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熟年ヲタクがゲームに手を出した


ヲタクを解禁したジャニヲタ時代

それまであまり公にしたことはなかったが、実はずっとジャニヲタだった。幾度となく推しが所属するグループに不仲や解散の噂もあったけど噂はあくまで噂でしかないと隠れヲタクをキメこんでいたが、活動休止の文字がスポーツ紙の一面を賑わせた時さすがに黙ってられなくなり、SNSでカミングアウトした。活動休止をファンの力で何とか考え直してもらえないか!噂の解散なんてもってのほか!と真剣に考えた2017年の秋。それまでほぼ情報収集にしか活用していなかった某Twitterのアカウントは一気にジャニヲタアカウントに豹変した。休止したら戻ってくるよね?解散なんかしない、するわけないやろ!思いの丈を叫んだタグ付きツイートは瞬く間に同志に届き、どんどん仲間が増えてフォロワー数が増えた。

コロナ禍がわたしをゲームに導いた

結局、休止の一年後に推しGは解散して、さらに最推しは現役を引退して、すっかりヲタク迷子になっていた頃、世の中に不穏な空気が流れ始めた。世界中が感染症によりパンデミックが起きたのだ。日本でも、学校が3か月も休校になり、仕事はリモートワークや在宅勤務がメインになり、人と物の流通が途絶え、全ての日常がストップしたあの頃。余りあるのは時間と不安。そんな中、当時は家を出ていた長男が、当時の彼女さんが退屈な時間を持て余してゲームを始めたいのだが、ゲーム機が品薄で手に入らない、量販店で数量限定の抽選購入があるのだけど名前を貸してくれないか?と打診があった。彼女さんはもちろん、長男とわたし、じいちゃんの4人でエントリーしたところ、なんと全員が当選した。なにこれ、ホントに抽選だったの?と疑うくらいの奇跡が起きた。この品薄状態のタイミングで4人全員が当選したこと、同時期にコロナ支援として全国民に一人当たり10万円の給付金が支給されていたこともあり、なんかもうみんなタナボタ的10万円あるんやから買っとけ買っとけ!とノリと勢いで購入した。思いがけず、流行りのゲーム機を入手したわたし。次男はもともとゲーム機を持っていたから、みんなでゲームで遊べるようになった。当時、こちらも大人気で売切れ状態が続いていた「あつまれどうぶつの森」というソフトをDL版で購入して、当時78歳だったじいちゃん(父)も一緒に始めることになった。

コントローラーのボタンの多さに唖然とするファミコン世代

最新のゲーム機を入手したはいいが、〇十年ぶりにゲーム機を手にする高齢の父と熟年のワタシ。なんせ任天堂といえばファミコン~スーパーファミコンの記憶しかない。子供にゲームキューブやゲームボーイやwiiなどは購入していたけど、自分がメインで所持することなんか、まぁ、ない。使ったコントローラーは十字キーとAボタンとBボタン、それにスタートキーがあるだけのシンプルなやつだ。これでマリオやドラクエやってた。当時40代だった父は、ドラクエにのめり込み、深夜2時までゲームをして母に叱られていたことを思い出す。でも、ゲームにのめり込んで叱られる血筋は父から来ているのかと納得。遡れば祖父も新しいもの好きで、80歳当時最新のワープロを購入して、老人会の書類を作成したり、自分史を書いていたことを思い出した。血は争えない。話を戻してコントローラー問題。十字キーはもちろんAボタンBボタンに加えてXボタンとYボタンが並んでいる。さらに、+ボタンに-ボタンに、肩のところにはRボタンにLボタン。その奥にはZRボタンにZLボタン。これ指が何本あっても足らんやないの。ポキンと心が折れる音がした。

