北朝鮮noteカバー_2_

北朝鮮にあさり買いにいく。(2)

「あさりはヤクザの仕事」
あさりに関わるようになりよく聞く言葉でした。
なぜそう言うのかさっぱり当時はわからなかった・・・

中国の東莞では、水産加工業はかなりの力をもっていた当時の1番の取引はあの寿司屋のチェーンだった。
数千億円にもなる取引高をこの辺鄙な片田舎で叩き出してる。その中の1つ天津なんとかっていう水産会社と取引することになるのだが、まずは5つの家族を周り挨拶をしにいった。

1つ目は同じく大きな水産会社でおばちゃんがド派手に商売していた。おばちゃんキラーの僕としては楽勝で仲良くなり取引の話をまとめる。勢いのあるおばちゃんはぶち込んでくる若い奴は大好きだ。なぜなら普段怖がって誰もそんなこと言わないのですぐに根性あるわね!あんた面白いってなる。

2つ目は、産地証明発行の人だ。中国の東莞ではあさりは生産されていない。数百キロ離れた大連よりの金州で生産されているが農薬問題があり取引がここ数年止まっている。だから北のあさりが最盛期を迎えていた。
つまり産地偽装だ、北朝鮮産のあさりはテロ資金認定されいるので輸入できない。そのため中国産に産地を変えるその証明書を発行する人だ。kgに対し手数料が支払われる。

3つ目は、税関職員。産地証明がその事務所に届き通関のハンコを押す。だだっ広いオフィスにたった3人くらいの人でただファックスにハンコおしてるだけだ。聞くと、家族の商売だからと答えてくれた。たまに大連とか北京から人がくるが結果すぐに本拠地に追い返されるそうだ。みな朝鮮の血が入ってる。

4つ目は、あさりをいれる麻袋をつくる会社だ。これは北朝鮮にあって膨大な数の麻袋をつくっている。
使い切りなので、いつかなくなってしまうんじゃないか?と心配になるぐらい使われる。これも北朝鮮で外貨を稼ぐ手段なのだろう。支払いは中国元で、その次はドル。北朝鮮通貨はまったく利用しない。作ってるところはさすがにみれなかたなんせ夜中なので夜中渡し船がなかった。

5つ目は、あさりの保管倉庫とコンテナ配送の会社だ。つまり荷詰めから配送までは1つの家族で運営している。そもそも東莞に配送会社はここしか存在しない。東莞から仁川へでてそのまま釜山まで陸送され日本へ入るその後、熊本の浜へ沈める。

では生産地はどうなのか、生産地は3つの会社で運営しており1社の社長の家を見せてもらったが莫大な敷地すぎてどうしようもないぐらい金持ちだ。数代続くの金の源泉を持ってると思う。正直オイルよりも魅力的に感じるだろう。

顔合わせも終わり次は、「資金」だ仕入れ資金がいる。
1コンテナは約350万円ほどかかり、だいたい5〜7コンテナ出荷する程度の金がいる。
つまり3000万ぐらいの種銭が必要になるわけだ。それが約5日〜6日間で運ばれ現金になる。
利益率は、10~18%ぐらいで週に2便発送できることになることがわかった。
あさりの時期は、10月後半から4月前半ぐらいまで続く。旧正月の2月の2週間はまったく動かない。
気温が下がりすぎても動かない、風が強くても動かない。かなり不安定だ。

その資金を当時お世話になっていた、昔闇金の帝王といわれた社長にお願いすることにした。
この社長には、ほんとうにお世話になったうえに商売の仕方よりも商売との向き合い方を教えてもらったことに感謝している。日本へきたら必ず家に泊めてくれて飯も食わしてくれる最後は一緒に引っ越して数年一緒に生活してたのがいい思い出でだ。事業を説明すれば必ずお金は用意してくれると確信が僕にはあった。
僕もそうだが、毎日なり週単位でお金が動く商売が好きだ。修正がきくしお金がたまりやすい。
そうして出資3000万の元手が確保できた。

最初の取引は3コンテナだったのを覚えている。まずは資金を日本から送金した。
三菱から丹東の会社へ。すると、送金をロックされた。「北朝鮮への資金送金の疑いあり」。
しばらくロックは溶けそうにないと判断して、大連へ飛び陸路で東莞へ向かうことにした。
最初からトラブルだった。 大連から陸路で行く方法がわからないので白タクを交渉して東莞までいくことになる。すると高速道路の途中で降りて上にタクシーがくるからそれに乗り替えろと言われる。生まれて初めて高速道路で乗り換えした。なんでも経験してみるもんだ。しばらくすると、お馴染みの中国ポンコツタクシーがやってきて3人相乗りで目的地へ向かう。現金を彼らにわたし取引開始だ。積み込みまで確認して、日本へ通関書類を発送して終わり。たった2時間もかかならい仕事だ。 

その夜は、地元の連中と歓迎会で一席。北朝鮮系の店にいくことに。給仕してくれる女性はみな北朝鮮からの人で脱北できないように1人が逃げると家族もろとも罰が与えれる。当時、彼女たちの幸せは地元中国人の嫁になり結納金を政府に払うことだ。それで彼女は人並みに生活を手に入れてる。イチゴ農家の金持ちが口説いていたのを今でも思い出す。

その後、すぐに大連に戻り大連から熊本の浜へ最初の荷が届くのをチェックしに行く。80人近い地元農家の方が有明の浜に均等にならべられた麻袋に釜で切り込みをいれ袋を回収していく。
朝になれば貝は砂の中に隠れる。 生きてる貝は沈み、死んでる貝は、沈まない。それを仲買が目分量でみて歩留まりを計算して金が払われる。

仲買人の気分次第だ。

気にいらんかったら全部掘り起こしてもって帰って!って言われる。
相当な関係がなければ取引なんかそもそもできないことを知る、この仲買と漁業組合長がババァの親戚だったからできた仕事だと思うが。翌朝の漁場にむかう途中その仲買の息子に送ってもらい息子の携帯に親父から電話がかかってきた。運転中だったのでスピーカーにして
「谷内田さんとこの貝たぶん80ぐらいやと思うが、60ぐらいやと言うから話あわせとけよ。」と言って電話がきれた。これがヤクザの仕事だなと思った。さっそくババァに連絡してこんなこと言われたと言ってババァがギャーギャー言ったのでとりあえず利益をだしてまた買い付けに中国へもどった。
こんな駆け引きを毎週やるのかと思ったらゾッとしたが素人が騙されるのは常だと思い僕は別の漁場を探して帰ることにした。

つづく


40才になったので毎日書く修行です。