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1年

昨年 2023年 4月 5日、note 初投稿をした。


♨チン接種の多さに、身の危険を感じ、note をはじめた。
。。。と思っていた。
初投稿が、ポップ・インドネシアという音楽。
という事を考えると。

「日本という生きる環境」への危機意識は余り無いのかも知れない。
切実さが不足している。
今のところ、解雇の危機は遠のき、
「身の回りの有害なもの」に意識を向ける余裕がある。
それに、半世紀生きてきたので、
なにか「事」が起こり、
ここまで、となっても、やむなしという開き直りがある。

しかし、これからの人はどうなる。この地獄で。
今、「私の」と言える身体、生きられている「この環境」。
これが借り物に過ぎないとしたら、
返すべきは「これから生きていく人」に対して。

最近、読んでいる本は、
デヴィッド・ハーヴェイ著の「新自由主義」。訳書、2006年発行。
レーガン、サッチャー、小泉らの写真が表紙にある。

現実(と思われるもの)を知っていくと、気分が重苦しくなってくる。
なのに、なぜ「この世界」を知ろうとするのだろう。
人の性質でしょうか。
そして、世界を少し知ったとしても、
「行動する」ことへの変換には、溝がある。私にとって。

楽しく生きるために、それを壊すものらと闘わなければならない。
一人一人、「楽しさ」が異なるが、
私らの「楽しさ」と、彼ら権力層の「楽しさ」は両立しない。

穏やかに暮らしたいのに。 
穏やかに暮らしたいから、闘わねばならない。
闘いたくないが。
闘わないのは、穏やかさを放棄すること。
狭い世界だけを見ていれば、穏やかになれるだろうか。

闘わなければならないが、
思春期に、無気力になって以来、あまり力が沸いてこない。
怒りが乏しいのか。共感力が低いからか。
闘いから逃げたいという性質か。