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時を経てなお #7

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「ガ……ナンっ!」

 ガノンが吹っ飛ばされた姿に、貴賓席のローレンは思わずして真の名を発しかけた。身体は跳ね上がるように立ち上がり、食い入るように闘技場を見つめている。貴族としては少々――

「はしたないですぞ、パクスター公」
「お熱の蛮人が危地にあるのです。仕方がないでしょう」
「――っ、コホン。取り乱しました」

 周囲の公爵どもからからかいじみた言葉を投げられ、ローレンは恥辱に顔を赤らめた。席に座り直しつつも、感じた焦燥は癒えていない。『あのお方』が相手では、戦神の使徒をもってしても、勝利はいと得難いものなのか。彼女は改めて、先代武術指南役筆頭の恐ろしさを思い知った。歴代でも、三本の指には入ると聞き及んでいたのだが。ともかく。

「……!」

 彼女は食い入るように闘技場を見つめる。美しき双眸には今や、血走りの跡が見受けられた。どうする。ガノンを諦めさせるか。それとも。いや、彼ならば。

「勝ってくれ……いや、勝つ……!」

 ローレンの視線の先には、遂に戦神の使徒たる力を完全に解き放ったガノンがいた。彼は迫り来る少女に対して瞬時に飛び退き、間合いを広げた。そのまま二歩、三歩と跳ね、息を整える。いよいよ暖かな光が、彼を包み込んでいた。

「あれは……」
「あの蛮人、異様に強いかと思えば、まさか【使徒】か」

 周囲の公爵家の者どもから、次々と声が漏れる。さもありなん。彼らは、敬虔なる多神教の信徒でもある。仮に敬虔でなくとも、教会への寄進、礼拝、繋がりを欠かさぬ善き信徒である。陰に陽に、神の加護を受けたる者のことは知らされていた。

「【使徒】といえば。数日前に、手配の廻り状を持った使者が参りましたな」
「おお。覚えておりますぞ。たしかに『使徒』、『蛮人』などと申しておりましたが」
「類稀とはいえ、まさか」

 周囲の雑音がいや増していく。それでもローレンはあえて聞き入れぬ。こうなってはもはや、ガノンがこの戦いを凌ぎ切るほうが重大事であった。仮に『ガナン』がガノンであると発覚したにしても、彼ならば些少の窮地は切り抜けられる。その確信が、ローレンにはあった。

「故に、勝て」

 口の中で、小さく呟く。あの日出会った蛮人を信じた者として、彼女はその信仰を放棄する訳にはいかなかった。

***

 十歩の間合いを取り、息を整えたガノンは、再び闘技場の地を蹴った。蛮声とともに駆ける姿は、獲物に飛び掛かる獣の如し。されど少女、否、ログダン王国王家・先代武術指南役筆頭は揺るがない。理合をもって、腕一本で進撃を止める。両者の力が闘技場の中央できしみ、またしても大地にひびを生んだ。

『それがあなたの全力か。さすがは【使徒】』
『涼しい顔……とはいかないようだな』

 手合わせする両者は、『声』をもって語り合う。ガノンはもはやこの男を、戦神の加護すら受け止める男を。踏み越えることにのみ力を注いでいた。さもなくば、この先の旅路に光はない。

『神々の御力ですからの。片腕では……』
『ぬうっ!?』
『このくらいが精一杯ですじゃ』

 腕一本で抑止されていたガノンの身体が、突如傾く。少女が巧みに腕を使い、ガノンのバランスを崩したのだ。右膝が砕けるように崩れたガノンは、またしても隙を晒す。そこに!

「ハイナーッ!」
「ぐううっ!」

 突き上げるような、少女の一撃! 臓腑をえぐり、ガノンの身体さえ浮き上がらせんばかりの重い拳! 思わずしてガノンはたたらを踏み、数歩下がる! さらに突っ込んで来る少女! 二発、三発。いや、無数の拳が次々と襲い掛かる! 手数に重きを置いた、ガノンを休ませぬための攻勢だ! 片腕を折られたにもかかわらず、なんたる速さか!

「ぬぅっ!」
『攻められたら、こちらはひとたまりもありませんからの』

 不遜な『声』が、ガノンを苛立たせる。わかっている。ガノンは理解していた。この、声から察するに老境と思しき闘士は。己に対して壁たらんとしているのだ。とはいえ同時に、この老人は勝つつもりでもいる。ガノンが不甲斐ない限り、老境の闘士は、自身がアンガラスタ公爵家の陰謀を阻みに行くだろう。

「カアアアッ!!!」

 ガノンは腹に力を入れ、拳を迎え撃った。すでに戦いの中で、各所を痛め付けられている。されど、そんなものは関係なかった。片腕の娘に、負けるなど。両腕を振るって、さばき、叩く。

『おお、それですじゃ。嵐の如き攻勢。ようやく、腹が決まりましたかな』
『ぬかせ。俺には最初から戦う気勢しかない』
『ならば、なぜ力を封じて?』

 老境闘士からの問い掛けが、ガノンを苛む。この老人は、敢えてガノンに刺さる言葉を吐いている。ガノンを引き上げ、全力の果てまで連れて行こうとしている。
 しかしながら、ガノンは安易には応じられない。バグダ王国からの指名手配が、この国に届いている可能性がある。ダガンタ帝国の大侵略に関わった以上、あの国が己を逃がすとは思えなかった。さすれば、正体が。

『なるほど。読めましたぞ。思いが、見え申したぞ。貴君、かの【大傭兵】であられましたか。同郷同名でもなく、まさしくの大傭兵ガノンであられましたか』
『っ!』

 さばき合い、打ち合いのさなか。その『声』は唐突にガノンを撃ち抜いた。老境闘士の声色が、かすかに変わった。蛮人に対するそれから、敬意を込めたものへと変わった。されど。ああ、されど。

『なるほどなるほど。全力を出し切れぬ訳ですじゃ。勝利の報酬と、相反する制約。なれば――』

 少女の身体が、前へ出る。それまでよりも一際早い。拍子が崩れる。攻防が動く。

「ハアッ!」

 ガノンを撃ち抜く、三回目の一撃。地面を割るほどの鋭い踏み込み。理合を生かした、小さくも速く、重い一撃。モロに受けたガノンは、遂に吹っ飛ばされ、壁へと打ち付けられた。

『ここで打ち砕き、失望をもってこの国より打ち払うまで』

 残心の構えを取る少女から、老人の『声』が聞こえる。ガノンは悟る。おお、今こそこの闘士はすべてを賭した。その全力でもって、ガノンを倒そうとしている。ならば? ならば己は、どうする? ガノンは、ちらりと貴賓席に目をやる。視界に入るは、ローレンの姿。食い入るようにこちらを見る姿には、あの戦いの折と変わらぬ、『信用』が込められていた。

「すぅー……」

 痛みを堪え、呼吸を整える。そのさなかで、ガノンは己を嘲った。まったく。己はどこまで弱くなったのか。サザンやダーシア、【赤き牙の傭兵団】の皆と居たことで、どこまで腑抜けてしまったのか。此処は荒野。天幕の中ではない。戦わなければ、生き残れない!

「ふぅー……」

 打ち付けられてからややあって、ガノンは己の身を起こした。隆々たる肉体の各所に傷が走り、血が蛇の如く身体を這い回っている。それでも、彼の黄金色にけぶる瞳には。闘志の炎が、爛々と燃えていた。

「いいだろう。この一戦、すべてをなげうつ価値がある」

 彼が吐き出した言葉には、並々ならぬ決意が込められていた。

#8へ続く

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