見出し画像

ヘンリーの憂鬱

ヘンリーとはあまり話したことがなかったが、地下鉄で事故があったある日、Elephant & Castle駅の人だかりの中に彼を見つけた。どうやらヘンリーは仕事帰りだけれど、駅に入れないでいるみたいで、その顔には珍しく苛立ちが見え隠れしていた。

「ヘンリー!どうしたの?」

彼はとても不機嫌そうに、帰りたいのに帰れないのだということを説明してくれた。

「大変だね、私は今からこの近くのパーティーに行くの。」

「あ、じゃあ僕も行っていい?どうせすぐには帰れないからね。」

そうして我々は一緒にElephantという、非常にそのままの名前のバーまで歩いた(ロンドンでは珍しいことではない、Angel駅の近くに「天使」というレストランがあったりする)。その徒歩3分の間、我々の間にほぼ会話はなかった。ヘンリーは不機嫌になると、黙り込むタイプらしい。我々のこの気まずさが、交差点の周りにいる全員に伝わってしまいそうな気がした。

「やっぱバスで帰ろうかな。」

ヘンリーはやっと何か口に出したと思ったら、そんなことを言い出したのである。

「え、でも折角歩き始めたし、ちょっとだけ来たら?」

「うん・・・。」

それから1分後。

「週末沢山飲んだから、今日は飲みたくなかったのに。」

「・・・沢山ってどのくらい飲んだの?」

「覚えていないくらい。」

自分で来ると言っておきながらのこの態度に、私は少し腹が立った。この時点で私はヘンリーにもう帰ってくれていいと言いそうになったが、ぐっとこらえた。彼とは仕事で付き合いがあったのだ。そして、「覚えていないくらい飲んでしまった」というのは、何か悩み事があるのかもしれない。しかも、軽く笑顔で言ったような台詞ではないだけに、より彼の抱える「何か」が深刻であるように感じられた。

パブに着くと、私の友人が数人すでに到着していた。ヘンリーを紹介するが、彼の暗い顔は相変わらずであった。あまりにもぶっきらぼうとはこのことを言う。友人も気を使ってヘンリーに話しかけてくれたが、彼はその独特な低い声で、面倒くさそうに返事をするだけだった。あまりにも失礼であるし、私が連れてきた以上、友人達にも申し訳なくて仕方がなかった。ヘンリーは30分もしないうちに帰った。

それから一か月ほど経ったある日、私は街中で再度ヘンリーと出会うこととなった。その時のヘンリーは、男性と仲良く手をつないで歩いていたのだった。そして彼は、ドレスを着ていた。そう、真っ赤なドレスとハイヒール。

注意して観察しないとおよそ同じ人物とは思えないほどの笑顔の彼を見て、私はとっさに身を隠してしまった。隠れる理由は何もないのだけれど、私が知ってはならない彼の一面を目撃してしまったような気がして、少し罪悪感を感じてしまったのだ。

もう一度振り返って見てみると、彼は、その男性と一緒に小刻みにダンスをしながら楽しそうに歩いていた。それはあの不機嫌ヘンリーとは似ても似つかない、目を疑う光景だった。驚くと同時に、ヘンリーの幸せそうな笑顔を見て、私は安心した。そして、自分が彼の何も知らなかったことに寂しさを覚えた。

しかし、それからもヘンリーが不機嫌であるという噂ばかり耳にした。そして、彼の真っ赤なドレスを見たという人物とは出会わなかった。

ロンドンにおける私の憂鬱な生活をサポートして下さると、とてもありがたいです。よろしくお願いします。