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男だろっ!

男って何なんでしょうね。
上の動画は火沢が子供の時観ていた平成版キャプテン翼のエンディング曲である。

当時は女にたしなめられたくないとか、そう言われたって…とか、男なんて「野蛮な者」になってたまるか、みたいな(苦笑)様々な感情が湧いていた気がする。

90年代の男の子事情も今ほどでないにしてもなかなか世知辛そうです。

今の時代は女の子の荷物を持ってあげるだけで差別主義者扱い。
子どもたちも、そうした教育を受け、「勉強になった」と納得しているよう。

火沢は?

そう…
今回、なぜこんな記事を書いたかというと久しぶりにこの歌を聴いた今、胸中がモヤモヤして、決して「悪い気分でもない」複雑な感情に包まれたからだ。

今の時代、男性の風当たりは強い。
巷の不祥事の大半は男性性が原因とされる。
でも…
火沢は、これでも男の味方はしてきたつもり。
子供のころ、こんなアニメばっか観てきたから…
やっぱり否定するのは絶対違うなって…

本当は70年に割腹自殺した三島由紀夫(火沢が一番関心のある文学者なので)を元に記事を書きたいとも思ったが、どうもしどろもどろになりそうなのと、こうしたことを理詰めで語るのも飽きてきたという理由で止めた。

ただ、やはり少しだけ書かせて頂きたい。

三島さんは幼少時甘やかされて育ち、青魚も食べられないほどひ弱で女の子と遊ぶことも多かった。
そんな人が後年、ボディビルや剣道に打ち込んだり「男性性」を獲得することに腐心した。
クラスメイトからも「しらっこしらっこ」と馬鹿にされるほど、虚弱体質だった彼がなぜ、男性性を憎まず、寧ろあれほどまでに固執したのか…

様々な説はあるが三島由紀夫とは、「強がる」ことで自らの人生を虚飾で塗り硬め、虚構を演じ続け、まさに小説的な最期を迎えてしまった人という解釈が火沢は一番しっくりくる。

男とは「死」に近い。
女性型の社会になりつつある今の時代、男を語ることは「死」を語ることである。

男性性とは…

空虚であり
形式主義あり
身勝手であり
鈍感さであり
けじめであり
プライドであり
見栄であり
暴力であり
支配であり
恥らいであり
潔癖さであり
理屈っぽさであり
潔さであり
整数であり…
二元論である

そう、単純だからこそ脆い。
女性より弱く、寿命も短い儚い存在である。
そして戦地に向かうのはいつも「男」の役割であった。

男は死に急ぐ。
男の本質が「死」に直結しているからである。
だから今の時代、男を語るのが怖い。

でも…
火沢も残念ながら男であるようだ。
この歌を聴いて反発しつつも胸が熱くなる。
なにげに子供の頃から好きだった曲である(笑)。
ただ、この記事は短絡的に男性性の復権であるとか、そんなことを言いたいのではなく自分とは何かを知るために必要な事と感じて書いた。
男性性の獲得に失敗した男たちが今の時代でどう生きるかが問題だからだ。












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