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幕末と現代とお金



{2022.10.19の記事}

今日は、歴史系の話と、スピリチュアル(というか、引き寄せ)系の話を織り混ぜた内容になっています。

完全にリンクしている訳ではありませんが、もしかすると前回の記事を読んで頂いた上で、今回の話を読んで頂いた方が、私の意図が伝わりやすいかもしれません。

まだ読んでいない方は、

から併せてご覧になってみてください。

 


今日書く内容のテーマを一言で言うなら

〖価値観の話〗


です。

この、価値観の転換にまつわる内容を複数の視点から書きます。


まず、幕末期に活躍した人物【坂本龍馬氏】について、少し語ります。

坂本龍馬氏といえば、仲の悪かった薩摩藩と長州藩の仲を取り持ち、同盟を結ばせるために一役買った人物

という功績のイメージが大きいと思います。

また、全国を歩き回り、様々な人と人を結び付けた、[仲介人の代表格]といったイメージを持っている方も多いかもしれません。


坂本氏は、最終的に京都で暗殺され、当時は
「新撰組にやられたんだ。」
という噂が立っていたように、新撰組と同時期に活躍した幕末のヒーローの1人です。

大正時代になってから、京都見廻組の犯行だったという証言が出てきましたが、殺害現場には新撰組のメンバーの所持品と見られる物が残っていた…などなど、未だ謎の多い事件として語り継がれています。


しかし、坂本氏の活動の中で注目したいのは、
[海外の様式を取り入れ、日本にビジネスという価値観を広めた]
という点です。

彼は現代人からも人気があり、様々なドラマや書籍などを通して独特なキャラクターとして描かれることが多いですが、その真髄は[これまでの時代の価値観とは違う、新しい時代の価値観にいち早く馴染み、それを日本に広めて回った]という功績を元にしているからではないでしょうか。


前回書いた記事内でご紹介した、ドラマ新撰組!の中でも坂本龍馬氏は登場しており、薩摩藩と長州藩を結び付けたエピソードもしっかり描かれています。

ドラマの中でも、
・米が欲しい薩摩藩
・武器が欲しい長州藩

お互いがメリットを得られるように、
ビジネス的な感覚で手を結ぶのはどうですか?」
と、提案し、そのビジネス的な考え方を受け入れたからこそ薩長同盟が成立した。そんな風に描かれているんです。

ドラマ内では、あくまで新撰組が主役ですので、坂本氏の登場シーンはただのエピソードでしかない、と言ってしまえばそれまでです。

しかし、歴史という観点で見た場合、
[坂本氏と新撰組は丁度対極にいる立場]
そんな側面も見えてきます。


〖私が注目するポイント〗


新撰組は
・武士(侍)として、自らの命を掛けてでも主君に尽くす
・強さがものを言う
・戦で勝つ、一矢報いることが大事

主にこういった観点で活動していました。

新撰組は[これまでの時代の価値観]を最後まで貫いています。

一方、坂本氏は
・身分など関係ない時代
・ビジネス(金儲け)によって違う立場の者同士を結びつけられる時代
・戦で人を殺し合う時代ではない

主にこういった観点で活動していました。

坂本氏は新しい時代に主流になるであろう価値観にいち早く馴染んでいます。

このように、[これまでの時代の価値観で生ききった人間]と、[新しい時代の価値観を取り入れ、広く普及するように動き回った人間]の"対照的な思想の差"が明確にわかるエピソードがしっかり史実に残っている、という部分に面白味を感じたのです。


