別れ(僕が失明するまでの記憶 30)

 転院してちょうど7か月になる10月23日、長く厳しい戦いの幕切れが訪れた。その日の午前、往診に来たM先生が許可を出し、その日のうちに退院することが決まった。3月に入院したときと同様、唐突な決定だった。余韻を味わったり感傷に浸ったりするゆとりは一切なかった。 連絡を受けてやってきた母が慌ただしく手続きを終え、午後2時過ぎには病棟を出る準備が整った。ずっとロッカーにしまっていた外出用の私服に着替え、スニーカーに履き替えると、忘れかけていた自由を取り戻したような気分になった。再び、どこにでも行けるような気がした。 でも、僕はどこにも行けなかった。僕の目は光の明暗こそかろうじて認識できたものの、眼前で振った手の動きをようやく確認できる程度で、それはもはや視力とさえ呼べるものではなかった。 入院生活に一区切りをつけられることには安堵を覚えた。しかし、結局は治らなかったのだ。費やした時間、労力、経済的負担も空しく。

 荷物をまとめ終え、母に手を引かれて病室を出た。ナースステーションで挨拶をすると、そこにいた誰もが退院を祝ってくれた。祝福されることには複雑な思いだったが、何故だか胸が熱くなった。 半年以上もお世話になったので声を聞けばそれが誰であるかを完璧に識別できたが、いくら見渡してみても、僕の大好きなT先生とW先生の姿はなかった。急遽決まった退院で仕方ないとはいえ、関わったすべての人に会えずに別れることには心残りを覚えた。 一しきり挨拶を終えた頃、一人の看護婦さんが駆け寄ってきて、まだ時間はあるかと聞いてきた。「ぜひ会ってほしい人がいるの。来て」 夏、同じ部屋に入院していたIさんが、僕の退院の知らせを聞いてぜひ会いたいと言っているとのことだった。 Iさんは僕の病状がいよいよ悪化した頃に大部屋から個室に移り、それきりになっていた。同じ部屋にいた期間は長かったけれど、その頃ですら言葉を交わしたことがなかったので、会いたいとの申し出に最初は耳を疑ったが、二つ返事で部屋に案内してもらった。きっかけがつかめなかっただけで、本当は僕も一度は話をしたいと思っていたからだ。 ドアをノックして部屋に入ると、Iさんは快活な声で「退院おめでとう」と言ってくれた。長く会っていなかった親友同士が久しぶりに再会を果たしたような温かさと親密さが声から伝わってきた。僕の緊張は一息に溶け、代わりに親しみと敬意が胸いっぱいにこみ上げてきた。僕は確信した。きっとIさんも同じように感じてくれていたのだと。 見えないから状況は分からなかったが、体はベッドから動かせないらしく、いろいろな点滴やら機材やらに取り囲まれている様子だった。 足元のテーブルに置かれたテレビでは日本シリーズの中継が流れていた。リーグ戦で圧倒的な強さを見せた巨人とパリーグの覇者ライオンズが戦っていた。開幕前の予想や機体とは裏腹に、巨人はまるで精彩を欠き、2連敗して後のない状況に追い込まれていた。その日の第3戦もライオンズが優位に試合を進めていた。 「今日も勝ってるみたいですね」 Iさんがライオンズファンだったことをとっさに思い出し、気を使ったつもりだったが、逆にIさんに○○君は巨人ファンだったよねと聞き返された。どうやら思っている以上にお互いのことを知り合っているらしく、思わず笑みがこぼれた。 それから僕とIさんは取り留めない話をした。今何年生なのかとか、今年のプロ野球はどうだったとか、あの看護婦さんは素敵だとか、他愛のない話を。 Iさんがどんな病気で何に苦しんでいるのか、僕は知らなかったし、聞くこともしなかった。Iさんも僕の病気について何も聞かなかった。退院が決して明るいものでないことなど説明する必要もなかった。もしかしたらIさんの病状だって思わしくないのかも知れない。僕たちは似た者同士だったのだ。 Iさんは強い人だった。声だけ聞いていると本当に病人なのか疑ってしまうほどエネルギーに満ちていた。置かれた境遇を嘆いたり、恨みがましいことを言ったりする素振りなど微塵も見せなかった。それはまるでくじけそうな僕に対する無言のエールであり、渾身のメッセージであるように思えた。 「ありがとうございました。お話しできて嬉しかったです」 「がんばってな」 別れ際に掛けてくれたIさんの言葉には哀れみも悲しみもなかった。心からの祝意と激励が籠っていた。残された命を惜しげもなく差し出されたような気持ちになって、あと少しで涙が零れそうだったが、必死に笑顔を作って頭を下げ、ドアを閉めた。それがIさんとの最初で最後の邂逅だった。 僕と母は改めてナースステーションの受付でお礼を言って、エレベーターに乗り込んだ。何人かの看護婦さんが、ドアが閉まる最後まで見送ってくれた。

 こうして僕の入院生活は終わった。それは、目が見えていた時代の終わりでもあった。その後に待ち構えている目の見えない人生がどんなものになるか、そのときの僕には想像できるはずもなかったけれど。