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独立愚連隊始末記:第1章「独立愚連隊シリーズは存在したか?


はじめに

 今回より「独立愚連隊始末記」と題して、不定期更新ですが、12回にわたって、岡本喜八監督の戦争アクション映画『独立愚連隊』(1959年東宝)から始まる、いわゆる「独立愚連隊シリーズ」を徹底検証してゆきたいと考えています。

 一応、各作品の考察ではストーリーなどに触れますが、昨今問題となる「ネタバレ」を避けることで、考察が上手くできないということもありますので、各章ともネタバレはあるものと、ご理解のほどお願いします。

 少々真面目に書いているので、やや硬い印象があるかと思いますが、小生のスタイルがこのようなものなので、どうか、ご勘弁いただきたくお願いします💦

 出来るだけ多くの方々に読んでいただきたいと思いますので、無料開放で最後まで公開してゆきたいと思います。
 引用に関しては、出典を明示をよろしくお願いいたします。

 それでは拙い拙筆ではございますが、最終章までお付き合いいただけますよう、よろしくお願いします。
それでは、独立愚連隊の足跡を辿る旅に出ましょう!

♪西か東か南か北か〜
どこへいってもハナツマミ、ウェイ!♫

私の映画論考はまさに愚連隊マーチそのものでして、おてやわかに(笑)💦

永田喜嗣(戦争映画研究家)

「独立愚連隊始末記」
第1章「独立愚連隊シリーズは存在したか?」

1、岡本喜八監督の見解

 もう27年前のことになる。
 筆者が仕事で岡本喜八監督と数日間ご一緒させていただいたときに、ずいぶんと監督の映画についてお話を伺う幸運に恵まれた。(1)
 その対話のなかで「独立愚連隊」の話が出たときである。筆者は「独立愚連隊シリーズ」という言葉を使ったのだが、岡本監督は、これを少し苦笑されて否定された。
 わたしは『独立愚連隊』から『血と砂』まで独立愚連隊シリーズであると認識していたので、岡本監督にそのことについて尋ねてみたのだ。

 すると岡本監督は
「犬とか猫とかあったよねぇ。(笑)あれは愚連隊じゃないよ。『血と砂』も愚連隊じゃない」
と複雑な笑みとともにおっしゃった。

 ここで出てきた、「犬とか猫とか」という発言は、岡本監督の後を受けて、他の監督が撮った「独立愚連隊シリーズ」のなかの『やま猫作戦』(監督:谷口千吉)と『のら犬作戦』(監督:福田純)を指している。

 じゃあ、どこまでが愚連隊シリーズなのかと、筆者は監督に尋ねてみたのだが、監督は『どぶ鼠作戦』もそれに当たるかどうかというと、それは違うとおっしゃったが、強いていうならば『独立愚連隊』『独立愚連隊西へ』の二本であって、三作目の『どぶ鼠作戦』と『血と砂』は単純に「戦争映画」であるとおっしゃった。

 筆者はこの話を聞いて少し驚いた。
 シリーズ四作目となる『やま猫作戦』以降は岡本監督の作風や意図からは外れた作品になっていたことは、筆者にも理解できる。
 『独立愚連隊』的世界観を借用した作品であり、これは岡本監督の映画ではない。
 最終作とされる岡本監督の『血と砂』は少なくとも独立愚連隊シリーズの一作と呼べるのではないかと考えていたが、監督はやはり、「あれも愚連隊じゃないよ、あれは戦争映画だ」とおっしゃった。

 まずここで、一つの疑問が浮上してくる。
 そもそも、映画ファンの間で、流布している独立愚連隊シリーズという認識が果たして適切であり、確立しているのかという問題である。
 筆者にとって、この点は疑問であった。
 しかも、愚連隊の生みの親である岡本喜八という映像作家の個人の考えとしては、独立愚連隊シリーズは存在しないという認識だったのだ。

 これは、この時から、筆者が独立愚連隊シリーズに向き合う上で、少なからずも頭を悩ませる問題となった。

 なぜなら、筆者自身は岡本監督が否定されても、現に独立愚連隊シリーズが映画評論家や映画ファンのなかでは少なからず確立していると考えていたからだ。

 そもそも、「独立愚連隊シリーズ」という概念はどこで成立したのだろうか。
 シリーズと認識されているということは、少なくとも一つの流れとして、作品群が存在するということだ。
 まず、「独立愚連隊始末記」を進めるにあたって、この問題から考えて整理してみたい。

シリーズ原点である『独立愚連隊』

2、キネマ旬報の「独立愚連隊シリーズ」認識

 1973年に刊行されたキネマ旬報の『日本映画作品全集』のなかで、『独立愚連隊』の項目は「独立愚連隊シリーズ」とされている。
 このなかで『独立愚連隊』と『独立愚連隊西へ』がまず挙げられ、タイトルのみ『やま猫作戦』、『独立機関銃隊未だ射撃中』、『のら犬作戦』、『血と砂』が示されている。
 ここでは「独立愚連隊シリーズ」は計7本とされているが、これは単純な誤記だろう。
 ここに挙がっていない作品は岡本喜八監督の『どぶ鼠作戦』と坪島孝監督の『蟻地獄作戦』となるのだが、これを加えると計8本となるからだ。(2)

