自分を輝かせるということ①~【推し】よりも、自分を推せば幸せになれると思う!~

昨年の秋ごろ、女優の天海祐希さんに関するある動画がTwitterで拡散され、私のタイムラインに表示されたのだが、その動画の内容について今日ふと思い出した。

その内容は、あるイベントの質問コーナーで、登壇した天海さんと観客席にいる天海さんのファンの会話に関するものだった。マイクを向けられたファンの女性は、天海さんへの愛を言葉で伝えながらも、感極まって泣いてしまっていた。その女性に対して天海さんがかけた言葉は以下の通りだった。

【私を応援する気持ちと同じくらい自分を応援してくださいね。それできっとあなたの人生も素晴らしいこと....泣かないっ!!】

厳しくも愛のある天海さんのこの言葉は、ネット上のオタク達に、”刺ささった”らしく、大きな反響を呼び拡散された。そしてこれは、私にも大いに”刺さった”言葉だった。

当時私は、YouTuberなどちょっとした有名人にハマりがちで、いわゆる【推し】のSNSや動画を常にチェックすることに忙しくしていた。私の場合、【推し】は全て男性だったので、天海さんのファンの女性とは少し違った感情なのかもしれないが、憧れや、尊敬の気持ちはあった。

友達には、お気に入りとは言え、どうして他人のSNSにそんなに関心があるのか不思議がられたが、『ファンだから』と答えていた。SNSをチェックして反応することを、『応援』と呼んでいた(笑)本音はちょっと嘘。疑似恋愛をしていた。

対面したことのない、あちら側からしたら他人の私。ファンを超えて、【推し】(以下、彼)を異性として見ている自分。なんだかめちゃくちゃ痛いヤツ.だ...!!

純粋に好きで、心から応援していると言える場合は、とても素晴らしく、人間愛を感じて美しいと思える。でも私は、SNSで反応することで少しでも彼に認知して貰いたいという欲求があった。私の気持ちは、憧れや尊敬の感情とともに彼に対する執着で構成されていた。

今だんだんと、執着の脳内麻薬から解き放たれたので、このタイミングで思うことは、特定の『誰か』や『何か』ハマるというのは、一見素敵なことに思えるが、その対象に執着心が潜んでいる場合、自分の時間をいたずらに浪費させる魔物に変貌してしまうということだ。

執着の脳内麻薬で汚染されたときにフォーカスされるのは、自分自身ではなく、執着の対象物になる。自分が置いてけぼりを食ってしまう。私の場合、『私』という主語が、すべて『彼』に変換されてしまっていた。

彼はこれが好きといっていたから、だから私も試そう♪

彼は動画を拡散して欲しいといっていたから、だから私が協力しよう♪

執着は苦しい。最初は気が付かないけど、だんだんとそれに気が付く。なぜなら、自分の思考や行動の原動力が、すべて対象物となってしまい、自力でコントロールができないから。

では、一旦、執着が落ち着くタイミングというのは、どんなときだろう。一般的には、執着していた対象物が手に入ったときや、目的達成したときなどではないだろうか。一見、それで満たされると思うが、この問題は、私はそんなに単純なものではないことを、経験上知っている。

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長くなってしまったので、②に続きます!

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