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#2 一人称

髪型を変えに行こう、生き方を変える様に。

小さい変化が自分にとっては大きいことだったり、勿論逆があったり。そんな日々の中皆様如何お過ごしだろうか。


何かを変えたい時、環境や見た目、日課から変えていくのは有効な手段であると思う。
髪型や服装に気を使ったり。筋トレを始めたり、メイクを変えてみたり。
11年前、中学生になったミナギ少年は、そのタイミングでメガネという偏見生産アイテムを手放しコンタクトに変えた。
自分の中ではかなりの決断だったのだが、のび太の様に目が ( 3 3 ) になるわけでも無く美少女になる訳でも無く、結局の所特に何も変わらなかった。

先日ふと、思い切って一人称を変えてみるとどうなるのだろうか、と考えた。
俺、私、おいら、こちとら、それがし。
思っているより選択肢は沢山ある。

生きる上でかなり重要なポイントだと思うのだ。名前もまだ無い猫でさえ、何故か自分を「吾輩」と名乗っている。
歌詞を書く人は、その曲毎にかなり気を使っているポイントなのでは無いだろうか。

女の子の相場はわからないけど、大抵の男はどこかのタイミングで「俺」が当たり前になる。
「俺」なんてちょっとカッコつけすぎてない??っていう感覚から、いつの間にか当たり前になるのだ。
ちなみにミナギ少年は幼稚園まで「ウチ」であった。嘘みたいな感覚だが、その時は当たり前だったのだ。

一人称変更、本気で試みたとしよう。バリエーションは様々である。

僕俺私などの王道チェンジだけで、印象を大きく変えることが出来る。
ボクちんやアタイなど、レアケースが自然に身につけば、それだけで少し奇を衒う事も出来る。
またボクっ娘の様に、簡単にキャラ付が出来て、マニアックな人気を容易に得る事も出来る。


(※注意点 : 今新たに「ワシ」に変えてしまうと千鳥好きがバレバレでクソ痛いので、アンチミーハーの諸君はそこだけはなるべく手を出さぬ様 気をつけよう。)



どうだろうか。
考えれば考えるほど、地味な様で、髪型や服装より遥かに思い切りの必要な変化な気がしてくるではないか。

例えば、貴方に好きな人がいたとして、もし明日その人に

「一人称、『わらわ』にして欲しいんだよね…」

と本気で言われたら、どうするだろうか?

好きな人の為に変わるのか、それとも変わらず今の自分を好きになってもらうのか。

その瞬間から「わらわ」とノリノリで名乗り、武家女(ぶけじょ)ライフをスタートさせるのか。

嫌だ、と突っぱねるのか。

「…せめて間をとって、『余は…』とかじゃダメかな…?」と提案するのか。
(それのどこが間だ、というツッコミは受け付けない。)


これを書きながら約数分間悩み、今私が出した答えは、
「例え話にしてもそんなアホらしい奴はいないし、そんな事に頭を使っている時間があったら他の事で自分を磨く」
であった。
全く何をつらつらと書いているのか。
実に身も蓋もない時間だった。


この一人称変更という新手の幸福論、どうだろうか。
是非切羽詰まった時やここぞと言う時、試してみて欲しい。
責任は絶対に取らない。


大抵の場合、試行錯誤して変化し自分を好きになっていくと、本質的に変わる必要などなかった、という事に気づくのだ。
その心情の変化こそがに1番の変化なのである。
俺は皆そうだと、信じている。

ちなみに、
Sleeping Girlsというバンドの音楽を聴くと、回りくどい事や難しい事は一切なく、アホらしい問答も必要なく、納得のいく幸福な人生が簡単に訪れるらしい。
このバンドのおかげで、わらわは今とても幸せである。
これを読んだ貴方は、是非一聴して欲しい。


無理やりだな。笑




MVまとめ⬇
https://youtube.com/playlist?list=PLV2-Ef0QpSn-N7VD7qbfPaP9L7hlXbvAk


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