読んだ「数学する身体」森田真生 著(新潮社 2015)
千夜千冊:1831夜。
千夜千冊エディション(角川ソフィア文庫)で、
「性の境界」が出されたので、次のステージに移っている。
「数学」です。
「算数」は、得意だったんだけどなぁ。。。それも嘘ですが。
社会人になって、「数学」の本を読まないですよね。
でも、著者は、なんと、
中学2年生の時に、
武術家・甲野善紀さんの「身体的知性」に触れているのです。
どいうこと?
かは、分かりませんが、いずれにしろ、
「身体」の感覚を大切にしているということです。
数学は、今では、頭の中で練り上げる概念となってますが、
当初は、身体の延長としての道具だったわけです。
前置きが長いですが、著者の目論見を抜き書きしておきましょう。
全く想像がつかない、かな。
著者は、あの数学者「岡 潔」先生の意志を受け継ぐ者です。
数学史を語りながら、「生」の根底的なものを話ているのです。
ひとつの数学史ですから、数学ではなく、ビブん・咳ブンもありません。
私が興味を持って赤線をひいたところは、
だいたい主筋からは外れていきますが、抜き書きしておきましょう。
「永遠に死なない」ことを考えていた建築家「荒川修作」氏の話をしながら
という前振りをし、しばらくして、
「ミラーニューロン」というものの話を持ち出して、
他人への共感が起こってくるが、
例えば、「痛み」が伝染する事が無いのは、皮膚のおかげ(?)
ということで、ラマチャンドラ(脳科学者)の言葉を引用する。
それを受けての著者の言葉。
著者は鈴木健氏という方に会われ、
文系から数学系に転向されたのだとか。
となると、右脳と左脳をつなぐ「脳梁」も
女性のように太いのではなかろうか。
(一般的に、男性より女性の方が、脳梁が太いと言われている、
と記憶している。naka)
そう言えば、泣けた箇所があった。岡潔さんの言葉の引用。
岡潔さんは、中谷治宇二郎さんと、心の友であったのだと思う。
亡くなった治宇二郎さんとも、心の中で話しをし、
数学に邁進することになったと思うのです。
肉体は死しても、心の友は死なず。
そういう方と出会える奇跡は、この世の宝でしょう。
それを想像して泣いた。
(本の主筋からは外れますが。)
この本の内容(?)はここで終わります。
もし、数学が苦手だったら、読んでみるのも、ひとつのメリットがある。
不得意を取り込むことで、世界への視点が変わる、はず。
私が、千夜千冊を読み始めたのは、
自分の興味で、次々に本を選んでいっても、
いわゆる枠外の本を手にすることは無い。
自分の思考パターンがある程度決まってしまうので、
想定外の本は読まなくなるのだ。
ということも考え、
千夜千冊を読んでいるが、まぁ、実際のところ、
視野がひろくなったかどうかは分からない。
やらないよりはマシだと思うが。
自分を納得させながら、なんの本を読んでいくか、
どう生きていくかも含め、選択した人生を歩むことになる。
でも、自分や自我が、主なるものでなく、副次的なものであるとしたら、
出来るだけ取っ払った方が、世界が拡がりそうでは。
日頃、自然と認識しているものも、自分の身体も、
ひとつながりの自然であり、
それだからこそ、朝焼けや夕焼けの美しさに感動し、
鳥や花なんかも愛でて、見ることに没頭するのかも。
というニュアンスのことも、本に書かれていたような。
ではまた。(予定より長くなった。)