あの細い坂を上りながらー現実を受け入れること、分けて考えること。

原宿駅前から代々木公園脇を下り山手通りと交差する手前、左側へ入る坂の道はあの辺りを走るタクシー運転手さん達がよく使う細道で、何度も通るうち、いつも左側に警官が立っているのが気になって「ここ、何なんでしょうね」なんて同乗者と話していたら、その時の運転手さんに、かの有名なハイムがあるからだと教えてもらった。もう10年くらい前のことだったろうか。

思えば、山手通り側にも何だか強そうな車が停まっているよなあ、あれもそういうことだったのか、なんて納得して、それ以降、付近を通るたびに何となく気になってしまう感じになっていた。


かの方が二回目の首相であった時も、退陣後も、車窓の警備をチラ見しつつ何度もあの道を通った。つい数日前、こんな事態になるとはつゆ知らずに通ったし、こんな事が起きてしまった後も通る。


前述の同乗者だった人も亡くなってしまった。2年前の夏。突然に。

この先もあの道を通るたびに、私は思い出すのだろう。人生の儚さを。



他でも散々に書いてきたことを見れば明らかだと思うけど、私は新自由主義、特に日本型の(競争や能力主義ですらない)歪んだ縁故主義的新自由主義の蔓延、利権中抜きにより技術や腕ある者が浮かばれず滅び、内実伴わない者が巨額の利を得る構造、それらによる貧富の差の拡大、国力の低下、治安の悪化等々を心底憂いているので、それらを強行に推し進めてきた政治体制には全く賛同していない。だから、「政治家」としてかの方を見る場合には、かなり痛烈に批判的な立場にある。


けれども。

たとえどのような理由があろうとも、あのような形で、圧倒的な暴力で、人によって人命が奪われるというのは、あってはならないことだと思う。


なんていう、きれいごとで片付けきるにはあまりにもtoo muchな衝撃と消耗を受けていて、自分でも意味がわからずにいた。動画を見てしまったのもあるだろう。あまりに現実離れしていて、実際に起きたことには思えず、映画の一シーンのような気すらしていた。激しく混乱した。

みるみるまた眠ることもできなくなり、進んだり進まなかったりする時計を気にしながら、ああでもないこうでもないと、こんがらがった脳内をひたすらとき解そうとしていた。しかしまったくうまくいかない。

朦朧とする中、明け方ぼんやり思い出したのは、漱石の『こころ』の乃木大将の部分だった。いやいやそれは違うだろう、と、ますます訳がわからなくなった。


そのうち力尽き、意識を取り戻したのは数時間後だった。起きがけのはちみつ1スクープを舐め、焼いたケーキを食べる。

何がどう起きようと、日はまた上り、落ちていく。世界は回る。良くも悪くも。

充分眠れなかったけど、仕方ないので新しい日を始める。


そのうちふと気付いた。政治家という肩書きを取り払い、一人の人として見てみればよいのだと。

罪を憎んで人を憎まず。

一人の人間の命が、突然、暴力的に奪われた。たとえそれが自分と異なる考え方を持つ者だったとしても、その死を悼むことは自然なことである。

こんなこと、絶対に起きないほうがよかった。勝手に人を殺める権利など、何人も持ち得ない。政治家としてのあれこれも、私怨や私刑ではなく、法や裁判で、解決していってほしかった。

もしかの方が政治家でなかったとしたら。きっとこんなことにはなっていなかったのだろう。

例えば、(一般的な感覚からする)親戚の叔父さんだったとしたら。

明るく多趣味で、潤沢な資産を持ち、身内に優しく、うるさいことは言わずにおねだりをしたら好きなだけお小遣いをくれるし、後ろ盾となり色んなことを応援してくれる、、、最高ではないか。

あるいはそんな友達がいたら。

もし一般人だったら、持ち出されるのが真っ当な形で得られた私的財産であったのなら、全く問題はなかったのだ。人としては、きっと愛嬌もある、いわゆるナイスガイだったのだろうとも思う。


そう考えれば、国内だけでなく海外から届くメッセージにも心底納得した。利害関係、というか、「害」を被ることのない場所から見れば、いわばまさに羽振りの良いナイスガイなのだから。


ただ、残念ながら問題は、兆の単位で豪快に海外にばら撒かれたのは国庫からだったということと、海外への大盤振る舞いとは真逆に、国内の、特に(いわゆる「お友達」ではない)一般庶民の富をすり減らし、体制や国内外の「お友達」だけが得をする構造を突き詰める中で、ニッポンは底の抜けた沈没船になってしまったこと。他にも、政治の私物化、権力の濫用、不正改竄、人権・人命・法の軽視、解体、、この10年強のニッポンの腐敗、衰退を決定づけた体制の体質の問題は枚挙にいとまがない。


だけど。


こんがらがるけど、整理して、分けて考えればよい。そうすることにしたら、少し落ち着いた。

政治的な主義主張や実績と、個人の人やなり、何より命は別物である。

政治的に賛同しかねること、許し難いことと、個人を否定することは別である。

どんな理由があったとしても、人が人を殺めることを、その一方的な暴力を、肯定することはできない。


私が許せないのは暴力、そして圧倒的な理不尽だったんだ。

政治による暴力も、政治家の命を奪った暴力も。それらの理不尽も。
逃げ出し、長い間を経てもなお未だに怯え苛まれるあの日々と、否が応でも繋がってしまうから、こんなに消耗していたのだ。死を突きつけられること、簡単に死と繋がること。思い出す。


