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『聖の青春』

昨日「病院にいる子供たちに本を読み聞かせたい」という話を聞いて、
走馬灯の様に頭に浮かんだのが『聖の青春』でした。
(これを書くいまも、胸が熱くなる。。)

2017年、この本に出会えてよかったと心の底から感じられた書籍で、
『3月のライオン』にもモチーフが登場しますし、映画化もされています。

主人公 将棋棋士・村山聖

幼少期に「ネフローゼ症候群」という病にかかり、以来ずっと病院の院内学級に通い、時には同じ入院している友達が亡くなる場面も見ていた村山。

そんな苦しい時期・場所で、父親から与えられたものが将棋でした。

子供が夢中になることに親が惜しみなく支援する。この構図は八王子の羽生家と非常によく似ている。
将来何かのためになるとか芸を身につけるとかいうのではなくて、わが子が熱中するから親もできる限りの応援をする、そこにあるのはただそれだけの単純で明快な図式なのである。

以来、朝から晩まで将棋を指し続けるほど没頭した村山は、ぐんぐん実力を伸ばし、A級まで上り詰め、「東の羽生・西の村山」と呼ばれるほどに。

ただ、その後ガンを患い、最後は29歳の若さにして亡くなってしまいました。

村山聖の生き様

彼にとって、闘病生活の中で光を照らしてくれたものが将棋であり、
将棋があったからこそ、病気を受け入れられたのかもしれません。

もし自分が病気でなければ、そう考えることは村山には何の意味もなかった。
病気を抱えながら生きる自分が自分自身であり、それは切り離して考えることはできない。
病気が自分の将棋を強くし、ある意味では自分の人生を豊かなものにしているのだと考えた。


将棋 = 生きることである村山の覇気から、命の火を燃やす様な気迫すら感じます。

将棋の世界に入って僕の考え方は変わった。
すべての考えは勝負に直結し、負ける位なら死を選ぶ、それが僕の世界だった。お金も名誉もいらない。
頂点に立つ事、それだけだ。勝負の世界には、後悔も情けも同情もない。あるのは結果、それしかない。
「奨励会の日はたいてい寝不足です。要するに、奨励会の日はほとんど殺すという気持ちです」


そんな強い思いを汲み取り、師弟関係となった棋士 森信雄との会話も、また胸にくるものがあります。

村山にとって20歳まで生きるということは大きな目標だったのである。
その目標を達成した喜びを誰かに告げたくて、いてもたってもいられずに雀荘にきたのだということを。
そうか、村山君よかったなあ。森は牌を握りながら、弟子に言いそびれた言葉を何度も心の中で呟くのだった。
深酒をしても、麻雀で徹夜をしても森は決して怒らなかった。
それによってしか得ることのできないものがあることを森は知っていたし、そしてそれがどんなに無駄に見えたとしても決してそうではないことも知っていた。
少年時代から入院と対局を繰りかえしてきた村山が、それ以外の人生の広がりを模索することはむしろ、ごく自然なことのように森には思えていたのである。


そんな将棋にすべてをかけていた村山ですが、
生涯ずっと闘病生活を行なっていたため、すべての日々が貴重であり、新鮮でした。

どこまでも純粋なんだろうなぁ...と、彼に思いをはせてしまいます。

「僕……僕」と言って村山は少女のように顔を赤くした。
「僕、今日20歳になったんです」
「ああ、そうか、それで?」
「いえ、ただそれだけです」
「これからはこそこそせんでも酒も麻雀もできるなあ」
「20歳になれて、嬉しいんです。20歳になれるなんて思っていませんでしたから
「僕には夢が二つある。一つは名人になって将棋をやめてのんびりと暮らすこと」
「で、もう一つは?」
「もう一つは素敵な恋をして結婚することです」
と言って村山は恥ずかしそうにうつむいた。

村山聖から学ぶもの

将棋との出会いによって、院内での闘病生活に光を見出し、死と隣り合わせでありながら将棋を指し続けた村山の生き様に、つい目頭が熱くなります。

当人や家族、師である森の苦しさや葛藤は、想像できるものではありませんが、

彼の必死に生きる姿を通じて、改めて背筋が伸びると同時に、

同じ境遇で長く生きられない方々が多いことも事実なので、
そういう人たちに出会ったとき、何かしたい、何かできる自分でありたいと、より強く思う様になりました。

そして、1998年に亡くなり、20年経った今でも、
誰かの心に響く様なものを残す彼の生涯は、つくづく素晴らしいな。

自分の人生に触れた人に、何か感じてもらえる様なものにしていきたいですね

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