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独身子無の老後④

ネゴっていても破棄される

うちの伯母の場合はあらかじめ「お願いね」と頼んでいた方に裏切られ、さんざん悪口を言っていた私に結局はお鉢が回ってきました。
時折「私のマンションはあげるわね(その代わりに介護よろしく)」と餌をちらつかされました。

お察し~

その後、親戚の男の子が看護師の彼女ができて、どうやら結婚するかもってなったら「マンションは彼に譲ろうかと思う」って言って、私のお役目は終了となりました。

しかしその後、親戚の男の子は彼女とお別れ、自暴自棄になってなのか、もともとそうだったのかは分かりませんが、生活保護を受ける生活へ突入。
連絡先もわからなくなり、地元には居るものの行方不明となりました。

その後は弟のように慕っていたIさんを頼り、住んでいたマンションは売却、持っていた不動産も売却して現金に換えて生活していました。

年金もそれなりにありましたが、好きなだけ使いまくる生活。
だんだん貯金は心もとなくなってきていましたが、本人は大丈夫と思っていたようです。
実際大丈夫でしたが、いつ亡くなるかわからない、もう一年長生きしたらどうだったのか?です。

私も遺産相続で揉めた母親でしたが、血縁者ということで面倒は見なくてはいけないな、と思っていました。
義姉はあてにしていませんでしたが、あんなにお金もらうのならお世話してよね、と思っていましたが、うまい具合にお金だけもらってトンズラ。
上手よね~敵ながらあっぱれでしたよw獅子身中の虫

兄の子供、私からしたら甥と姪ですが、二人ともきちんと母親から洗脳されていたので、風呂に入らず汚い認知症の母親と金に汚い娘と刷り込みができていたようです。
連絡は一切ございません。ハイ
何度か「父の遺産は母の面倒を看るお金ではないですか?お金をもらうなら母の面倒看てください」とお願いしましたが「遺産ではなく退職金として受け取ったのでお門違い」と・・・
退職金なら父も母ももらってないのですが、それに対してはどう返答するのでしょうか?
退職金の規約はどこにありましたか?と聞いたけどNo Answer。

伯母も自分の家を売り、I宅へ行くはずが行けなくなり、一人暮らし・・・80を優に超えた持病アリ。
「いまさら市営住宅なんて・・・」
情に訴えて親戚(うち)の家に来ましたが、身の振り方をきちんとしておくべきだったのではないかと思いました。
それに、行きたくない、ではなく、選択肢がもうないのだ、と理解しておかなければいけなかった。
施設に入りたくない→いいところかもしれないのに
ケアマネも「居心地よくて、楽しくされている方たくさんいますよ。以前の偏見は捨ててください。一度見に行きませんか?」と言われてもIさんにうっかり施設に入れられそうになった経験からか「行きたくない」でした・・・

自分たちの世代はまた変わるだろうけど、私も子無。
早めに施設に入らなければと思っています。

まだ伯母が元気な時にヒアリングしました。
そして本家、妾家、親戚の関係図をカレンダーに書いて、伯母の年表を作り、必要とあればそれを持参し説明しました。
お墓の手続きの時は「わ~わかりやすいですね。助かります」と言われました。
ホスピスでは伯母の人となりを聞かせてほしいとのことで、作った資料が役立ちました。

何かと言っては「拝み」の人でした(笑)
兄はよく「伯母さんはコレ(顔の前で手を合わせる)やけの」と。
何かあればご先祖様に手を合わせる。
うちは妾の家の家系だから、私は結婚は諦めた。
そういう運命。
仕方ない。
それが口癖でした。
変えようと思わないの?
なんで仕方ないの?
私も独身だったので、将来伯母のようになるんだと思って参考にしていましたが、ちょっと待てよ?だめじゃない??って思うようになり、自分は自分で好きなように、選択肢はたくさん持っておこうと思いました。

伯母は親代わりの方のお世話できて幸せだったと思う。
子供が居なかったから弟の子供(私や兄)、親戚の子供をかわいがってくれた。
それは感謝。
編み物教えてもらってありがとう、です。
でも「腹黒い娘。まーちゃん(兄)からあんた(私)がどれだけ汚いことしとったか聞いたよ。言わないけどね!」なんじゃそれ?
言ってください、かまいませんよ、と言ったら「いんや、それは言わん」
Mさんに同席の場でそんなこと言って、Mさんが「本人が言ってほしいと言ってるから言われたらどうですか?」に対して「あんたもいい年してるのに、こんな小娘にのこのこついてきて。この子がもらうお金から手数料いくらもらうんですか?」と母の横やり。
はぁ・・・
どんだけ評判悪いん、私(苦笑
伯母もMさんに背を向けて「連絡先書いてちょうだい」って失礼な・・・
Mさんはわきまえた方なので「私も後期高齢者、働いていますが名刺はありません。自営業です。自宅の連絡先書いておきますね」と終始低姿勢で数時間相手してくれました。

しかしI宅とのいざこざ以降「Mさん」「Mさん」と頼る人がIさんから→Mさんに代わりました(笑)なんちゅう風見鶏
Mさんは「あんなに言われたのに・・・もう覚えてないんやろか?頼られるこちらが恐縮するばい」
だよね・・・
老女達にとって年下の頼れる男性が現れました。