 しかし、キネマ旬報の『日本映画作品全集』では明確にされていないものの、『独立愚連隊』から『血と砂』までを「独立愚連隊シリーズ』と認識していたことは確かである。

 キネマ旬報の「独立愚連隊シリーズ」なる区分けで、作品を並べると次のようになる。

●独立愚連隊シリーズ

1、『独立愚連隊』(59)岡本喜八
2、『独立愚連隊西へ』(60)岡本喜八
3、『どぶ鼠作戦』(62)岡本喜八
4、『やま猫作戦』(62)谷口千吉
5、『独立機関銃隊未だ射撃中』(63)谷口千吉
6、『のら犬作戦』(63)福田純
7、『蟻地獄作戦』(64)坪島孝
8、『血と砂』(65)岡本喜八

 一方で、キネマ旬報は『やま猫作戦』公開時に、この作品の紹介で、前作『どぶ鼠作戦』に続く「作戦シリーズ」と記している部分がある。シリーズとするにも『やま猫作戦』は二作目となり、その後のシリーズ展開はこの時点で、未知数であったが、独立愚連隊二作品とは切り離していたことがわかる。
 
 確かに『独立愚連隊西へ』と『どぶ鼠作戦』の間には2年間のブランクがあり、似た設定の作品であったとしても、別の作品の流れと見ることもできよう。
 ただ、東宝の宣伝部は『どぶ鼠作戦』の宣伝文に「愚連隊魂」という文言を使用しているので、「独立愚連隊」二部作と関連付けていたことも確かではある。

3、「独立愚連隊シリーズ」と「作戦シリーズ」という認識

 2022年に東宝ビデオが自社ブランドとして初のDVD化として『やま猫作戦』、『のら犬作戦』、『蟻地獄作戦』の三作品をリリースした。(3)
 このDVDのジャケットの装丁が、先にリリースされていた『どぶ鼠作戦』とあわせたものであり、東宝ビデオはDVDのリリースの際にこの四作品は同系列のシリーズとして扱っていることは確かである。
 はっきりとは示されていないとはいえ、東宝ビデオのジャケットデザインの統一性から類推すれば「作戦シリーズ」という分類で認識していることになる。

東宝ビデオのパッケージ
「作戦シリーズ」を想定したと考えられるパッケージ

 少々乱暴ではあるが、東宝ビデオのジャケットデザインの統一性から観察して、シリーズ分けをすると次のようになる。

●独立愚連隊シリーズ
1、『独立愚連隊』(59)岡本喜八
2、『独立愚連隊西へ』(60)岡本喜八

●作戦シリーズ
1、『どぶ鼠作戦』(62)岡本喜八
2、『やま猫作戦』(62)谷口千吉
3、『のら犬作戦』(63)福田純
4、『蟻地獄作戦』(64)坪島孝

○ 『独立機関銃隊未だ射撃中』(63)谷口千吉
○『血と砂』(65)岡本喜八

 この分類になると、筆者がが岡本喜八監督から「独立愚連隊シリーズ」なるものは存在しないと聞かされた、岡本監督の意思に近いものとなる。

 加えて『蟻地獄作戦』の後、1966年から1967年にわたって放映された岡本喜八監督監修のテレビシリーズ『遊撃戦』も作品の設定から「作戦シリーズ」のテレビ版として捉えることもできるだろう。

4、他のシリーズ分類の可能性

 シリーズの分類についてはこれまで述べた二つだけではない。
 例えば、物語の舞台設定において規定することもできるだろう。「独立愚連隊シリーズ」の全てが第二次大戦中の中国大陸を舞台にしており、ほぼ全てが中国北部での北支戦線を舞台にしている。その中から外れる作品は『独立機関銃隊未だ射撃中』で、これはソビエトの国境付近の「満州」が舞台で、敵も中国人ではなく、ロシア人だった。
 特に『独立機関銃隊未だ射撃中』は『独立愚連隊』とは異なった趣きの作品であり、先に述べた東宝ビデオの分類や、Wikipedia日本版における扱いでは「愚連隊もの」からは外されている。

重厚な反戦映画であった『独立機関銃隊未だ射撃中』
「愚連隊もの」に通底するユーモアはここにはない。

 また、出演俳優での分類も可能である。全ての8作品を「独立愚連隊シリーズ」とするならば、第一作から主役、準主役を務めていた俳優佐藤允の存在があげられるだろう。
 佐藤允は9作品全てに出演しており、第一作の『独立愚連隊』は主役であり、まさに愚連隊シリーズの顔であった。『どぶ鼠作戦』、『やま猫作戦』、『のら犬作戦』などの「作戦もの」でもエネルギッシュな演技で主演を果たしている。「作戦もの」のテレビシリーズでも同様であった。
 佐藤允の出演という共通項で全ての作品を「独立愚連隊シリーズ」と一括りにすることも可能である。

