見出し画像

「週刊朝日」2023年1月20日号に小松理虔『新地方論』(光文社新書)の書評を書いています。

地方か都市か。長らく議論されてきたそんな二項対立的な問いは、都市/地方に関するステレオタイプを強化してしまうだけではないか。大事なのはそのグラデーションの「間」で考え続けることだ。ローカルアクティビストとして福島で活動し続ける著者は、そう言います。

地方で暮らしながら、その土地でかたち作られるアート、スポーツ、あるいは書店の現場を観察する著者は、そこに自分だけの居心地の良さが織りなされる空間を発見していきます。伸びやかな創造性、風通しの良いコミュニティの力、孤独を癒す繋がり。都市に生きる人々の喪失した、地方にみなぎる生きるための源泉が窮屈な関係性を解きほぐすきっかけを与えてくれているのが、本書からはわかるのだ、みたいなことを書評には書きました。

「自分だけの居心地の良さ」とは、アメリカの社会学者レイ・オルデンバーグが提唱した「サードプレイス」という概念が照らし出すものです。「サードプレイス」とは家庭でも職場でもない、第三の自分だけの場所。著者はこの概念を視座に地方を眺め直し、地方空間を捉え直していくわけです。

僕も折に触れて、「サードプレイス」を掴み直す必要性についてかんがえてきました。なので、本書はまさに我が意を得たりという感慨を与えてくれました。コロナ禍で居場所が失われ、フォースプレイスと呼ぶべきSNSの居心地が悪くなった現在だからこそ、サードプレイスに実存を預ける必要があるのではないでしょうか。そのヒントを与えてくれるような一冊です。

***************
付記

コロナ禍が始まり僕は長かった東京での生活をやめ、生まれ故郷である千葉のある街に戻ってきた。千葉が地方かどうかは置いておいて、郊外での生活の、東京暮らしとのギャップに今もたまにじぶんで驚く。

趣味のフットサルをやるために車で産業道路を走り、途中でバイパス沿いにあるドライブインの餃子の王将で昼メシを食い、帰りは渋滞を避けて市街地をぐるっと迂回しながら、街の中心から離れた場所にあるラーメンを食べて帰る。そんな休日の過ごし方は東京にいた頃はあり得なかったなあ。

個人的な感覚だし、それが「正しい」ライフスタイルだとは思わないけれど、僕にとってはこっちの方が「自由」な気がする。ただしフットサル前に餃子を食べるとプレー中にいろいろ込み上げてくるので要注意。

という近況報告でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?