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干渉と尊重は相容れないもの? まずは相手の領域を侵さないところから。

ここ数日ざわざわもやもやしてる人
多いんじゃないかなぁ…。
今日は関係あるような関係ないような
そんな話をしようと思います。

私は過干渉な家族の元で育ちました。
何かをする時は親が先回りしてたし
何かをした後は親に批評されてた。
だからいつも親の顔色を伺って
親の機嫌を損ねないように過ごしてたんです。


干渉とは他人のことに立ち入って
自分の意思に従わせようとすることで、
私は親から干渉されたくないと思っている。
でもそこで気がつきました。
私も親に対して干渉してるんじゃないかって。


「〇〇したほうがいいよ」
「なんで〇〇しなかったの?」
「〇〇しておけばよかったのに」
言われて嫌だった言葉を私も親に言っていました。
親に 過干渉 "されてる" と思って苦しんでいたのに、
私も親に対してたくさん干渉をしていて
実際は 過干渉 "しあってる" 家族だったんです。


そしてもう一つ気がついたのは
親から干渉されないように親を変えようとするのも
親への干渉にあたるということでした。
だから私は
親ではなくて自分を変えることにしました。


最初に行ったのは自分の言動を意識すること。
何かを言ったりしたりするときに
他人のことに立ち入ってしまっていないかを
チェックしながら過ごしてみたところ、
頼まれてもいないのに
「あーすれば?」「こーすれば?」と
手出し口出しをしてしまっている…
という結果になりました。


この手出し口出しは一見すると親切に思えますが、
実際には手出し口出しによって
自分の望む通りに相手を動かそうとする
干渉と同じ行為だと言えると思います。

ただし、
「どうしたらうまくいくか教えて」と聞かれて
答えてあげるのは親切だと思っています。
問題は聞かれてもないのに
言ったりしちゃったりすること。
失敗の悔しさとか成功したときの喜び、
失敗からの学びや試行錯誤の楽しみを
相手の意思とは関係なしに奪ってしまっています。
 

そのことに気づいてからは
手出し口出しをしないように心がけました。
ただこれはですね…
これまであまりに当たり前に干渉してたので
最初はかなりの我慢が必要でした。
手出し口出しをしなかったら
相手は失敗や遠回りばかりしてしまうので。


子供を見守る親のような気持ちでいるか
もしくはそっとその場を離れる…。
「失敗しちゃうかもしれないけど
    効率悪いかもしれないけど
    これが相手の選択。選ぶのは自由。
     学びや経験の邪魔はしない…!」
と自分に言い聞かせていました。

でもやってみて意外だったのは、
すぐに頼ってくると思っていた親が
甘えることなく自力でやり遂げていたこと。
そして、親のやり遂げる姿を見て
私自身   心から喜べていたこと。
手出し口出しするのでもなく突き離すのでもなく
見守っていたからでしょうか?


この経験を通して
私は親のことが自分事になっていて
親も私のことが自分事になってしまっていたのかも
と気付かされました。
でも親子であろうと夫婦であろうと
恋人であろうと親友であろうと
本当は大抵のことは他人事なんですよね。
きちんと自分とは別の人間として
扱わなきゃいけなかったと反省しました。


親のことを他人事として切り離せないから
親の領域に我が物顔で立ち入って
自分の思うようにコントロールしようとしていて
だから親も同じように思ってしまって
私の領域に我が物顔で立ち入ってきて
コントロールしようとしてたように思うんです。

そのことに気づいてからは
自分と他人とを切り離して考えるようにして
他人の領域に立ち入ることのないよう
他人を自分の領域に安易に招き入れないよう
注意して行動するようになりました。
全部ではありませんが具体的にはこんな感じです。

・ 自分のことは自分でする。
・ 他人のことに手出し口出ししない。
・ 頼みごとをするときはきちんとお願いする。
・ 頼みごとをされて乗り気じゃないときや
   都合が悪いときはきっちり断る。
・ 自分の気持ちや考えはあくまで意見として伝える。
・ 相手の発言はあくまで意見として受け取り精査する。


特に発言は
他人に与える影響が大きいと感じていて
求められてなければ極力意見は言わないとか
定かでないことは口にしないとか
他人のことを知っている風に話さないとか
意見を言うときは「私は〜と思う」という感じで
"私は" とか "思う" をつけるようするとか
特に注意するようにしています。

基本的に他人の言っていることを
どのように受け取ってどのように行動するかは
その人の選択だし自由だと思っています。
ただ、
発言者に他人をコントロールする意図がなくても
伝え方や言葉の扱い方を間違えれば
容赦なく相手の領域を侵害できてしまう…
意図があっての言葉なら尚更で
影響力の大きさは計り知れません。


少なくとも
一個人の意見でしかないものを
世界の総意に見せかけるのは
きっと思っているよりもずっと簡単で
「私はこれが正しいと思う」を
「これが正しい」と言い換えて
もっともらしく言うだけで十分に思えます。


確かに私たちは
何を思っても何を考えても自由だし
大抵の場合は口を塞がれてはいないから
いつだって何だって言うことはできます。
でもそれと言葉が軽いものかどうかは
別の問題だと思うのです。


言葉はその気軽さとは裏腹に
他人の領域をやすやすと侵害して
色んなことを変えてしまう可能性があります。
だから言葉を発するということは
気軽にできる一方で重たい行為でもあると
肝に銘じておかなければと私は思っています。


今回の経験とこの記事を書くことを通して
自分も他人もそれぞれに領域を持っていて
見えないだけでそれはきっちり分かれており
それを理解しておくことは
他人がひしめくこの世界で生きる上で
基本的かつ重要なことだと学びました。

そして、
お互いの領域を侵さないように行動できれば
どのような関係でも干渉や依存は減っていき
「侵さないようする」ではなくて
「大切にする」という方へシフトできれば
理解と尊重が生まれていくと私は思います。