母は友達に「Mさんって言って70代の男性なんやけどね、よくしてくれるのよぉ~」なんて自慢してました。
それを聞いたお友達は「私も相談事があって・・・Mさん話きいちゃらんやろか?」ってオイ・・・
ちゃっかりMさんに相談していました。
Mさんには、仕事じゃないので、適当にあしらってください。
邪魔でしょう?と聞くと「うん・・・確かに昼間に一時間二時間電話でつかまるとねぇ。忙しかったら断るよ、今度から。同じ話の繰り返しが最近多くなったよ。気を付けないとね」と観察記録を教えてくれました。
「それから、家に訪ねてくる人。お金をよく渡してるみたいだから・・・多めに。注意してね」観察鋭い。

確かに自営業だったせいか、気前よく見せたいのもあり、プレゼント好き、おつりはいいよ~的な。
指摘すると「あんたに言われたくない。私が自分のお金をどう使おうと文句いいなさんな」でした。
伯母は見て見ぬふり。
母が勝手にしていること、ただ、自分が支払いをするのは嫌がってました。
二人で店屋物を取る。
二人で食べる食材を買う。
店屋物は伯母は健康的ではないと反対。できるだけ手料理をしていました。
母は店屋物好き。
二人で食べる食材を人に頼んで買ってきてもらうときは多めに買って、購入者へおすそ分け。
そのおすそ分けが、おすそ分けではない、同じ分お渡しするのは多すぎますよ、とケアマネが注意すると「チクリ魔が!あの人本当に嫌な事しか言わんのや&%y5=~$H#」とこれまた激昂していました。

伯母の死期が近くになると優しくできたように思いますが、果たして・・・
やり残した感はぬぐえない
どう接していいかわからなかった
でも誰かが何かをしなければいけなかった
期限はわからない
介護は本当に後悔が多いと思いました

伯母も入院が長かったので、今家に居ないのも入院しているような気がしています。

納骨も済ませましたが、家に飾ってある写真。
大きいのは要らなかったな。
棄てるに捨てられない。
小さい写真だけあればよかった。
位牌も要らなかった。
私どうすればいいの?
お断りしたんだけど「プランに入ってますからありますよ」って。
戒名も要らないんだけど・・・
これまでのしきたり通りにされちゃった(;・∀・)

夜伯母がトイレに行くとき、足が悪かったから「どすん、どすん」とゆ~っくり行く音が廊下に響いて二階まで聞こえてた。
ああ、トイレか。しばらく私は行けないな。
そしてまた「どすん、どすん」とリビングへ戻る。
トイレが重なった時は「え~音がする・・・><漏れそう」と思いつつ我慢してました。
なんで自分の家なのにこんなに遠慮せないけんの(T_T)でした。
花いちもんめで「おじいちゃんの臭いなくなっちゃったね」とかいうセリフがあったような。
自宅で介護、大便を処理した後の臭いが家に充満。
おじいちゃんが亡くなりその匂いがしなくなって・・・
物悲しい。
うちもそんな感じだったかな。

母が認知症でよかったかもしれない。
義嫁に裏切られたことも、自分の法定相続分は渡したけど返してもらったって思ってるのも、ひどいこと言ったのにMさんを頼っていること。全部自分の都合がいいように考えてる。
ただ、私が時折言う自分に不利な事には徹底的に怒ってくる。
お母さん、どうしちゃったのですか?

昔から仲は良くなかったけど、まだまともでしたよ。
昔は毛嫌いしていましたが、最近は母を許せるようになってきていました。
それもMさんが「伯母さんが話してくれたんやけどね、あんたのお母さん、家事はほとんどできないらしいよ。お父さんが亡くなる前伯母さんにそんな調子だから手伝って欲しいってお願いされたそうよ。心当たりある?」
あります・・・
なぜか朝食食べているときに拭き掃除はじめほこりが朝日できらきら部屋に待っている中、私はもぐもぐ食べなきゃいけなくて。
なんで今掃除すんの?怖くて言えませんでした。
母の手料理は天ぷらくらいしか出てこなかったけど、働いて作る時間がないからってことになってて、結局家事のほとんどは私がしていたこと。
「私、カレー一度も作ったことないのよ~オーホッホッ」って自慢じゃないよ、そんなこと><

祖父母の生前は家事は祖母がやっていたこと。
祖母が老化でできなくなったらその役割が私にチェンジしたこと。
心あたりはたくさんありました。
「適当な仕事しかしてないくせに。家のことやりなさい」と働き出してからも言われた事。
福岡に住みだしても毎週北九州へ戻って家事をあらかたしていたこと。
一人暮らしがこんなに楽なんて申し訳ないとずっと思っていました。
母は「当然でしょう?」
一週間分の魚屋の洗濯物。夏は特に臭いがひどくて・・・
父は申し訳なさそうで。
父はわかっていたんだ、と・・・
亡くなって数年後にMさんの口から聞かされるなんて・・・
おかしいな、と思っていたことがストンと腹落ちしました@京寿司
わかったとたん涙が落ちそうになったけど、食事中だし、悟られてはいけないとモグモグお寿司をほおばりました。
Mさんにも言いにくいこと言わせちゃって(m´・ω・`)m ゴメン…

一時間待った京寿司はおいしかったけど、切な~い味でした。


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