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時を経てなお #10

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 両雄の開戦を前にして、時はわずかに巻き戻る。円形闘技場コロッセオにほど近い路地裏にて、違法なる賭博師は暇をかこっていた。

「あの蛮人、こっちの儲けを軒並みかっさらいやがった。畜生め」

 不穏な匂いを放つ薬草を噛みながら、賭博師は愚痴を放つ。さもありなん。かの蛮人――『ガナン』とやらが絡んだ賭けは、軒並み不成立に終わっているのだ。ログダン剣士との戦だった初戦はともかくとして、罵声まみれだった二戦目に至っては誰一人賭けに参加しないという有り様である。これでは商売上がったり。見逃されるために巡警にやる小銭――ちょっとした賄賂だ――さえも、賄えない状況だった。

「ま……パリスデルザ様が勝つのは目に見えてるし、あの蛮人は嫌われ者だ。どうにもならねえわな」

 噛んでいた薬草を吐き捨て、賭博師はその場を去ろうとする。彼は店を構えたりするほど迂闊ではない。あくまで彼を知る者と、わずかな符丁のやり取りで賭けを交わしていた。そうやって小規模に商売を保つのが、彼のやり方だったのだ。

「なあ、旦那」

 その時である。不意に、彼に向かって掛かる声があった。

「あいあい」

 賭博師は、本能的に高い声を上げ、振り向いた。いつの間にやら、揉み手までしている。客――あるいは標的カモを迎える時の仕草だった。

「アンタ、賭博師だろう? 例の蛮人――ガナンの賭け率はいくらだい?」

 しかし、同時に彼は息を呑んでもいた。目の前に立っていたのが、軽装髭面の戦士だったからである。そう。その男は――

「ちょっと待て。アンタは大武闘会の参戦者だろう? 確かに違反ではないが――」
「ならば、儂が賭ければ良かろう?」

 軽装髭面なる元大武闘会参戦者――デルフィンの背後から、また一つ声が響く。それは杖をつき、腰を曲げた老境の男であった。仙境に立つ者めいて白髭を伸ばし、白布をまといて腰辺りで縛り付けている。おおよそログダンの者とは、異なる雰囲気の人物だった。

「爺さん? コイツは違法で……」
「わかっておる。ほれ、これでどうじゃ」

 老境の人物が、金貨を三枚取り出した。賭博師は思わず目をひん剥いた。老人が手にしていたのが、ラガダン金貨だったからである。さしもの賭博師も、これには。

「爺さん。ちょっとコイツは」
「どうせ、蛮人絡み故に賭けが成立しておらぬのじゃろう? 老境の遊びと思うがいい。ガナンに、これを。ほれ、アンタも。儂に金を預けるが良い」

 老人が、金貨を賭博師に押し付ける。その上で、デルフィンにも賭けを促した。デルフィンは軽く唸ると、促されるままに老人にポメダ金貨を二枚託した。老人はそれを再び、賭博師へと手渡した。賭博師は首を横に振るが、二人は有無を言わせなかった。

「……爺さん。只者じゃないだろう」

 大金を預けられた賭博師が、フラフラとその場を立ち去って行く。その姿を見送ってから、デルフィンは老境へと視線を飛ばした。しかし。

「ホッホ。ただの老境の戯れですじゃよ」

 老人はただ、軽く微笑むのみだった。

***

 罵声の合間をつんざいたドラを合図に、二つの光は真っ向から衝突した。

「ぬぅん!」
「ハッ!」

 もとよりそのつもりであったろうガノンはともかく、パリスデルザまでもが正面から動く。これは見る者にとっては意外な展開であった。先の戦と同じく、華麗にいなしてねじ伏せる。蛮人の心を叩き折り、偉大なるログダンに二度と踏み込むことがないよう振る舞うのだと、観衆どもは信じていたであろう。だというのに。

「……先の戦に比べて、随分と雄々しく振る舞うのだな」
「いかに我といえども、血が沸き立つということはあるのだ」

 互いに打ち合った直後の鍔迫り合いのさなか。両者は罵声に紛れて言葉を交わす。蛮人への憎しみをくゆらせる民草どもには、けして聞き取れぬほどの声であった。

「なるほど、な!」

 直後ガノンが、膂力を利してパリスデルザを押し込んだ。揺らいだ態勢を整えるべく、金髪剣士の足が大きく下がる。そこを突いて、ガノンは強引に鍔迫り合いを引っ剥がした。【使徒】たる能力に任せた、力任せの振る舞い。しかしパリスデルザの脳天はがら空きだ。ここを唐竹に割れば、それこそ完全に勝利ではあるのだが。

