自傷行為と不登校の話

⚠︎自傷行為を推奨している訳ではありません⚠︎

今回は私の自傷行為と不登校について書こうと思います。
めちゃくちゃ長いですが読んでもらえたら嬉しいです。

私は中学2年生の夏に初めてリスカをしました。と言ってもシャーペンでガリガリしてただけなのでリスカと言えるかわかりませんが。
人間関係でトラブルになりつらい、苦しい、などの気持ちを紛らわせるために始めました。
まあ、夏です。夏真っ盛りです。半袖です。
もちろんバレました。
担任がとても優しかったのでめちゃくちゃ怒られるということはありませんでした。担任に恵まれてました。友達とトラブルになってつらい、苦しい、と自分の悩みを相談できたし、その友達と無事和解し今ではそんなこと無かったかのようにとても仲がいいです。本当に担任に感謝してます。

ですが中学2年生の冬、また自傷行為をするようになりました。話すと長くなるので割愛しますが1番の原因は家庭環境です。
夏はシャーペンでガリガリする程度だったのがついにカッターに手を出してしまいました。
『手首はダメだ、袖をまくっても見えない腕にしよう』という考えで肘から下の腕半分を切るようにしてました。この範囲だとアムカかな、まあ最初なのでほんとに浅かったです。跡も全く残らないほどの浅さ。ストレス発散に切ってました。
3月くらいになって『跡が見えたらまたバレてしまう』と思いアムカを辞めました。

中学3年生、運動部に入ってたので最後の大会に向けて部活を頑張ってました。家でつらいことはあったけど切ったらバレてしまうので我慢してました。
そして最後の大会が終わり次は受験、勉強勉強勉強…て感じだったのと家のことが重なり長袖期間になるとまたアムカが再発しました。2年生の時よりも深くなり跡が残るようになりました。ストレスが溜まっては切って発散する…そんな風になっていました。
部活の特待で高校に行ったので周りより受験が早く終わりました。が、受験が終わった後今までの反動かアムカは酷くなるし学校も休んでばっかでした。(元々遅刻したり休んでばっかの問題児だったけど)
中学を卒業したあとその時精神状態が本当に終わっていたので死のうと思ってODをして飛び降りようとしました、が、高所恐怖症が故に一軒家の2階の高さすら飛び降りれず親バレして終わりました。

そのまま精神が終わってる状態で高校に入学しました。
高校はやっぱりレベルが違って部活の練習はほんとにキツかったです。(私の行ってた中学の部活が緩かったので余計キツく感じた)入学したその週末に遠征あったのでまじか…て思いながら行きました。
朝6時に起きて7時前に家を出て駅まで20分チャリ爆走して電車に乗り、そこから学校までチャリ爆走して授業を受け、放課後から19時までソフトして20時過ぎにやっと学校を出れてまたチャリ爆走して電車に乗って家までチャリ爆走して…家に帰るのはいつも22時前後でした。まあそんな生活を1ヶ月してたら普通に体調崩しまくってました。
5月少し過ぎてから色々あり(話すと長いので割愛)不登校になりました。高校に行ってた時は切る暇なんてなくてストレス発散出来てなかったです。その反動か不登校になってからまたまたアムカが再発し、学校に行ってない罪悪感や家でのストレスなど色々重なってどんどん酷くなりついに二の腕も切るようになりました。

不登校を経て10月に通信制高校に転校し、今は自分のペースで学校に通えてます。通信制に行かせてくれたことには感謝です。
でもだからと言ってストレスが減ることは無くアムカはどんどん酷くなりました。もう今は脂肪が見えるまで切らないと気が済まなくなるくらい切るようになってしまいました。
最初は表面を浅く切るだけで満足してたのに2年でこんなに酷くなるとは思ってませんでした。慣れって怖いですね。
今の私の左腕はケロイドばっかなのでもう半袖着れません。
流石にやばいと思いアムカを辞めてましたが2ヶ月しか持ちませんでした。てか2ヶ月切ってない間odばっかしてた。

こんな感じでアムカは酷くなるしodの頻度も格段に増えました。自傷行為て依存性高いなとなぜか実感しました(?)

最後に
自傷行為を人と比べるようなことはしないで下さい。切ってる深さや薬を飲む量は人それぞれ、個人の自由です。
その人がつらくて切ったりodをしているのにそれでマウントを取ったりするのは違うと私は思っています。
みんなつらくて苦しくて自傷をしているんだから自傷にお互い向き合ってお互い支え合いながら自傷を辞めれるようにしていくのが1番いいんじゃないかと思います。


これで私の自傷行為と不登校についての話は終わりです。
めちゃくちゃ長くなりました、、ここまで読んでくださりありがとうございました。

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