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ともあれ、始まりには終わりである(6/23加筆修正)

夢見が悪く、酷く早起きになった。暫くPCに触れた後、熱い風呂を浴びる。今日は早寝になりそうだ……。

一度お馬鹿な小説を書いてみたいと思っている。とっちらかった、ではない。常識を超えた発想やありそうでなさそうな展開、読者を裏切りつつも期待は外さない。そんな小説が書きたい。

そんな小説が書きたいのならインプットだ。夢を。本を。作品を。読み込んで仕入れて咀嚼する。その信念なくして常識を吹っ飛ばそうなど、烏滸がましいにも程がある。

それ故、リアリティの壁がいつでも私にのしかかる。プロットを組めない原因も、ここにある。私が下手に最後まで組もうものなら。

『これ、安直だよ?』

と脳内会議が不信任案を突きつけてくるのである。一方ライブで書くと単純な脳味噌はさっくりと高揚感に騙されてくれる。

これで作劇能力は上がるのか? 否。断じて否である。場当たりである。高度な柔軟性とryである。やりたい展開のぶつ切りに近くなる。圧巻の伏線なんて難儀の極みだ。

ただし、だ。ただし、である。そのライブを積み重ねて完結させたらば。そこに見えるのは一個のストーリーラインである。少なくとも『始まりからおしまい』までは提示されているのである。ならばこれもある種のプロットではなかろうか? 『どんな形でもいい、完結させろ』。まさに至言である。

閑話休題。私は一個の作品を手仕舞いにすることでこの実感を掴んだのである。始まりには、終わりを付けねばならない。反省を通じてリメイクの考えはあるが、それについてはもう少し先の話にしたい。

なおヘッダーは最近読了したカクヨム書籍化作品の宣伝です。人様の作品ですが、大変に良かったので近日中にアウトプットします。

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