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【短編小説】勇者の日常(#itioshi)

《約2300文字 / 目安5分》


「若き英雄! 19歳の青年が大悪党を滅ぼす!!」

 あれから10年が経ち、そんな見出しも最近では見なくなった。

 特注のダイニングテーブルでコーヒーを片手に、窓から差し込む光で新聞を読む。世界は平和になったなと感じて、気持ちよく新聞をとじる。ありがとうと言葉に出す。これが俺の毎朝のルーティンだ。

 10年前のことはよく憶えている。俺が剣を握り、悪魔を滅ぼすまでの、長く苦しかった道のりを忘れることはなかった。10年経った今でもフラッシュバックするほど俺の体に刻まれている。

 今日はよく晴れている。俺は鼻歌を口ずさみながら、お気に入りのレコードを棚から取って聴いた。

 平和ってこういうことなんだろう。なんてことのない日常に、晴れた空、気持ちのいい気分に、好きなレコード。平和を守りたいと切実に思う。だけど、今の俺にそんな自信はなかった。

 レコードを変えようと思って立ち上がろうとしたとき、ドアをノックする音が聞こえた。もうそんな時間かと時計を確認して、俺はドアを開き彼をダイニングテーブルに招いた。


「今日も来たのか」と俺は言った。

「ああ。お前、また今日もこんな淫らな手紙がたくさん届いていたぞ」と彼は手紙の束を持って見せた。

「持ってこなくていいよ、そんなもの」

「こんだけモテてんのによ、なんでお前は誰とも婚約しないんだ?」

「俺は他人を幸せにできる自信がないんだよ」

「大悪党を滅ぼし、世界を平和にした若き英雄だっていうのにか?」と彼は言ってため息をついた。「お前はどうしてそんな臆病になってしまったんだ。お前があの悪魔を殺してから、この10年間、オレは総統を務めた。だけどこの10年間、それはオレの役割じゃあなくて、お前の役割だったと信じて疑わなかった」

「俺は世界を平和になんかしていない。あくまで元凶を取り除いただけだ。その後のことはすべて君任せ。平和にしてくれたのは君だよ。感謝している」

「感謝なんていらないんだ。オレはお前に総統をやってほしいんだ」

「すまないが、俺にはできない」と俺は言って席を立った。

「どうしてだ? お前の強さと仲間想いなところは誰よりもオレが知っている。お前が総統になるべきだ」

「今日も喋れて嬉しいよ。またいつか」

「またそうやってオレを帰らして逃げるのか?」と彼は言って俺に近づき、肩を強く掴んだ。「目を覚ますんだ。あの女のためのお前じゃなくて、悪魔を滅ぼすと決めた日から、世界のためのお前になったんだ。それは一緒に旅をしているときから気づいていたはずだ」

 俺は言い返すことができず、ただ黙っていることしかできなかった。

「家にこもっていないで周りを見てみろ。今でもお前を望んでいるやつは山ほどいる。お前みたいな臆病なやつを、いまだに信じているやつらが大勢いるんだ。いきなり総統にならなくたっていい。オレは、またお前と一緒に、世界を平和にしたいんだ」と彼は力強く言った。

「今の俺に、世界を平和にする力なんてものはない。すまないが今日は帰ってくれ」


 鍋の蓋を開けると、そこには宝箱を開けたような感動があった。湯気がもくもくと立ち昇って、膨れ上がったお米は宝石のようだった。近所の農家さんからもらった特産のお米で、もっちりとしていて甘味の強いお米であるそうだ。気づけば口からよだれが垂れていた。

 お米を茶碗に盛る。そこに卵を流し込み、醤油をかける。そして一気に搔きこむ。それらを3回ほど繰り返した。

 お茶を一杯飲む。

 窓からは月が見える。昨日とは違い、月に陰りはなく、眩しいほどに光っていた。月を眺めながら、俺は日中のことを思い出した。彼は帰り際にこう言った。

「オレはお前を信じている。あとはお前が自分を信じるだけだ」


 時計の針は0時を指していた。俺は寝室に入り、ベッドの横の机で紙を広げ、ペンを握った。

 俺は10年間、毎日、返事の来ない彼女の元に、手紙を書き続けている。


「今日はよく晴れていて、気持ちのいい一日だった。今日もまたアイツと話したよ。いつもと変わらない話をしたが、今日は一段と熱が入っていた。アイツと俺には共通点がある。それは平和を守りたいという意思だ。そして相違点がある。それは自信だ。
 俺はあの悪魔を10年前に滅ぼした。でもそれは俺の力ではなくて、君の力だった。君がいなければ俺はあの悪魔を滅ぼすことなんて、考えもしなかった。そう言えるのは、今の俺がどうしようもなく弱虫だからだ。それは君のせいだなんて言っているわけではないんだけど、ただ、君がいないこの世界で俺は何もできる気がしないんだ。
 アイツが言う、俺の強さはもう無い。君がいないと俺は無力だ。
 なんてことのない、いつもの日常、それがたまらなく俺にとって嬉しい。そんな日常、平和を守りたいとは思うんだけど、俺にはその自信が無いんだ。
 でも、このままでいいのかって思うんだよ。
 君は憶えているかな。俺が旅に出る前、君はこう言ってくれた。私はあなたを信じているから、あなたも自分を信じてって。アイツにも似たようなことを言われて、それで、君から言われたことを思い出しちゃったよ。
 月は毎日、形を変える。それと同じように、この世界も毎日、形を変える。だから俺も、変わろうと思う。まずは自分を信じてみるよ。
 君がいなくなってからもう10年が経って、いまだに俺は君を引きづっているらしい。そんな俺を君だけはどうか許してほしい。頭を撫でてほしい。そして、𠮟ってほしい。
 また明日も手紙を書くよ。愛してる」

 そうやって俺は、ベッドに入った。いつもと違う感情で、次の日を迎えた。

 




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