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時を経てなお #9

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 その提案は、ガノンにとってあまりにも魅力的なものだった。さしもの彼ですら、即座に首を縦に振りかねなかったほどにである。

『貴君がここで引いてくださるのであれば、我が国は貴君への手配には加担せぬと約定しよう』

 彼にとって、この提案が魅力的だった理由はいくつか存在する。だが、最大の理由は一つだった。彼は。ラーカンツのガノンは。すでに己の底を晒してしまった。ハク――正確にはログダン王国王家・先代武術指南役筆頭であるシサイ――との戦いで、己の全てを曝け出してしまった。すなわち、パリスデルザやシサイでなくとも、『ガナン』がガノンであることへたどり着くことが容易となってしまった可能性がある。そうなれば、最終戦を前に捕縛の憂き目に遭う恐れまでもが存在する。ガノンにとって、それは許されぬことであった。友の生きた証を、故郷へと届けるためにも。

「ならぬ」

 しかし、ガノンは踏み止まった。たっぷりと時を掛けて黙考し、ただ一言をもって切り捨てた。何故か。

「なんと」
「ここでおれ――ラーカンツのガノンが引けば、代わりにおまえたちの陰謀が成就する。それは、パクスター公の望むところではない。おれは、公に見出され、雇われたのだ。主人は裏切れぬ」

 彼は言い切る。そう。ガノンは今や傭兵であり、友を送り届ける旅人であり、漂泊の武人であった。彼が傭兵である以上。彼は主人を裏切れない。無論、時を経て組まれた盟約への想いもそこにはある。あるが、その側面を相手に見せる必要はない。見せるべきものと、見せられないもの。その一線を見誤るほど、ガノンは愚物ではない。

「……我と、我が与するアンガラスタ公爵家。その威信はすでに盤石である。後は王位継承権さえ手に入れば、ログダン王国そのものが盤石となる。暗愚による支配から脱却できる。それが、なぜわからぬ」
「主人は王家に忠誠を誓っている。それに対する簒奪を、ならぬと断じた」

 パリスデルザの説得に、ガノンはゆっくりと切り返す。ガノンにはログダンの政治、貴族の勢力構造なぞわからぬ。わからぬからこそ、ローレンの決断を重んじるのだ。その先にある、ミア姫への忠誠も含めてだ。そして。

「ましてや、おれは戦神を奉じている。奉じる神に、背くことなどできぬ」

 最後、彼自身の根幹をも言ってのけた。彼の力、その源であり、心底より奉る神。神への忠誠を心より打ち明けた。

「……」
「黙るのならば。一つ、おれからもいいか」
「いいでしょう」

 わずかに間が生まれたのを機に、今度はガノンが会話の手綱を握る。彼は、空虚をかげらせた双眸で涼やかな男を見た。そして、おもむろに口を開いた。

「おまえは、なにをもって動いている。簒奪の陰謀に与せずとも、この大武闘会で覇を唱えれば」
「ええ。名実ともに、ログダン王国武人としての、最強の座に立てたでしょう」
「ならば、何故に」
「足りぬから、ですな」

 一陣の風が吹く。涼やかな男の、長髪が揺れる。ガノンは見る。涼しげだったはずの男の瞳に、灯るものがあった。

「最強の位。そんなものでは、我の野心は満たされない。他国の者と争えぬのに、なにが武芸の首座か。狭い一国での覇など、たかが知れている」

 吐き捨てるように、男が言う。ガノンは、敢えて聞き役に徹した。その姿を見て、パリスデルザはさらに。

「最強の位をもって、この国を動かす側に加わる。さすれば、後はアンガラスタ公が動いてくださる。故に、数年もすれば我は晴れて王位につく。さすれば」
「他国に打って出、武芸の覇を競うことも叶う、か」
「いかにも」

 淀みなき答えに、ガノンは男の目を見た。先刻まで涼しげに振る舞っていた男の目は、今や爛々と輝いていた。ガノンは思う。目の前の男は、間違いなく武神ぶしんの眼鏡に適っていると。自覚しているか否かにかかわらず、その力の一端を振るえる領域にあると。武を極めることに飽き足らぬが故、神はこの男を選ぶであろうと。だが。

「なるほど。パクスター公がおれを雇った理由がわかったわ。そして、なおさら引けぬ」

 ガノンは取り付く島もなく否定した。

「なぜ」
「おまえの在り方はログダンを変える。パクスター公は、それを望んでいない。おれは勝つ。欲しいものは、自力で奪う。おまえたちが囲もうものなら、すべてを振るって切り抜ける」

 ガノンはかめを奪う。一等品の葡萄酒を己の椀へと注ぎ、一息に飲み干す。据わった目で、対面の男を睨みつけた。

「こいつが、おれの結論だ。これは絶対に変わらない。おまえの説得は通じない。わかったら、帰れ」

 ガノンは言い切る。立ち上がり、巨躯をもって涼しげな男を見下ろす。相手の金髪が、再び夜風に靡いた。気が付けば、パリスデルザの瞳から熱が消えていた。男は、『ふう』と息を吐き出した。

