思わぬケガは「気のめぐり」の滞り
日常当たり前に行う動作、東洋医学的にはこうした「問題なく行える動作」を「気のめぐり」がよい、と考えます。
当たり前の動作なのに、うっかりミス、思わぬミス、気付かぬミス、が続くのは「気のめぐり」が悪い、と考えます。
うっかりミスは意識的に動こうとする動作と、それを支える無意識の動作が協調していないためにおこります。
末端まで「気」が行き届かないなどは、所作や舞踊のお稽古でよく注意されること。
「指先まで意識を集中して」というのは、「気のめぐり」がよくなると強い意識を持たなくても、集中力のある動作を保つことができます。
そもそも日常生活動作に、あまりこだわりや強い思い込みを持つ必要が出てくるのは、具合が悪い証拠。
部屋の中で、ぶつかりはしないか、転びはしないか、躓きはしないか、などの心配は、正常な動作をこなせる「気のめぐり」のよいカラダでは頭の中にわいてきません。
ぼくは鍼灸師という仕事を通して、こうした「気のめぐり」を気にしながら人のカラダを拝見します。
「気のめぐり」が行き届いているカラダは、くったくのない表情としなやかな動作をされています。
「気のめぐり」が滞るカラダは、険しい表情といびつな動作をされています。
当たり前の感覚でも、こうした「気のめぐり」の滞りはすぐにわかります。
「顔色が悪いねぇ」「元気がないねぇ」「嫌なことでもあったの」など、つい相手に声をかけたくなる時、たいていその方は「気のめぐり」が滞っている。
ふしぎと自分のことに気が回らないのは、人としての性(さが)ですね。
ひとは自分のことよりも、周りの人のことが気になる存在ですから。
急に暑くなると、意外とカラダに負担がかかっています。
炎暑の日差しの中、はつらつと歩いている人はいいのでしょうが、たいてい、足取り重く、表情も日差しを避けるような険しい表情。
この時点ですでに「気のめぐり」は滞っています。
さて、こんなコンディションでフツーの日常動作ができるかといえば、ちょっと無理がかかっているのかと。
思わぬケガにつながるようなコンディションで、案外街中をふらふら歩いているのかもしれません。
室内で過ごすことの多い僕ですが、やはりちょっとお天気の良い日に外出すれば、とたんに足どりもゆっくり、一歩一歩確認するように脚をすすめるようにしています。
じつはこれ、暑さにかなった自分の心拍と呼吸に合わせたリズムでもありますし、うっかりミスを連発しそうな「気のめぐり」が滞っている自覚のないふらふらしているひとをよけるためでもあります。
街中を歩いていて、険しい表情といかつい態度で歩いている人を見かけると、いつでもよけられる歩き方に切り替えて、わが身の危険を避けるようにして歩く夏本番を迎えました。
楽しい街歩きができるように、人の顔色を見ながら歩くようにしよう!
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