【左様なら】

Amazonプライムのおすすめに、ふとでてきたサムネイルが、とても綺麗だった。
なんの前情報もなく見始めたけれど、苦しくて、苦しくて、思わず一度再生ボタンを止めてしまう。

ああ、あのときのわたしが、ここにいる。


【あらすじ】
高校生の由紀は平穏な日々を過ごしていた。
ある日、中学からの同級生の綾が由紀に引越すと告げた翌日に突然亡くなる。
綾の死をきっかけに、クラスメイト達の人間関係にも思わぬ波紋が広がり、由紀は周囲から距離を置かれるようになるが…。
海辺の町を舞台に美しい映像で切り取られた、次世代の青春群像劇。


気づいた時には思わず泣いていた、という瞬間がある。
この映画にはそれが詰まっていた。
ああ、私、これ知っている、この時の、言葉が出なくなる感覚を知ってる、と思った。

由紀はずっと凛々しい。
自分の中の正義に誠実で、絶対にそれを折らせようとしない。
少し意地にも見えるような由紀は、私が中学時代になりたかった姿だ。
ネタバレをしてしまうと、あらすじにある、綾の死をきっかけに、と言うのは少し間違っていて、それよりもずっと前、特に海辺でキスをしたところから大きく変わっているのだと思う。
綾がどういう気持ちで由紀にキスをしたのか、というはっきりとした描写はなく、恐らくこうではないか、と考察するしかない。
その考察の中でも、由紀はずっと揺るがない。
そこには自分が見ていた綾の姿だけがあって、他の人から聞かされる綾の姿を知っても、それに動じることはない。
何度もいう、由紀はずっと凛々しい。

誰しもが、というのは少し横暴かもしれないけれど、ほとんどの人が学生自体に感じたことがあるであろうひりつきが、この映画にはあった。
イジメを描く映画はこの世に何本ともあって、でもその全てに感情移入するわけではない。
ただの暴力をそれなりに見せているだけの作品もある中で、この映画はとても陰鬱だった。
とても人間らしくて、とてもリアルだった。
他人の顔を伺ってヘラヘラと笑うことしかできない人、その張り付いた笑顔に苛立ちを覚える人、押し付けがましい正義感を持つ人、理由もなく誰かを蔑むことで快感を得る人、弱いままでいることで許されようとする人。
学生に限ったことではないけれど、学校や教室といった狭いコミュミニティの中で、それぞれが自分の居場所を探すために踠いている。
綾としたキスの意味もわからないままに、由紀はそのコミュニィを睨みつけている気がした。
適当に頷かない、靡かない、ということが、まるで綾に対する弔いのようだな、と思った。
もし私が学生時代、軽く押し当てたことのあるあの凶器で、もしくは容量を守らなかった薬で、あのまま死んでしまっていたら、謂れのない噂を聞いても、由紀のようにいてくれる人はひとりでもいただろうか。

私は未だにうまく生きられている気がしていない。
人に期待して、それがその通りではなかっただけで、急に突き放された気がしてダメになってしまうし、人付き合いだってうまくやっているように見せかけているだけで、実際にはとても下手だ。すぐ諦めてしまう癖もついた。
そういった私のどこか、おそらく5分の1くらいはきっと、未だに中学校の教室に置いてきている。
まるで救われない亡霊の方に立ち尽くしている。
だから、こういった映画を見るたびにその亡霊のことを思い出して泣いてしまうんだと思う。
ごめんね、そこから救い出せなくてごめんね、と。

光が、透ける埃が綺麗な映画や映像が好きだ。
余白があり、人の表情が剥き出しな作品が好きだ。
その余白に自分を重ねて、感情を付随させるのが好きだ。
この『左様なら』という映画は、誰も救われない。誰を咎めることもできない。そこにはただ過ぎて行く彼らの今しかない青春があって、ただそれだけ。
教室においてきた私の亡霊が、こうだったらよかったね、と、諦めたように笑っている気がする。
同じように、どこかの教室に亡霊を置いてきたあなたにこそ、この映画が届けばいいと思います

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