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【短編小説】愛を込めて、メリークリスマス(#絶望のメリークリスマス)

《約4400文字/目安10分》


 今日はクリスマスだ。定番の歌、笑顔、どこからか聞こえる鈴の音、にぎやかな街を背に、俺は憂鬱な気分だった。俺は街の雑踏から逃げるように空港へと向かった。

 12月25日、今日は美咲が東京に来る。

 美咲と付き合い始めてから、今日でちょうど4年か。高二のときのクリスマスは、たしか雪が降っていたような気がする。その日の学校の帰り道、俺は美咲に告白した。あのときの嬉しそうな美咲の笑顔を、生涯忘れることはないだろう。

 この4年はあっという間だった。俺はもう大学二年生で、20歳。まさか俺が東京の大学に行くなんて、あの頃は考えてもいなかった。そして、美咲と別れるなんてことも、あの頃は考えていなかった。

 これから、彼女に別れを告げる。

 空港の時計塔で、美咲が来るのを待った。コーヒーを片手に、俺は通りすぎる人たちをぼんやりと眺めた。クリスマスだからか、みんなの足取りが軽いように見える。そんなみんなが、羨ましく感じた。

 俺と美咲は高校を卒業して、大学に進学した。そして、遠距離恋愛が始まった。美咲は地元に残って北海道の大学に行った。俺は東京の大学に行った。

 大学1年のはじめの頃は会うことに必死だった。北海道と東京という距離だったが、月に一回は会えるよう努めた。だが現実は厳しく、お金は毎月ギリギリ、予定も合わずで、結局2、3回しか会えなかった。

 そして大学2年になって喧嘩が増えた。電話をしても喧嘩ばかりで、久々に会えても喧嘩ばかりだった。理由は……いちいち覚えていないが、くだらないことばかりだったような気がする。

 でも原因はわかっている。俺が遠距離恋愛に耐えられなかったからだ。会えないことで、どうしてもイライラしてしまった。

 遠くにいても繋がっている、そう美咲は口癖のように言っていたけれど、その言葉の意味が俺には理解できなかった。遠くにいても繋がっている、なぜ美咲はそう思えるのだろうか。

 時計を見ると、美咲が乗っている便の到着時間だった。そろそろ美咲が来る。久々に会えるというのに、なんだか嬉しくはなかった。


 気が付けば、ひとりで自分の家にいた。自分でもよくわからない。どうやら俺は、美咲から逃げてきてしまったようだ。最低だ。

 きっと鬼電がかかってくるだろうと思って、俺はスマホの電源を切った。

 クリスマス、俺は昼からカーテンを閉めて、布団にくるまって、寝た。

 明日、電話で別れを告げよう。


 朝、カーテンの隙間から射す光で目覚めた。

 スマホの電源を入れると、美咲からの不在着信が一通入っていた。一通だけかと、少しがっかりした感情がよぎったとき、俺は心の底から自分が気色悪かった。

 自分は勝手に振ろうとしていたのに、美咲は俺のことをまだ好きであって欲しかった。気色悪い、気持ち悪い。もう、そんな醜い未練は捨てよう。

 俺は美咲に電話をした。着信ボタンを押す指は震えていた。

 コール中に俺はどうやって別れを告げればいいかを考えた。どうすれば美咲を傷つけないで別れられるか。

 まあ、そんなことを考える必要はなかった。

 美咲が、死んだ。

 唐突に電話越しからそう伝えられた。

 電話に出たのは美咲のお母さんだった。頭が真っ白になってあまり覚えていないが、美咲は空港に向かう途中、事故に合ったらしい。

 涙は、出てこなかった。美咲とは別れようとしていたんだ。俺が悲しむ理由はない。

 静かな部屋で、俺はコーヒーを飲んだ。

 俺は美咲に正直者だとよく言われた。たしかに俺は美咲に嘘をついたことはないし、思ったことがあればすぐに言った。
 反対に、美咲は我慢しがちだった。俺の言うことに反論することはなく、喧嘩といっても俺が一方的に喋って、美咲はずっと黙っているというのが多かった。

 美咲にひどいことをしたのかもしれない、そう今更ながらに思った。昨日のクリスマス、こんな俺に会いに来るとき、美咲は会うことを楽しみにしてくれていたのだろうか。そんなはずはない、か。


 クリスマスから一週間が経った。美咲の葬儀に、俺は参列させてもらえた。葬儀は故郷、北海道で行われた。葬儀に行くかどうか迷ったが、美咲のご両親に、最後に顔を合わせたかったので、行くことにした。

 僕と美咲が生まれた場所、北海道の空は雲ひとつない快晴で、山は雪でぎらぎら輝き、空がなおさら晴れて見えた。美咲は晴れているといつも上機嫌で、そういうときは俺のつまらない冗談にも笑ってくれる、そんな笑顔が……なんて、どうでもいい話か。

 雪景色のこの町に、黒装束の群れがうごめく。これから美咲の葬儀が行われる。俺はどんな顔をして参列すればいいのだろう。

 まずは美咲のご両親に挨拶をした。美咲の母は、来てくれてありがとう、美咲も喜んでいると言った。美咲の父は、娘と一緒にいてくれてありがとう、これからは新しい人を見つけなさいと言った。

 返す言葉が無かった。この両親の心の広さを前にして、俺は自分の醜さに吐き気がした。とてもじゃないけれど、美咲とは別れようとしていたなんて言えなかった。

 美咲の葬儀には多くの人が参列した。葬儀は俺の故郷で行われたので、知り合いも多かった。久々に会う友達もいた。

 けれど、誰と何を話したのかは覚えていない。美咲の葬儀で、俺の頭は真っ白だった。

 ただ唯一覚えているのは、美咲がどれだけみんなに愛されていたかということだった。楽しいお喋りが聞こえたり、時にはすすり泣く声が聞こえたり、美咲のために集まった人は大勢いて、その人たちはみんな美咲を愛していた。

