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希死念慮の源④

結婚願望がないことについて書くつもりでしたが、その前に、「死にたい」と「なのに死ねない」は矛盾しない心理なのかもしれないということを少し書きます。

前にも書きましたが、安易な自傷行為は本当にお勧めしません。私にとってはそれが唯一の希望だったのです。
駅に入ってくる電車を見ては飛び込むことを毎日考えていた私が、カッターによる自傷を覚えてからは、電車への飛び込みをあまり夢見なくなりました。
死にたいと思って腕を刻み始めたはずなのに、結果として私を生き延びさせる効果があったわけです。それが幸せだったのかどうかはさておき。

不思議だなと思うのですが、死にたいと思って腕を刻みはしていたものの、死のうと思って腕を切ったことはありませんでした。大学生の頃に睡眠導入剤を大量に飲んで死のうとしたことはありましたが(これも意識が混濁しただけで死ねませんでした。量が少なかったのと、あくまでも睡眠導入剤だったからだと思います)、カッターで腕を切っていた時は、これだけじゃしねないのは分かっていました。
「死のう」と「死にたくない」は矛盾するかもしれませんが、「死にたい」は「なのに死ねない」とすごく近くにある気持ちなのかもしれません。

よく「本当に自殺する人は死にたいとか言わないでふっと消えていく。死にたい死にたい言っているやつは死ぬ覚悟がなくて止めてほしいだけのかまってちゃん、死ぬ死ぬ詐欺だ」なんて言われることがよくあると思いますが、私はそうは思わないです。
死にたい、消えたい、私なんかに価値はない、誰の役にも立っていない、私なんて死んだって良い、そう本当に思っているんです。なのに死ねない。死ぬことさえできない私なんて本当に惨めだ。ニュースで見るあの人の代わりに私が死んであげたかった。臓器で役に立つならば今すぐに安楽死したい。
それは本当の気持ちなんです。かまってちゃんなんかではなくて、心の底から叫んでいるんです、「死にたい!なのに死ねない!こんな私はクズだから死にたい!」って。
私は親しい友達にも死にたいなんて話すことは絶対にしないのですが、もしもこの記事を読んでいる人がいるとして、あなたが誰かから「死にたい」と打ち明けられたら、どうかその勇気を否定しないであげてほしいです。アドバイスはいらないです。励ましもいらないです。その人は、心を打ち明けられる誰かがほしいんです。生きている意味ってあなたにとって何?って聞かれたら、聞き返さずに答えてあげてもらえると嬉しいです。もし向こうが何も聞いてこない、話してこなかったら、黙って隣にいてあげてくれませんか。泣いていても、ティッシュを渡して知らんぷりしていてくれませんか。

ところで、私は結婚願望はありません。子供もほしいとは思わないです。
こんないつ死ぬか分からないような気持ちの人間が親なんて子供がかわいそうですし、精神が安定していない親の子供がどれほど辛いか、私は身をもって知っています。友達の子供は可愛いです。でも、きっと私は子供ができたら手をあげてしまうと思います。その痛みを知っているのに。それが習慣化することで子供の心を殺すことを知っているのに。
だから、私は子供はうまないです。
ずっと家で緊張状態で育って、誰にも本心を言えない家だったので、私は家で一人でいるのが好きです。だから結婚願望もありません。
恋愛はしますが、結婚願望も出産願望もない私の恋愛といったら、まぁお察しの通りです。そういう恋愛がまた私の自尊心を抉るのです。恋愛もある意味私にとっての自傷行為なのかもしれません。
私に傷つけられるためだけに生きている私、ごめんなさい。
でももう頑張れない。頑張るとか生きるって、愛されている実感があるからできることだと思います。なら愛されるように頑張ればよいじゃないかって感じですけれど、もう頑張れないんです。私には価値がないから。誰の役にも立っていない。私がいることで誰か嬉しかったり、私がいて良かったって思う人、誰もいない。そういう風に生きてきたから。

ごめんなさい、少しだらだらと書きすぎました。
もう午前3時近くなってきました。今日はこれくらいにして、また続きは改めて書きます。
気持ちを吐き出せる場所があることに感謝します。こんな暗い内容をここまで読んでくださっている方がいるかは分かりませんが、もし読んでくださっている方がいたら、どうもありがとうございます。

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