流行りのゲーム

78歳の父を前に、心が折れたなんて53歳のわたしは言えなかった。そうだ、父はもっとバッキバキに折れているはず。父に購入したことを後悔させないためにも、わたしがここで挫けるわけにいかない。幸いわが家にはゲーム好きが2名存在する。しかも、一人は筋金入りのゲーマーだ。筋金くんはこれまでも、じぃじにゲームを教え込んできた歴史がある。ポケモンGOをじぃじに教えて携帯をiPhoneに変えただけでは飽き足らずiPadまで購入させるところまで見事にハマらせ、一緒に遊ぶというじぃじ孝行を経験済みだ。じぃじも孫に遊んでほしいがために、必死で老眼と老体に鞭打って、筋金くんに叱られながらついてきていた。じぃじがすぐに甘えて「やっといてくれ」と言おうものなら「あほか!甘えんな!自分でやれ!」と厳しい。じぃじにあほかってどうなんそれ、と、苦言を呈したこともあるのだが、当のじぃじは嬉しそうだった。わたしよりもじぃじ孝行したのは、筋金くんで異論はない。
そして、みんなではじめたゲームが「あつまれどうぶつの森」だった。このゲームは発売から2年が経過してるけど未だに人気のゲームだ。種類として「コミュニケーションゲーム」とされている通り、年齢性別を問わない、誰もが遊べる、ほんわか平和でバーチャルな自分の世界が楽しめる。現実が不穏だったからこそ、この世界観に癒された人も多いのではないだろうか。それからわたしの朝は、起きて真っ先にゲームのスイッチを入れ、朝のコーヒーを飲みながら、一周ぐるっと島の見回りをすることが定番となった。雑草をひっこ抜き、木を揺らして蜂を退治し、コインアイテムを拾い、住民に挨拶をして回る。じぃじは朝の5時台に起きて、同じことをしていたらしい。ここでは蜂に刺されることはあっても感染症は流行していない。マスクは不要、外出も自由だし、飛行機に乗って別の島にお出かけもできる。誰かの島に集合して、一緒に釣り大会や虫取り大会に興じることも可能だ。カブを購入して相場を見計らいカブを売却して一攫千金も夢じゃない。オンラインで繋がることでお互いの生存確認もできた。そんな毎日が1ヶ月ほど経った頃、じぃじの病気が発覚する。

病床の孤独を救ってくれたゲーム

高齢者施設に入居していたじぃじとは、コロナ禍になって会うのが難しくなっていた。わたしたちの実家とも言える高齢者施設には、たとえ家族であっても訪問が禁止された。高齢者であるじぃじ自身も感染症には神経質になっていたので、こちらに訪問してくれることも少なくなった。そんな矢先の病気発症。当然だが入院したら面会は禁止。わたしはじぃじの入院荷物に真っ先にゲーム機を詰め込んだ。充電器とイヤホンも忘れずに。人と関わることが困難になったとき、きっと拠り所になってくれる。ゲーム機の画面の向こうには、いつも家族がいる。一時的に繋がらなくても、きっとネット環境が整った時に、お互いの進行状況を笑顔で報告し合えることを楽しみにした。後で聞いた話では、病室で一人こつこつゲームを進めるじぃじに、看護士さんがのぞき込んで「あ!これあつ森ですよね!わたしもやってます!」などと会話が弾むこともあったそうだ。流行りのゲームだったからこそ、こういう交流が生まれる。「娘や孫と遊んでるんや」と自慢げに話したと言っていた。まぁ娘って50過ぎてますけどね。それから良くなって退院しては通院、悪化して再入院を繰り返し8ヶ月の闘病期間ののち、じぃじは静かに旅立った。徐々に悪化していく体調の重い空気を吹き飛ばすかのように、通院時はいつもお互いゲーム機を持参した。80手前の車いすに乗ったじぃさんと50過ぎた娘が、大病院の待合室で、並んでゲームをピコピコしていた。周りからは異様な二人だっただろう。でも、わたしには貴重な時間だった。