「そうはいきませんぞ」

 己の不利を読み取ったのだろう。パリスデルザは、恐るべき速さで回旋して距離を取り、瞬く間に構えを直した。なんたる判断力。なんたる読み。

「やはり、真っ向勝負では貴君が優位ですな」
「……」

 一つ息を吐いて、両者が睨み合う。しかし沈黙もわずかなこと。今度はパリスデルザが、突きに打って出た。しかも。

「だんまりなら、参りますぞ。これが、見切れますかな? 」

 見よ。パリスデルザの突きが、異様に速い。腕が複数本あるかと見まごうほどの、恐るべき速さの片手突きだ。しかもその中に牽制は一つもない。すべてがすべて、必殺の意志を込めた技だった。

「ぬうっ!」

 さしものガノンも、これには唸る。上半身の動きだけで突きをかわし、機を窺う。しかし、あまりにも突きが速い。戻りも速い。有り体に言ってしまえば、隙が皆無だ。攻め手が見出だせない。ならば。

「チイイイッ!」

 ガノンは蛮声を上げつつ、大きく踏み込んだ。狙いは突き出し、その瞬間。右足を斜め前に踏み出し、回避と攻撃を、同時に組み立てんとする。右手に剣を持ち、横薙ぎに振るう。胴を取れればと狙ったが――

「さすが。ではありますな」

 わずかに半歩、剣速が足りなかった。ガノンの動きを見て取ったパリスデルザは、突きの勢いで歩みを進めた。そしてそのまま素早く構えを直し、気勢を正した。

「なるほどな」

 ガノンは、踏み込まなかった。否、踏み込めなかった。それほどまでに、パリスデルザが速かったのだ。ガノンは剣を腰近辺に構えたまま、隙を窺う。上半身はやや前傾。腰を落とした、獣の如き構えだった。

「さてはて。次はどうしましょうか」

 一方パリスデルザはといえば、構えはなお涼やかなままであった。ガノンに対して正面に構え、剣先は中段。いついかなる攻めが行われたとしても、即座に対処し得る。およそ剣を習う者であれば、初歩の初歩として覚えさせられる構えであった。

「……」

 両者は沈黙したまま、じり、じりと動く。しかし二人は、すでに想像上で幾重もの攻防を繰り返していた。ある時はガノンがパリスデルザを袈裟斬りに仕留め、またある時はパリスデルザの前にガノンが膝をついた。だが、現実の二人は動かない。勝負の形は、まだ起こりすらも発していない。いつ、いかなる形で、この戦は動くのか。

 ひゅううう……。

 不意に、風が吹く。突風ではないが、砂粒が巻き上がる程度のものではあった。風下だったガノンが砂粒を食らう。瞬間、彼は顔をしかめた。その時!

「っ!」

 中段に構えていた、壮麗なる剣士が動く! 足を踏み出し、剣を掲げる! その狙いは、斬撃! 顔をしかめたわずかな隙を、こじ開けるための一撃!

「ぬうっ!」

 しかし、ガノンとて【大傭兵】と呼ばれし男である。一歩出遅れたとはいえ、その程度で膝を屈する戦士ではない。即断で跳び下がり、間合いを取る。そして、そのまま右へと駆け出し、攻撃を図らんとする。だが、パリスデルザも一廉の戦士、そして【武神】に愛されていると思しき者である。追い掛けるように駆け、隙を与えない。また一度、膠着が訪れる。そう思われたが。

「オオオッ!」

 闘技場に響く、蛮声が一つ。観客の内に潜む、幾人かの才ある者たちは目を剥いた。雄々しく地を蹴り抜いたガノンが、中空高くに跳び上がったのだ! それは、概して言えば決死の行動である。仮にガノンが大振りの唐竹割りを繰り出すとすれば、跳躍の高さはともかくとして、胴に大きな隙が生まれる。見切ったパリスデルザに横薙ぎを叩き込まれてしまえば、いかなガノンといえども。それほどの大博打を、彼は繰り出したのだ。しかし。

「っ!」

 パリスデルザの選択は違った。大きく飛び退き、間合いを取ったのだ。直後。ガノンの唐竹割りが、パリスデルザの立っていた位置に突き刺さる。たちまちビシビシと地が割れ、闘技場にまたしてもヒビが走った。なんたる威力。なんたる質量。パリスデルザは、これを予見したのであろうか。なんたる眼力。

「届かん、か」

 ガノンが笑う。

「いま一歩、ですよ」

 パリスデルザも笑う。それを受けて、ガノンが口を開いた。

「おまえは、一刀命奪の剣を知っているか」
「なるほど。剣士の理想ですな。一度ひとたび傷を与えれば、死に至る」

 パリスデルザが、言葉に応じる。しかしガノンは、首を横に振った。

「おれにはわかる。あれは良くない」

#11へ続く

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