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あの時こうしてれば。(水が無くて危機を感じた日、日本の後輩へエールを送る。)

インフラが整ってるのは当たり前だったから、
水がないという危機がこんなにも大変だと
知らなかった。

週に3回、定期的に40リットルの水を汲んで
今は生活している。
水がありふれると、つい洗濯に贅沢に、
水を使ったり、トイレにも豪快に使ってしまう。

明日は、水を汲む日だからと、油断した一昨日。
朝起きて顔を洗って、トイレ一回分の水を
使い切って家の水は全てなくなった。

そんな時、なんと、下の汲んでる
水ポンプが壊れて水が出ないと言われる。

とりあえず、冷静なまま配属先に行く。
配属先の人に相談して、同僚に、
遠くから汲んできてもらうことに。

こんな日に限って、配属先はバタバタ忙しそう。
お昼家に帰るが、
「あ、そうだトイレできないんだ」と気づく。

コーヒーを朝2杯飲むのだが、
コーヒーのせいかトイレがしたい。
その気持ちを紛らわし、午後も職場に行く。

帰り際、「水は、後から持っていく」
そう言われて家に帰る。
18時になっても来なくて、
朝6時にトイレをして以来、
我慢し続けた私は限界だった。

そんな時に恵みの雨。
雨水をとりあえずバケツに溜めて
トイレをした。
すごく安心感と幸せ感を感じた。

水がないってこんなに大変なんだ。
改めて知ったこと。
そいえば、震災の頃も水はなかったよな。
どうしてたんだっけ。
って、考えた。

災害時も、今回もそうだ。
後になって思う。「あの時こうしてればよかった」
そうおもうときは、だいたい後悔してる時。

そんな危機も感じながら、
今日も何とかアフリカの地で生きている。

一方、新年度を迎え、
新しいメンバーで仕事が始まっている日本。

後輩が苦しんでいると、
母のようなパートさん達から
立て続けにくる連絡。
パートさん達は、長い間、あの職場にいて、
何人もの人たちを見ているから、
人事なんかよりも人を見る目がすごくある。

私の部署は、人が1番来る。
私たちの部署があってこそ、
職場が成り立っている1番重要で、
1番、来客者に近い部署なのに、
何故か、嫌がられる。

何故か、いつも悪者にされる。

日々多くの人と接して、対応するというのは、
大変なのだ。
体調が悪くたって、フラれて気分が落ちてたって、
大切な家族が体調を崩してたって、
来客者には関係ない。
そんな感情を押し殺して、接客をし、
多くの人に見られながら働くというのは、
本当に大変なんだから、
少しくらい褒めて欲しいなって、いつも思う。

そんな部署に配属された最初の3ヶ月は、
本当に苦しい。
そこを乗り越えられなければ、
ただ苦痛の時間を過ごすことになってしまう。

私が配属された時も、
引継書というものは、あってないようなもの。
ずっといるパートさん達が、
もはや引き継ぎ書みたいな役割をしてくれていた。

前任者の役割とはすごく大きいものだ。

引継書は、自分が仕事をわかった状態で
作るから、初心の気持ちを忘れがちだ。
初めての状態でも分かるように作らなければ、
引き継ぎ書とは言わない。

そこがちゃんとできてなかった、
私の後任の後輩は、
私の責任でもあると感じた。

新しい新任が苦しんでいると聞いて、
私の後輩指導の甘さを痛感した。

ここでも感じた、あの時こうしてれば。
同じ建物に居れば何とかなるけど、
今、私はアフリカにいる。

彼女の様子を聞いて心が痛む。

私にできることは、してあげたい。
がんばれ。きっと大丈夫。

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