ぽんぽこ島

じぃじの島には「ぽんぽこ島」という、あつ森のキャラクターがタヌキであることから容易にイメージされる超ありふれた名前がついていた。じぃじは日ごと身体が動かなくなったけど、この島では走れるし飛べるし泳げるで!と嬉しそうだった。リアルには会えなかったけど、じぃじの島に遊びに行っては、じぃじが作ってくれた公園のベンチに腰掛けて(キャラクターが)、一時間以上もLINE通話で(リアルに)話した。時には次男も一緒に虫取りを楽しんだ。夏にはゲーム内で花火大会があり、浴衣に着替えてくじを引いたり手持ち花火を振り回したりして、お祭り気分を楽しんだ。反射神経がものをいう魚釣りで、じぃじはなかなか大物マグロが釣れなかったのだけど、やっとの思いで釣り上げた時、みんなで大声を上げて喜んだ。たかがゲーム。だけど、そこには本気のドキドキやヒヤヒヤなど心の動きがあった。声に出して笑った。嬉しいや楽しいもたくさん一緒に経験した。コロナでリアルには会えなかったけど、ゲームの中では毎日会っていた。だから寂しくなかった。不安な気持ちも和らいだ。じぃじもきっと、同じ気持ちだった。はず。

次はもっと”流行り”のゲームも

あつ森が毎日の暮らしの一部になって、次なるゲームの情報が入った。長男が中学生の頃の不登校時代に、オンラインで唯一友達と繋がって一緒にプレイして楽しんでいた「モンスターハンターシリーズ」の新作が春に発売になるというのだ。山盛りボタンのコントローラーにも、ちょっと慣れたわたしは調子に乗って「春に発売の新作のモンハンやろうと思うねん」とじぃじに言ったら、じぃじは「おれもやろうかな」と笑って言った。「うんうん!やろやろ!」と約束をした。コントローラーの操作は、あつ森レベルではない。でも、きっと楽しめそうな氣がした。だってゲームだから。もしもゲームが上手い下手を競うだけのものなら、きっとわたしたちに出番はない。だけど、ゲームは楽しんだもん勝ち。スーパースペシャルenjoy勢のわたしたちに勝ち負けは関係ないのだ。3月26日が発売日やで!とじぃじにも話してあった。だけど、じぃじは発売日を待たずに旅立った。
一緒に狩りは行けなかったけど、じぃじは今も、ぽんぽこ島の公園のベンチに座っている。ゲームの中のじぃじは、自分が開拓した島で、お気に入りの住人たちと、今もずっと生きている(追悼)

一狩り行こうぜ!

じぃじが旅立った後、じぃじのゲーム機は夫が受け継ぐことになった。じぃじの「ぽんぽこ島」は永遠にそのままに。そしてじぃじが間に合わなかったモンスターハンターの新作を、夫を交えてやることになった。まったりのほほんと島開拓を楽しんできたあつ森とは大違い。恐ろしい巨大モンスターに武器を持って闘いを挑むアクションゲームだ。怖い。マジで怖いって。闘いに行くだけで手が震える。不整脈を疑うくらい心臓がばくばくする。手に汗がびっちょりになる。コロナ禍で自粛続きで平坦な毎日に慣れ過ぎていて、刺激が強すぎるったらありゃしない。あつ森のお魚釣りで大物を釣るレベルの緊張感とは比にならない。じぃじ、あんた旅立って正解だったよ。これは逆に寿命を縮めるわ。しかし、わたしはまだ50代。人生100年時代と言われる中で、まだあと半分くらい生きていくには強靭な精神も持ち合わせている必要があるだろう。そうだこれは訓練だ。さらに、遊び心を忘れた同年代の大人たちに「まだまだやれるで!」ってところを実証しせねばならない。最近めっきり若い世代から「バブル世代」への不評を耳にする。自ら動くことなく過去の栄光ばかりを鼻にかけて、若い人たちに時代遅れな説教ばかりするバブル世代ウザイとの厳しいご指摘。はぁ、そんな風に映っているのかバブル世代。それで陰でバカにされるんや。だけどきっとそのご指摘は正しい。口出ししたいなら、まだまだ現役ってところ見せなあかんわな。そしたらきっと若い人たちは黙っててもついてくる。そして、その子たちの良さを発揮してやれんのは、わたしたち大人の責任と捉えてもよいだろう。狩るか狩られるか、ある意味人生というゲームで、新しい時代を生き残れるか否かを問われているようにも感じている。古い価値観はもう捨てよう。日々劣化していく肉体はごまかせない。時には若い人たちに教えを請いながら、いつまでも現役で生き抜こうで。

