SNSについての「シグナル/ノイズ」の比喩がレックス・フリードマンとイーロン・マスクの対話でも語られているが、これは美術に関しても今日的な話題。久しく前からある「現代アート=詐欺」または「現代アート=ゴミ」という慣用句は周知。この始祖は、私はマルセル・デュシャンよりむしろパブロ・ピカソと指定し考えている。しばらく前からXのピカソ画像・自動アカウントを私は継続して見ていて、ピカソが優れているのはやはり「青の時代」と近代の美術史の特異点となった「分析的キュビスム」に正確に限られる。10年に足らないようなごくわずかな期間。それ以後は色々やっているように見えたとしても、全てが美術史上どうでも良い作品に私には見える。よくこれだけ膨大にやっているなと(一言で言えば、これはデュシャンと共通した退屈で無味乾燥な「エロ」の表象)、ただし高額な経済上の対象となっている。これ(ゴミ)がどうなっていくかが、私の(一方の)主な関心事と言っても良い。
別な言い方をすると、ゴミがゴミを勇気づけてきたという心理学上の構造が、今後どうなっていくかについて。
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