 しかし、自分はどうだろう。その大勢の中で、胸を張って美咲の彼氏ですと言えたのだろうか。俺は、美咲の彼氏だったことに誇りを持てなかった。俺なんかが付き合うべきではなかったと思った。


 出棺を見送って、俺は葬儀場を後にした。久しぶりに実家に帰ろうとも思ったが、なんだか気が引けて、あてもなくそこら辺を散歩することにした。

 昼の時間だったが、空は雲に覆われていて、外は暗かった。

 東京と違って、この町は静かでほとんど人も見えない。やっぱり田舎はいいな。それでも、なんだか落ち着かなかった。心拍音が血液に流れるようだ。

 葬儀場から出る前、美咲の母が言っていたことが頭から離れない。

 俺は散歩を続けた。意識はしていないんだが、自然と俺は、昔の通学路を歩いていた。小学校、中学校、高校、思い出ツアーをしていると、あの頃は楽しかったなとつくづく感じた。

 あの頃はあの頃でもがきながら生きていたが、今となってはそんなことも覚えていない。いつか忘れてしまう。辛かったことも、楽しかったことも。けれど、美咲のことは忘れられなかった。

 美咲とは小学校からの幼馴染だ。小さいときから一緒にいる。いろんな多くのことを忘れても、美咲との思い出はなにひとつ忘れられない。思い出ツアーで頭に浮かぶのは、美咲のことばかりだった。

 小学生のとき、学校の帰り道によくちょっかいをかけた。中学生のとき、喋りかけるのが恥ずかしくてあまり喋らなかった。高校生のとき、学校からの帰り道をいっしょに歩いた。

 昔の通学路を歩いていると、美咲とのいろいろな思い出が蘇る。


 ふと空を見上げると雪が降っていた。何時間、歩いていたんだろう。気が付けば外は真っ暗で、俺は高校の目の前に立っていた。

 雪は段々と強くなっていく。コートすら着ていない喪服のままの俺に、容赦なく雪が降り注ぐ。

 それでも俺は寒さを感じることはなかった。美咲との思い出が詰まった高校、この景色から目が離せない。ずっと眺めていると、まるで、思い出が目の前で鮮明に見えるようだった。

 いや、比喩ではない。ほんとうに見えた。校門で話す俺と美咲、ひとつの傘を2人で使う俺たち、ふざけ合う俺たち。雪のひとつひとつが映像を作り出すように、目の前で、昔の俺と美咲が形作られる。

 俺と美咲は、前とは比べものにならないくらい遠くなってしまったと、このとき初めて実感した。北海道と東京、そんな距離なんて近いと思えるほど遠く、もはや手が届かない場所に、美咲は行ってしまった。

 雪が増していくほど、俺と美咲がはっきりと見えた。体の輪郭、顔の輪郭、表情、段々くっきりと見えていく。

 そして、美咲の笑顔が点と点が結ばれたようにはっきりと見えたとき、俺はやっと気づいた。

 俺と美咲は、遠くにいても繋がっていたんだ。遠くにいても繋がっている、美咲はいつもそう言っていた。その意味がやっと理解できた。

 俺たちはたしかに繋がっていた。小学生のときからずっと、数え切れないほど二人だけの思い出を束ねてきた。

 その束ねた思い出は俺たちを繋ぐ赤い紐となって、どんなに遠くたって繋げていた。

 美咲の母は、俺が葬儀場から出る前、こんなことを言っていた。美咲はあなたと交際を始めてから、笑顔が一段と素敵になった。それが私と夫はとても嬉しかったの。私たちはあなたにすごい感謝している。私、あなたと美咲の結婚式を見たかったわ。美咲は、事故当日、あなたに会えることをものすごく楽しみにしていた。あの子を幸せにしてくれてありがとう。あなたは、これから美咲の分まで幸せになるのよ。

 俺は涙が止まらなかった。どうしようもない思いが溢れた。

 どれだけ俺が美咲にひどいことをしたのかはわかっている。俺が美咲の死を悲しむのも許されないことなのはわかっている。だけど、やっぱり、俺は美咲の死が悲しい。

 俺はずっと嘘をついていた。悲しくないと嘘をついていた。美咲なんてどうでもいいと嘘をついていた。俺は、美咲の言うとこの正直者ではなかったんだ。ほんとうは悲しくて、俺は美咲のことがどうしようもなく好きなんだ。

 遠くにいても繋がっている、このことを理解しようとせず、ただ会えないことにずっとイライラしていた。そして俺は美咲にそれをぶつけていた。ひどいことをした。それなのに俺は、美咲が東京に来る日、謝ろうともせず、別れを告げようともしないで、会うことから逃げた。

 美咲にもう一回会って、俺は謝りたい。

 雪はたちまち強くなっていく。

 すぐそこには、手を広げた美咲がいた。

 俺はゆっくりと足を進めた。雪で周りはなにも見えない。ただ、目の前に美咲だけが見える。

 雪は一層強くなる。けれど俺は諦めなかった。むしろ、雪が強くなるほど美咲はくっきりと映り、俺の気持ちは確固たるものになっていく。

 雪を掻き分け、美咲だけを見つめて、俺は歩いた。

 そして、俺は美咲を抱きしめた。

「すまん。俺がバカだった。俺と君は、遠くにいたって繋がっていた。それをわからず、俺は最後の最後までひどいことをしてしまった。ほんとうにすまない」

「私たちは繋がっている。それだけで、私は満足なの」

「俺は、君が大好きだ」

「メリークリスマス。私も君が大好きだよ」




◆長月龍誠の短編小説


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