表自体よく見ると、1302年と1338~40年で「金属(武具・鍛冶)・その他手工業一般」の比率が高まっているので、戦争が関わっているのかなぁなど読み取ることもできておもしろい。しかし②の設問の要求は先述の通り、14世紀から15世紀にかけて2つの国の間で起こった戦争の名称とそのきっかけを説明すること。フランドル地方が争点でもあるということで、イギリス国王のエドワード3世がフランスのカペー朝の王位継承を主張して1339年に始めた百年戦争のことである。

問5.解答 ローマ・アヴィニョン

解説 中世ヨーロッパの基本問題。「複数の教皇が並び立つ状況」ということで、教皇のバビロン捕囚後に起こった教会大分裂(大シスマ)のことである。この時、教皇はイタリアのローマと南フランスのアヴィニョンにに並び立って対立したのである。


第3問 19世紀のヨーロッパ文化

問1.解答 a:写実主義 b:自然主義 c:印象派 d:ダーウィン e:進化論 f:リヴィングストン g:アフリカ

解説 近代ヨーロッパ文化の基本問題。aは「現実をありのままに描写」、bは「人間や社会を客観的にとらえ」、cは「光と影の色彩を重視」「マネやルノワールが活躍」、d・eは「『種の起源』」、f・gは「スタンリー」「内陸部の探検」から、それぞれ判断したい。

問2.解答 ドイツはビスマルク体制の下ロシアと再保障条約を締結し、フランスの包囲を強めていた。しかしヴィルヘルム2世が即位すると再保障条約を更新せず世界政策を進め、ロシアはフランスと露仏同盟を結ぶようになった。(99字)

解説 設問の要求は19世紀末にドイツ・フランス・ロシアの間で起こった外交関係の変容を説明すること。「変容」ということで、前と後の様子を比較できると良い。19世紀後半、ドイツはビスマルク時代であり、ロシアとは三帝同盟の締結、同盟解消後は再保障条約を締結し、フランスを国際的孤立状態に追い込んだ。ところが1888年にドイツで皇帝ヴィルヘルム2世が即位すると、ビスマルクと対立し、ビスマルクは失脚。皇帝は再保障条約を更新せず、帝国主義を推し進める「世界政策」を進めた。こうしたドイツの動きに対し、ロシアはフランスからの資本の導入による工業化を進め、露仏同盟を締結してフランスの国際的孤立を解消した。

問3.解答 アメリカはハワイを併合する一方、米西戦争で勝利し、フィリピンやグアム、プエルトリコといった海外植民地を獲得した。戦争後、キューバにプラット条項を押し付けて保護国化した。一方で中国に対しては経済進出に出遅れ、門戸開放宣言を出すことになった。(119字)

解説 設問の要求は1898年にマッキンリー大統領の下で展開された海外膨張策とその帰結を説明すること。「1898年」とあるが、「その帰結」ともあるので、マッキンリー下のアメリカ外交をまとめると良い。まずは1898年にキューバの独立運動に乗じて起きた米西(アメリカ=スペイン)戦争である。アメリカが勝利し、フィリピン・グアム・プエルトリコといったカリブ海や太平洋上のスペイン植民地を獲得した。この戦争の帰結として、キューバにプラット条項を押し詰めて事実上の保護国化を進めた。また、1898年にハワイを併合したことも触れておく良いだろう。さらにこうした太平洋上での動きの帰結として、列強の中国分割に出遅れ、国務長官のジョン=ヘイの下で1899年に門戸開放宣言が出されたことにも触れておきたい。


第4問 現代中国史

問1.解答 a:インドシナ b:平和五原則 c:アジア=アフリカ(バンドン) d:大躍進

解説 戦後アジア史の基本問題。aは「休戦協定を成立させたジュネーヴ会議」、bは「周恩来」が「ネルーとともに」提唱、cは「この翌年」=1955年に「ネルー」らが参加した会議、dは「1958年」「中国独自の社会主義建設を目指す」運動、といったところから判断したい。

問2.解答 積極的中立政策を進め、アスワン=ハイダムの建設を進めるナセルに対し、イギリス・アメリカがエジプトへの経済援助を停止した。これに対してナセルがスエズ運河の国有化を宣言すると、イギリス・フランス・イスラエルがエジプトに軍事行動を起こし、第二次中東戦争が始まった。(129字)

解説 設問の要求はエジプトのナセル大統領在任中に起こった第二次中東戦争(スエズ戦争)の原因を説明すること。大きな要因はナセル大統領によるスエズ運河の国有化宣言であるが、字数的にはその宣言を出すきっかけにも触れた方が良いだろう。ナセルはエジプトの近代化を進めるためにアスワン=ハイダムの建設に着手するが、そのためにソ連に接近。非同盟諸国の一翼として西側とも距離をとるナセルの姿勢はイギリス・アメリカの反発を招き、経済援助が停止される。こうした英米の動きに対し、スエズ運河の国有化を宣言し、結果フランスやイスラエルも加わって第二次中東戦争が起こったのである。

問3.解答 経済政策の名称:改革・開放政策 具体的項目:人民公社の解体・農業生産の請負制(農産物価格の自由化)・外国資本による開放経済(経済特区の設置)

解説 鄧小平の指導下での経済政策の名称と具体的項目を記す問題。具体的項目は3つ上げなければならず、難しい。まず文化大革命後の鄧小平といえば「四つの現代化」がまず思い浮かぶが、ここで問われているのは「経済政策」なので、改革・開放政策とよばれる政策のことだろう。その具体的内容としては、人民公社の解体がまず大きな点であるが、その他に生産責任制とも呼ばれる農業生産の請負制や、経済特区の設置=外資導入といった点も含まれている。

問4.解答 ベトナム戦争が泥沼化しており、国際的な批判も高まる中で、アメリカは戦争終結には中国とソ連の協力が必要と考えた。そこで当時ソ連と対立関係にあった中国と関係を正常化することで、ベトナムとの和平交渉をうまく進めようとしたため。(110字)

解説 設問の要求は鄧小平政権下の中国に対し、アメリカが関係改善を求めた背景を説明すること。アメリカと中国の関係改善といえばニクソン訪中であるが、その背景としてはベトナム戦争が挙げられる。1965年から始まったベトナム戦争は、ソ連・中国の援助を受けた北ベトナムに対しアメリカが軍事介入していったが、アメリカ軍はベトナム解放戦線のゲリラ戦に苦しみ、民間人への被害も多く出し、泥沼化していた。折しも中国は1960年代から中ソ対立が進展し、1969年には国境での軍事衝突も起こっていた。こうした情勢を背景に、ニクソンは中国への歩み寄りを見せ、1972年に訪中、1973年にベトナム和平協定が実現した。


以上で終わり。職種別人口の表から都市を考えさせるのはこれからの共通テストでもありがちなパターンかもしれないですね。おもしろいです。

次回は東京外国語大学の日本史かなー。

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