バブル世代がゲームから学ぶこと

結局何が言いたいって、流行りのゲームからわたしたち大人が学ぶことはたくさんあるということ。流行りってつまりは時代を象徴するものであることだと考えた時、それについていけない大人はむしろ時代に取り残される。まぁスマホは苦手、ネットは怖いとか令和の時代に言ってたら確実に時代から取り残されます。古い昭和のバブルネタをやってウケるのは平野ノラさんくらいだろう。ワンレンボディコンに身を包んだバブリーダンスが、余興として盛り上がる時代だ。余興ですよ余興。決してイケてるわけじゃない。もう時代の真ん中を行く世代ではないということを、わたしたち昭和人は受け入れなければ。その上で、若い人たちに教えを請いつつ、うまくコミュニケーションをとった方が賢いオトナと言えるのではないか。ゲームは世代を超えたコミュニケーションツールとして、とても秀逸だと思う。79歳の闘病中だったじぃじが、結局ゲーム機を買って、旅立つまでの8ヶ月間で915時間「あつまれどうぶつの森」を楽しんだ。コロナ禍で会えなかったけど、たくさん一緒に遊んだ楽しい思い出がある。わたしにとってゲームは間違いなく「家族を繋ぐ大切なコミュニケーションツール」として存在する。そして、これからの時代にかけがえのない役割を担うアイテムになると期待している。

ゲームがわたしにくれたもの

ゲームを始めて毎日楽しくなった。家族の会話の中心にはいつもゲームがある。大声で笑ったり、叫んだりもする。外では常にマスク、会話はおろか声を出すことすらはばかれる世の中で、自宅でゲームする時は自由だった。喜怒哀楽のメーターが振り切って感情を爆発させる機会がすっかり奪われた中で、心臓がバクバクしたり手が震えたり、討伐を達成してフーっと心地良い脱力感に浸る時間がゲームの中にあった。人は交感神経を刺激されたら副交感神経を優位に立たせるべく調整が入る。更年期のわたしでも最終的には自力でクールダウンし自律神経の調整にもなったはず。良い。非常に健全である。
ヲタクを解禁したとき、一部のリアル知人に冷たい目で見られた。いい年して何やってんの?みたいなSNSの書き込みをされた。今ゲームにドはまりしてます!って言ったら、何と言われるだろう。馬鹿にされるかな。笑われるかもしれん。けど、わたしは大真面目にゲームをやっている。毎日全力で楽しんでいる。それの何がいけないの。なんで馬鹿にされるの。他人を蔑んだり、あざ笑う暇があったらゲームでもして笑ってた方が確実に幸せホルモンが分泌されて健康になれると思うよ。

熟年ゲーマーの未来は明るい

老眼で反射神経が衰えてくる熟年になって、ひょんなことからゲーム始めてみて、いろいろ良かったと思っている。家族のコミュニケーションが促進されたし団結力も深まった。今からボタン山盛りのコントローラーに慣れておくと、老年期に突入した時も無理のない指先と脳のトレーニング効果が期待されてボケ防止に繋がる。と思う。またお子さんとご一緒に、お孫さんとご一緒に、在宅でオンラインで繋がって一緒に楽しく遊べるっていいよ。願わくば話の分かるばぁばになりたい。そして時代の流れについていきたい。そのために、常に新しい何かにチャレンジする氣持ちは忘れたくないなと思う。楽しむことも忘れたくないなと思う。物価が上昇しても、感染症が流行っても、毎日楽しく笑って暮らしたいと強く思う。

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