佐藤闘介著『その男、佐藤允』
俳優、佐藤允を中心に東宝映画の黄金時代の秘話や証言が満載で愚連隊ファンにとっての必携の書

 なお、俳優、佐藤允のご子息であり映画監督でもある、佐藤闘介監督は、その著書『その男、佐藤允』のなかで次のように記して、「独立愚連隊シリーズのユニークな定義を試みていることも興味深い。

 東京の名画座ラピュタ阿佐ヶ谷での佐藤允追悼特集の際、独立愚連隊・佐藤亮のお葬式で終わるこの作品を、僕は最後に上映しました。『やま猫作戦』は、テレビ『遊撃戦』を含む愚連隊シリーズの、完結編なのかもしれません(5)

 確かに『やま猫作戦』は『独立愚連隊西へ』以来、独立愚連隊風の集団「監視哨小隊」が登場するので、他の「作戦もの」よりも独立愚連隊の色彩が強い。(これについては第三章で再度検証したい)
 死んだはずの一色中尉が『蟻地獄作戦』で再登場する以降の展開を考え合わせると、佐藤監督の『やま猫作戦』を完結編とする観察は、そこで一旦、シリーズ完結して分断されて、『独立愚連隊』のリライトである『のら犬作戦』と一色中尉が復活した『蟻地獄作戦』が番外編となる見方も成立すると考えられるからである。(4)

5、独立愚連隊シリーズとは?

 ここまで、独立愚連隊シリーズは存在したのかの問題について考えてみたが、『独立愚連隊』と『独立愚連隊西へ』を独立愚連隊シリーズとし、『独立機関銃隊未だ射撃中』と『血と砂』を除く『どぶ鼠作戦』から『蟻地獄作戦』までを「作戦シリーズ」と位置付ける分類が実相には近いと考えられる。これは岡本喜八監督の認識の証言と最も近い分類ともなる。

 一方で、岡本喜八監督作品の熱心なファンでも知られる映画評論家の小野耕世は自身の岡本喜八論で、次のような記述をしている。

 「独立愚連隊」の流れは、「独立愚連隊西へ」「どぶ鼠作戦」まで続き、あとは、福田純、谷口千吉などにひきつがれるれるのだが、映画はまったく別のものになっていくのだった(6)

 小野が述べているように「独立愚連隊シリーズ」はやはり後の「作戦シリーズ」とは連関しているのは事実であり、『独立愚連隊』という「発明」がなければ、残りの7作品は生まれなかっただろう。
 全て8本の作品を今一度、「独立愚連隊」シリーズとして捉えなおして、各作品を考察しつつ、このシリーズを日本戦争映画史の一つの流れとして観察するのも有意義であるのではないだろうか。

 「独立愚連隊シリーズ」を総括する作業をこの「独立愚連隊始末記」で一つの考え方として示してみたい。

 次章では、独立愚連隊の誕生における思想について、考察してみることとしたい。

(「第2章 岡本喜八と独立愚連隊の思想」へつづく)

(1)1996年、愛媛県松山市で開催された「まつやま国際交流映画祭」にて、筆者はその期間中、映画祭のゲストとして招待された岡本喜八監督の付き人として随行したことによる。
(2)『日本映画作品全集』キネマ旬報社、1973年、180-181頁
(3)これ以前にはディアゴスティーニ刊行の「東宝・新東宝 戦争映画DVDコレクション」にて、同三作品はDVD化されているいるが、4:3画面のLB仕様で、東宝ビデオからのリリースは16:9のワイド仕様での初のリリースとなった。
(4)『やま猫作戦』では一色中尉は佐藤允が演じていたが、『蟻地獄作戦』では仲代達矢に交代されている。ここは愚連隊ファンとしては、ミスキャストの感は否めない残念な点である。
(5)佐藤闘介『その男、佐藤允』河出書房新社、2020年、184頁
(6)小野耕世「暗黒街の弾痕と運動神経」『映画宝庫第9号 日本映画が好き!』芳賀書店、1979年、198頁

⭐️ちょっと各章長いので、恐縮です💦
この後の「独立愚連隊始末記」の予定です
変更にある可能性もありますので、よろしくお願いします。

第2章 岡本喜八と独立愚連隊の思想

第3章 『やま猫作戦』一色中尉と英雄戦争譚への転換

第4章 『独立機関銃隊未だ射撃中』純正反戦映画としての愚連隊の可能性

第5章 『のら犬作戦』独立愚連隊への回帰への挑戦

第6章 『蟻地獄作戦』作戦シリーズと独立愚連隊の終焉

第7章 『遊撃戦』ブラウン管での作戦シリーズの完結

第8章 『血と砂』独立愚連隊シリーズ最終作は存在したか?

第9章 『独立愚連隊西へ』愚連隊シリーズを分けた分岐点としての第二作

第10章 『独立愚連隊』原点に見る独立愚連隊という存在

第11章 その後の独立愚連隊−生き続けた愚連隊

第12章 それは「独立愚連隊」から始まった〜にっぽん戦争アクション映画の可能性

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