私は「お友達」構造の中で、「持つ」者におべっかを使わず、お世辞を言わないから、可愛げがないと激しく攻撃された。染まらず、決められた道に黙って従わないから、余計に否定され続けた。能力を発揮すれば束縛され、それが嫌だからと逃げれば罵倒された。できることも、できなくすることも苦痛だった。どこにも出口が無かった。
体外的には良いイメージを振りまき、良い人間とされている人物に、自分はこれだけ(多くの人間に多くの財産を分け与え、世話をしている)善い人間なのに何故お前は言うことをきかない、感謝をしない、生意気だ、死んでしまえと浴びせられ続けられる罵詈雑言、その他日常を、明らかに周りも見聞きしていたのに、それらは当然の如く不問の黙殺扱いとされた。
そして私は歪んだ世界の中のガス抜き素材、スケープゴートに設定された。「お前が悪い」と繰り返される「持つ」者の言葉の通り、全ては私が悪いことに「され」、あの世界の中では繰り返し実行解決された。死ねと言われ続け、分かりましたと素直に答えれば、「私が」「死ぬ」と言い出したと大騒ぎをされるし、日に日に拡大連鎖して酷くなる諸々を、誰も認めなかった。そんなはずはないし、あったとしても原因は私である。あの世界の中でははじめから「私が悪い」と「決まって」いるのだから、彼らが見たいようにしか、物は見えない。
白も黒に、黒も白になる世界。金や土地欲しさに、自分も真実も曲げられる世界。強い連帯があって、従わない者はその連帯をもって容赦なく捻り潰される世界。

こんな風に書けるのは序の口の部分でしかない。
私が死ぬ気で抜け出すことにしたのは、こんな中で物理的に殺されるなら、死んだほうがましだ、こんな風に精神的にも殺され続けるなら、外でどんなことがあったとしてもましだ、むしろ外でなら、たとえ殺されても、それで終わるなら、ここでよりはずっとましだし本望だ、という決定的な出来事があったからだ。
それでもあの中では何も認められなかった。客観的、物理的な決定的な証拠があっても、他の誰にも見向きもされもしなかったし、何も意味をなさなかった。

助けなど来ない。救いの手など、どこにも無い。誰も、何も、信じることなどできない。

あの時焼き付いた絶望は、今でも私を蝕んでいる。

それでも幸い、もがいて抜け出したあの世界の外に、支えてくれる手がたくさんあった。その人々と共に過ごし学んだ日々のおかげで、私はまだかろうじて存在している。


私が「お友達」政治に反対するのは、そういう世界のことが手に取るようにわかるから。私の場合は血縁の中で土地や資産を媒に起きていたことだけど、その規模や対象がより広がった状態だと考えればいい。


歪んだ暴力、理不尽、続かないでほしい。

政治だけでなく、社会に蔓延り渦巻いている暴発寸前の怒りや呪詛も、踏み止まってほしい。
これ以上の不幸、暴力の連鎖を断ち切らないといけない。

そうするためには、一人一人の人を大切にして、すっかり蔓延ってしまった貧困や癒着や、あまりに山積している社会的な課題を、根気強く解きほぐしていくしかないのだと思う。


誰かやその周辺だけが得をする歪んだ構造は、必ずひずみを生む。そのひずみは、複雑に絡み合って刃になる。

刃を止められるのは理性であり知性だ。それしかない。しかし理性も知性も、育むにはあまりにも時間がかかる。現在の惨状をどうこうするのにはとても間に合わない。


平和な世の中であればよかったのに。

憤りながらも、言論など、真っ当な形で怒りを向ける対象があればよかったのに。

こんなにあっけなく撃ち砕かれてしまった。

あまりに悔しいし悲しい。
そう、私は悲しかった。自分に向けられた暴力も、為政者に向けられた暴力も。


でも、この悲しさも含めて、現実を受け止めるしかない。

こんなこと、全く予想だにしていなかったけど、起きてしまった。そして覆すことはできない。


自分ではどうにもできないことがあまりにも多い。

無力感に苛まれることばかりだ。

でもそれはきっと私だけではない。

もし私がにこにことおべっかを使って、形だけでも媚びへつらえる人間だったら、あるいは骨の髄まで染まり切って、何も考えずにあの環境の中で踊り続けられる人間だったら、

恋愛したい!結婚したい!
この道しかない!!オリンピック!!Goto!!
と、楽しく過ごせていたのかもしれないな、なんて、たまに思わないこともない。
少なくとも、あの人々と同じように、金銭面で苦労することなどなく、分け与えられた土地に手持ちのキャッシュで新築戸建てでも作り、馴れ合いの中でのうのうと生きていたんだろう。家制度に固執する土地持ちの定番、保守として。

けれどもそれは私ではないし、何よりそうはならなかった。私がターゲットにされなければ、他の犠牲者が出ていたのだろうとも思う。

かの人だって、政治家なんかじゃなく一般人として、それこそ趣味に生きていたら、気のいいおじさんとして、権力によらず慕われ、楽しく長く、何よりこんな風に殺されることなく済んだのではないか。それこそ、映画を撮ったり居酒屋のマスターをしたり、そんな風に過ごしてほしかった。(私がその映画を見たり居酒屋に行ったりすることはなかっただろうけど。それは思想や信条の相違で)。


何が幸せなのか。
答えなんか簡単に出ない。

けど

私は私にできることをしていくしかない。


今のところ私はまだ生きているのだから。良くも悪くも。

May peace be with you.
May peace be with me.

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