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川名の療養日記6

やあやあ、こんばんは。

「徒然なるままに日暮し」

という文章をご存知ですか。鎌倉時代後期の貴族、兼好法師によって書かれた『徒然草』の冒頭です。

後にこんな文章が続きます。「硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」

「徒然」とは、別段やることもなくて、手持ち無沙汰な様をいいます。

先程の文章を簡単に現代語訳すると「暇やなぁ。あら、ここにボールペンがあるぜ、エッセイでも書くか。あれなんだか楽しくなってきたぜ」と言った感じになります。

現代の学者さんはこの文章を拡大解釈してこのように捉えています。

「兼好法師は、文頭に『徒然なるままに』を持ってくることによって、これから書く文章は本気じゃないぜということをアピールしているのです。本気じゃないのにマロはこんなにすごい文章が書けますよというアピールをしてているのです。」

なるほど。確かに徒然草は廃れることの無い名作であり、誰しも名前くらいは聞いたことがあるはずです。

しかし、あたくし川名、この場を借りて、世の学者様とは異なる見解を述べさせていただきます。

その名も、「昔の徒然貴族、ガチで暇だった説」です。恐れ多くも提言させていただきます。

というのも、今日の僕がまさにバイオレンス級に暇、エベレスト級に自堕落な1日を療養中のホテルで送っていたからです。

まず、朝起きます。まだ眠いので二度寝をします。起きます。飯を一階に取りに行きます。この時点で億劫ですが、飯を取り逃がすと悲惨なのでしょうがありません。美味しく食べたら、まだ少し眠いので寝ることにします。そもそも4畳半のホテルの一室で人間ができることはだいぶ限られてきます。スマホをいじるのもテレビを見るのも、活字に目を通すことも、音楽聞くのも今日は億劫だったので寝ます。

12時、昼飯の時間です。午前中もっぱら寝てばかりでしたが都合よく腹は減ります。一階に飯を取りに行きます。食べます。食べると眠くなってきたので寝ます。4時ごろ、目を覚まします。もう四時か、早いなと思いつつ、ベッドの上で何をするともなくスマホをいじります。いつの間にか夜飯を取りに行く時間です。夜にはちょっとファンタスティックビーストを観ました

こんな具合で僕は1日の大半を地面と並行になって過ごしていました。

ここまで重力に押し負けた生活をしていると、ある種の罪悪感というか、エネルギーというか謎の力が湧いてくるのです。そのエネルギーみたいのを使って今日の投稿を書いている現在です。

ここで先程僕が至った仮説に戻りましょう。吉田兼好氏も、もうめちゃくちゃに暇だった。考えてみれば、鎌倉時代末期、スマホもファンタビもないこの時代、畑を耕す必要のない貴族が人一人の持つ全精力を駆使して文章を書くということは、何一つ不思議ではありません。

それでたまたま、世代を超えてブッ刺さる作品が生まれてしまったと。「徒然なるままに」、とは自分の現在の状況を赤裸々に告白しただけであり、決して気取った文才アピールでは無かったのです。つまり、マジで徒然だった兼好法師からしてみれば、現代の学者の解釈には失礼しちゃうわというお話です。

さぁ、学会を揺るがす一石を投じてしまったようです。僕のこの文章を学者の方が読んだ暁には、もう両眼から鱗を撒き散らして収まらないんじゃないでしょうか。

まあ、僕が今日一日激暇だったからと言って、気の利いた文章が書けるわけではありません。一朝一夕で事は進まんのです。

いつしか僕の元にも真の徒然が訪れた時、文章という形で何か作れたらいいなと思うわけです。では、また明日🦥







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