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【マシュマロ】生き急いでいたなぁ

 マシュマロに質問を頂きました。

 お題、ありがとうございます!

 生き急いでいたのは十八、十九。わたしの人生暗かった……、と藤圭子なみに夜ひらく夢を追いかけていました。

 中学・高校と受験勉強に明け暮れていたので、失われた青春を取り戻すべく、大学合格後は憧れの映画研究会に所属。すぐさま作品制作に取り掛かりました。

 普通、学生映画は完成したら、文化祭などの上映会で流すか、コンテストに出展するものですが、そんなんじゃ物足りないとわたしは独自の道を貫きました。自宅でせっせとDVDを作成。業界関係者がいそうな夜の街へと繰り出したのです。

 新宿のゴールデン街やションベン横丁、渋谷ののんべい横丁、三軒茶屋の三角地帯などなど。夕方から始発まで、ノートパソコンで予告編を流しつつ、DVDを配り歩く日々を送りました。自然、昼夜は逆転。大学もサボっていました。

 なお、結果は散々。とにもかくにも酷評されました。なんというか、いま思い出しても涙が出てきます笑

 もちろん、当時は知識ゼロ。勢いだけで映画を作っていたので、脚本もカメラワークも演出も落第点。妥当な評価だったと思います。

 ただ、その中でも、唯一褒めてくれる人がいました。パフォーマーの首くくり栲象さん。わたしが尊敬し続ける孤高のアーティストです。

 首くくり栲象さんはわたしをいろいろなところに連れて行ってくれました。そして、いまにつながる素敵な人たちと出会いました。本当に、感謝、感謝です。

 あの頃は毎日が嵐のようで、ほとんど家にも帰らず、大学にも行かず、そこら中を転々としていました。間違いなく刺激的な日々。後悔はしていません。

 しかし、貧しかったので大変でした。 当時、諸事情で実家が崩壊。わたしは学費を自分で払う必要があり、すっかり途方に暮れました。六年間、勉強し、ようやく入った大学だったのに経済的理由で休学を余儀なくされるだなんて!

 それから、休学と留年を限界まで利用し、様々な仕事でお金を貯め、なんとか大学に復帰。足掛け十年、やっとの思いで卒業するも、奨学金という名の借金がいまもわたしを苦しめています。

 後悔はしていないけれど、映画にハマらず、ちゃんと大学生活を謳歌していればと思わないこともありません。

 ちょっと、生き急いでいたなぁ、と笑



マシュマロやっています。
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