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【映画】木漏れ日という生き方-『PERFECT DAYS』における新しい労働者階級の描き方-

just a perfect days.
ただ満たされた日々。

※この記事はネタバレを含みます。









描かれる対比

この映画では様々な対比が描かれているが、主にそれは主人公の「平山」と彼の姪である「ニコ」を通して描かれる。

平山は労働者階級であり、ニコは上流階級の家庭で育つ。平山がアナログでガラケーやカセットテープなどを愛用しているのに対し、ニコはデジタルを使いこなす現代っ子で、スマホを持ち歩きサブスクの音楽を聴く。「住む世界が違う」と平山が劇中で発言する通り、全てが真逆な二人である。

労働者階級という要素に着目しながら、平山という人間について考えてみる。

平山は労働者階級である

彼は墨田区にある木造のアパート(おそらく風呂なし)に一人で暮らし、渋谷区のトイレの清掃員をしている。仕事中、彼がトイレにいた迷子の子供を助けたにも関わらず、その親は子供の手を除菌シートで拭く。あからさまに「汚い存在」として扱ったのだ。そんな対応にも慣れているのか平山は気にせず、去っていく子供に優しく手を振る。

この映画を通して、彼は仕事では青色の作業着を着用し、休日には青いシャツを着用している。洋服の色によって、彼が「ブルーカラー(労働階級)」の人間であることを視覚的に表現している。他にも海や、歌詞の「青い海も青い魚も」などが登場することから分かる通り、「青」がこの映画のテーマカラーとなっている。

そんな平山の毎日を追っていくうちに、彼の人間性が徐々に明らかになっていく。

「平山視点」というフィルター

作中では、彼が毎日のルーティンを行う様子が繰り返し描かれる。

仕事の日は、朝起きて布団を畳み、文庫本を棚の上に片づける。階段を下りて歯磨きをすると、霧吹きを持って階段を上がる。10数個ある植物に霧吹きで水をやり、作業着に着替え、霧吹きを持って階段を降りる。財布や鍵などを作業着のポケットに入れると、ドアを開けて外に出る。アパートの敷地内にある自動販売機で缶コーヒーを買い、開けて一口飲んでから、車に乗り込み、その日に車でかけるカセットテープを選んでから車を走らせる。フロントガラスからスカイツリーが見えたタイミングで、カセットテープの音楽を流す。毎日決まったルートを巡り、渋谷区の公共トイレを掃除していく。お昼休憩には木漏れ日の下でサンドイッチを食べる。その時に必ず、フィルムカメラで木漏れ日を写真におさめる。仕事が終わると自転車で銭湯へ行き、お風呂に入った後、行きつけの居酒屋で夕飯を食べる。家に帰ると古本を読みながら眠りにつく。

休日は、歯磨きや水やりなどは仕事の日と変わらないが、いつもより丁寧に掃除をする。濡らした新聞紙を丸めて畳に投げ、それをほうきで掃く。朝からコインランドリーへ行って洗濯し、撮りためたフィルムを現像し、古本屋で本を買う。家に帰ると現像した写真の中から綺麗に撮れたものを選別し、綺麗に撮れなかった写真は破いて捨てる。夕方になると行きつけのスナックへ行き、ママや常連客とのコミュニケーションを楽しむ。

このように、毎日同じことをきっちりとこなす平山の様子が、丁寧に繰り返し繰り返し描かれる。この描写により、観客である我々は平山の生活に没入していき、段々と彼の視点というフィルターを通して映画を見るようになる。彼の人生を追体験している感覚に近い。

変わらないルーティンワークを行っているからといって、何も変化のない毎日を送っているかというと、そうでもない。

仕事の後輩が好きな女の子にいきなりキスをされたり、姪っ子が家出をして転がり込んできたり、スナックのママが元旦那と抱き合っているところを見てしまったり。予想もしないことが起こるのだ。

平山の人生は木漏れ日と似ている

平山が、影について語るシーンがある。

「影だって重なれば絶対に濃くなるはずだ。何も変わらないなんて、そんな馬鹿なことはない。」

この強い言葉から、彼が、様々な変化が起こる毎日の生活を愛していることがわかる。

彼が毎日写真におさめている木漏れ日は、一見すると何も変化がないように見える。しかし、天気や季節に変化によって、その景色は毎日少しずつ変わっていき二度と同じ景色は訪れない。

それと同じように、平山の毎日も少しずつ変わっていき、同じ日が訪れることは決してないのである。彼が眠りにつくシーンでは一日の思い出がモノクロの映像で流れていることや、毎日違う音楽をカセットテープで流すことで、昨日と今日は違う一日なのだということを表現している。

また、ニコに対して

「今度は今度。今は今。」

と諭すシーンがあるように、平山は二度と訪れることのない「今」を大切に、着実に生きているのだ。

平山の人間性が浮き彫りに

基本的にポーカーフェイスで淡々と物事を受け止めているように見える平山だが、感情を露にする印象的なシーンがいくつかある。まず一つは、後輩が突然仕事を辞めて自分が朝から晩まで掃除をしなければならなかった時。会社に電話し「毎日こんなことやれませんからね!」と怒鳴る。そして二つ目。ニコの母親(平山の姉)がニコを連れ戻しに来た時。ニコは平山に抱き着き、「ありがとう」と言う。その後、平山は彼の姉を無言で抱きしめ、車が去ったあと、静かに涙する。平山の過去はそれ以上語られないため、観客は彼の涙の真意を知ることはできないが、日々を淡々と過ごすようになるまでも、様々な葛藤があったのだろうと推測できる

このように、彼の考えや人間性が浮かび上がってくるにつれて、観客はより彼に強く感情移入をしてしていく。

労働者階級の人間は不幸なのか

平山は家族ももたず、給料も低く、はたから見ると変化のない毎日を送っている。そんな生活をしていて彼は不幸なのか。いや、決して不幸ではない。特に浅草駅にある行きつけの居酒屋でのシーンは、スーツに身を包み早足で歩いている人たちのこわばった表情と、リラックスした彼の表情の対比が際立つ。慎ましく生きながらも写真や読書といった文化的な趣味を楽しむ彼の姿は、これまでの映画でネガティブに描かれてきた「労働者階級像」とは一線を画しているように思う。

現代人の目指すべき姿

お金をかけなくても楽しめる趣味があり、小さいながらも人情のあるコミュニティーに囲まれ、「今度」ではなく「今」を生きている。日々の変化と、ささやかな贅沢。満たされて、眠りについて、また新しい一日が始まる。

仕事に追われてまともに休息も取れずに過ぎ去る毎日と、どちらが幸せか。

平山の視点を通して見る小さく暖かな温もりを宿した「東京」は、私の視点から見るキラキラ輝く眩い光があふれる「東京」とは大きく違っていた。世界は、人生は、私たちの日常は、不格好でいてそれほど大きな変化もなくて。けれどこんなにも愛おしい。

just a perfect days.
ただ満たされた日々。


【最後に】
言わずもがな、役者の皆様の演技が素晴らしかった。
あと、『パターソン』を見返したくなった。

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