「決裂、ですな」
「そのとおりだ」
「仕方ありませんな」

 パリスデルザも、立ち上がった。両者の視線が、わずかな高低差を含めて交錯する。今や互いの瞳に、闘志が籠もっていた。

「なれば。明日のついの戦をもって、決着を付ける他にありますまい」
「そういうことだ」

 パリスデルザの言葉に、ガノンもうなずく。すると涼しげな男は、笑みを浮かべてのたまった。

「互いにすべてを賭して、戦いましょうぞ。ガノンどの」

***

 翌日。かくて、決戦の日となった。より正確には開戦のドラを一刻後に控え、今は設えられた場所にて、ローレンとの最後の語らいを許されていた。この後刻限を迎えれば、ガノンは一人となる。先に敗れた男どもは、もはや西門門前にはいない。あの飄々とした、どこか掴みどころに欠ける髭面の男もいない。彼は、すでに旅立っただろうか。あるいは、終の戦を見届けんとしているのだろうか。ガノンには、もはやわからぬことであった。

「強張って、いるのか?」

 不意に、ローレンが口を開いた。ガノンが沈黙を続けるのを、緊張とみなしたのであろう。女公爵のたおやかな口が、言葉を紡ぐ。

「さもありなん、か。この一戦にて、我が王国の行方も左右されてしまう。汝の肩に、すべてがかかってしまった」

 ローレンは、周囲に気を配る。未だこの地に集う者どもの過半は、蛮人ガナンが【大傭兵】、ラーカンツのガノンであることを知らぬ。ガノンが、アンガラスタ公爵家の野望を砕くために戦う者であることを知らぬ。それらが露見してしまえば、たちまちガノンは陰謀のるつぼへと堕ち、旅路の目的を果たし仰せぬことになるであろう。ローレンは、ひたすらにそれを案じていた。

「おれはただ、おまえの要求通りに働いただけだ。後悔も強張りもない」
「……そうか」

 しかしガノンは平坦だった。常の通り瞳に空虚をたたえ、ただただローレンを見据えていた。彼女には、ガノンの思考が見えなかった。公爵家の姫でありながら武張った道を選び、力量でもって王女近衛部隊戦士長の座を手にした彼女をもってしても、この日ばかりはガノンの内心を見通せなかった。仮に見通せていたならば、この後に起こる事態を回避できたやもしれぬというのに。

「ならば良し。私の願いはただ一つ。このまますべてを成し遂げ、安全にこの国を旅立って欲しい。それだけだ」
「わかった」

 ガノンが、小さくうなずく。ローレンは、内心で胸を撫で下ろした。これにて正体の隠蔽は徹底できると、確信さえも抱いていた。昨日の死闘で見る目のある者が気付いていようと、周囲の貴族程度ならなんとでもできる。そう信じていた。その時、割って入る声があった。

「刻限であります」

 未だ一兵卒と思しき紅顔の少年が、それでも胸を張り、精一杯の敬礼をして時を告げる。その姿を見たガノンは、おもむろに立ち上がった。

「行って来る」
「汝に、神の微笑みがあらんことを」

 最後の言葉を、二人が交わす。それきりガノンは、ローレンの方を向かなかった。確かな足取りで、彼は在るべき位置へと向かって行った。そして、半刻後。

「殺せーッ! ログダンを荒らす蛮人を許すなーッ!」
「パリスデルザ様ーッ! やってくれー!」
「殺せ! 殺せ!」

 聞くにも堪えぬ罵声が満ちる中、二人の男は遂に東西の門にて相見えた。西には女公爵がお熱の、赤髪の蛮人『ガナン』。東にはもはや国家の威信までも背負うこととなった、壮麗にして輝ける剣士、パリスデルザ。どちらが民草からの声援を受けているかは、見るも明らかであった。

「……ガノンどの。引き下がるなら今ですぞ。今の我には、ログダンすべてがついている」
「民草とは、そういう連中だ。おれが勝てば、手のひらを返す」

 罵声の中を進んだ二人が、中央にて言葉を交わす。その声はかき消され、誰の耳にも届かない。ただ二人だけの、大っぴらなる密談だった。

「やはり、刃で言葉を交わす他」
「そういうことだ」

 両者が間合いを取る。ガノンが手頃な長さの剣を抜き、パリスデルザもまた、紋様を刻まれし美しき剣を抜いた。直後。ガノンの身体がにわかにほの光る。これは、もはや。

「素性を隠すつもりはないと」
「昨日のあれで、すでに晒したも同然だ。なにを今さら」
「なるほど。では」

 次の瞬間、ただでさえ壮麗な武具によって輝きを放つ、パリスデルザのそれが増した。否。これは武具の輝きではない。パリスデルザ自身が、光を放っているのだ。

「我も我が全力をもって、貴君のお相手をいたそうぞ」

 輝きの剣士が、不敵な言葉を言い放つ。その時、罵声をつんざいて開戦のドラが鳴り響いた! 

#10へ続く

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