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寝過ごし東海道線文学 Vol.2 熱海駅

東海道線 熱海行き
ある人にとってはとても便利だし、ある人にとっては底の見えない闇に感じてしまうこのワード。自分はもちろん後者である。

自分にだって熱海はいい思い出はある。奥さんと付き合って初めて誕生日をお祝いしてもらった時に連れてってもらったのが熱海だし、自転車が好きで熱海を目指して自分と向き合ったり、いろんな楽しい思い出がある。
実は茅ヶ崎駅から熱海は電車で1時間。週末に東京に出るのと変わらないくらいの時間で行けてしまう。週末サクッと熱海行けることとかはとても幸福度高いのは間違いない。

しかし、、、、そんな数々のメリットを無かったことにするのが「終電の熱海」だ。

とある日の終電。この日も飲み会終わりだったのだが、メンツや目的的にもとてもじゃないけどそこまで飲むような会では無かった。だがしかしいつも日本酒が全てを狂わす。
何度も何度も心に刻んだはずの「俺は日本酒と方向性が違う」という鉄の掟を毎度の飲み会で綺麗にスルーしてしまう。。

結局新橋から乗った東海道線、疲れと酔いが回っていたこともあり普段仕事をするために課金して乗るグリーン車に乗ってしまう。そしてグリーン車に座った瞬間からすやーっと夢の中、ノーストップで一度も起きず、熱海駅で駅員さんに起こされてしまう。
熱海駅は小田原のように新幹線も止まるのだが、新幹線とは階が異なるため、パッと見るとルックス的に平塚駅とかとよく似ている。この日も一瞬勘違いをし、故に一瞬期待してしまって気付いてからより凹んだ。

熱海駅を出るといつもの観光といえばの熱海とは180度違った顔を見せてくる。とにかく景色が真っ暗なのである。「黒は300色あるねん」とアンミカは言うが、熱海の色は通常の黒とは違った何かを感じるので、アンミカは正しいのかも知れない。駅を出てすぐにあるシンボル的な足湯も冷え切ってる。

もちろんタクシーで帰れる距離な訳がなく、意外とビジネスホテルなどもないので、駅前のカラオケで過ごすのがおすすめ。すぐ朝は来るし、そして熱海の始発は早い。始発の熱海から茅ヶ崎までの1時間を、徐々に増えていく乗客と比例するように増えていく、凄まじい後悔とともに自分の至らなさを噛み締めながら過ごす。

熱海で寝過ごして唯一良いと思っていることがある。
それは翌日「観光地とかでしか行かないちょっとした遠方の熱海から出社した(オンラインで在宅でも可)」というエクストリームな事実を得られることである。
実体験として熱海に行った翌日は仕事がとてもうまく行ったし、恐らくその日打ち合わせする全ての人よりも相当にエクストリームな出社をしていることは間違いないという自信に満ちている。
「どんなに手強い相手でも俺には敵わない」そういった筋トレマンがよくするようなマウントを熱海から出社するだけでできてしまうのだ。とても大事な日の前日、熱海で寝過ごしてみてはどうだろうか?

物事には全て二面性がある。古くはヘーゲルの弁証法で、モノ(事物)やコト(命題)が「否定」を通じて、新たな・より高次のモノやコトへと再生成されるというプロセスを、「正(テーゼ)」「反(アンチテーゼ)」「合(ジンテーゼ)」という言葉を用いて説明している。
テーゼは昼の観光名所としての熱海、アンチテーゼは夜の真っ暗闇の熱海ということになるのだろうか。

そして「アウフヘーベン」という概念も加えたい。対立し合う二物の関係を1つ上の次元へと引き揚げるということがその大枠の意味になる。

例えば花は美しい(テーゼ)が、花は枯れてしまう(アンチテーゼ)→花は枯れて実を残す(アウフヘーベン)というようなイメージだ。

アウフヘーベンした熱海とは…?ということを考えながらまた寝過ごしの熱海に行くのであろう。寝過ごしから学ぶ人生。

#創作大賞2023

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