坂本氏は[大きな会社の礎を築くこと]や、[ビジネス的な感覚を幅広く広めるということ]をしっかりと成し遂げた人物です。

彼の活動もきっかけの一部として、現代の私たちには
『お金を儲けることが大事。』といった価値観が定着していますよね。

つまり、[坂本氏の思想]は現代人の中にまだ生きているといっても過言ではない
そういう側面があるのです。


薩長同盟が行われたのが1866年。現在2022年から、156年前の話です。

1867年に大政奉還が行われました1867年から156年前は1711年。

この、1711年というのは、面白いことに
丁度【正徳の治】の先駆けの時代です。

正徳の治を説明すると話がややこしくなり過ぎるので、今回は割愛しますが、主に新井白石氏が政治の中心となり、[儒教思想を取り入れた]という特徴があります。

前回の記事を読んで頂いた方なら、私の言わんとすることに察しがつくかと思いますが、私が思う[新撰組の敗因は儒教思想に縛られたものだ]と語りました。

つまり、この約150年間で、
[1つの思想に区切りがついた]
という流れなのです。

と、なれば、坂本龍馬氏の取り入れたビジネス思想に、[一区切りがつく時代]に、現代は差し掛かっていると言えるのではないでしょうか。

そう考えると、非常に興味深いと思いませんか?


私の頭が残念なところは、[ビジネス思想が終わったら、次はどういう思想がメジャーになるのか]今のところあまり見えていないことです。

こういう、時代を読む力というのは、勉強さえしていれば身に付くかといえばそうでもないので、難しいですよね。

ただ、[お金ではなくに関する時代]になっていくという予感はあり、日々自分の精神と向き合うタイミングは常に持つように心掛けています。




『ビジネス(お金)の時代の終焉にきているんだな。』と気付きながら、同時に
[お金の引き寄せ]という話にまつわる閃きも得たのが、昨日の話です。

以前から何となく理解はしていたのですが、お金を支払う場面で
『あー、お金が無くなる…。』という点にフォーカスするのか、
『あー、お金を使って豊かさ(欲しかった物)を得られる!』という点にフォーカスするのか
によって、それぞれの人の今後の豊さの命運を分けるという話、聞いたことはありませんか?

色んな人が、色んな表現方法で語っている話題なので、今この話を読んでくださっているあなたは私とは少し違う捉え方で腑に落ちているかもしれませんね。

私は、
『要するに
[お金が手元から無くなる部分にフォーカスしている人間]か、
[お金を使って豊かさを得ている部分にフォーカスしている人間]か、
それらの違いで、貧しい人か豊かな人かに分かれているだけなんだ。』
と、解釈しています。


そんな私ですが、
『○○が欲しい!』と思ったとき、真っ先に浮かんでくるのがお金のことなんですよね。

『○○が欲しい…けど、これはいくらなんだ…?』まず、金額の話題が頭を過るんですよ。

お陰様で、我ながら計算損得勘定節約等は非常に得意だと自負しております。

私個人が豊かに生きようと思ったとき、そんなに多額のお金は要らないタイプの人間だと感じている側面もあります。


が、ふと冷静に考えた時に
『何か欲しい物が出てきたときに、いちいち金額に縛られている自分って、惨めだなぁ…。』と思ったりもするんですよ。

そこでついつい
『お金欲しいなぁ…。』と、考えてしまいがちなんです *⌒艸⌒

しかし、私が本当に求める状態は
[お金のことを気にしなくて良い]という状態です。

この、[お金のことを気にしなくて良い状態]になるためには、即ち[金額がいくらだったとしても手に入れられる程、経済力がある状態]になる必要がある!と、思い込んでいたことにふと気付いたんです。

[お金のことを気にしなくて良い状態]というのは、
『[金額のことに関して考えないこと]でもあるんだ!』と、理解したんです。


以前全く違う記事で
[悩みがある=悩まなくてはいけない]ではない
という話を書きましたが、それと同じように
[お金が無い=お金に関して悩まなくてはいけない]ではない
ということです。

まぁ、頭で理解したところで、まだちょっと実行できてはいないんですけどね●>∀<


ここでまた、江戸時代の話をしますが、江戸時代の人々の感覚というのは、
『お金は必要なときに稼げば良い。』といった感覚でした。

同時に、ツケという文化も一般的でした。
「今の仕事が済んだら金が入るから、そんとき払うよ!」
と、その場で支払いをせずに商品やサービスを受け取るという文化が当たり前だったのです。

このように、かつての日本庶民の感覚としては
[今この瞬間お金が手元に無いからといって、その現状を不安視するような精神状態では無かった]ということです。


現代では、ツケと似た文化でクレジットカードなどを利用した支払い方法がありますよね。
(厳密に言えば、信用会社を介すので、ツケと全く同じかと言えば違いますが、商品やサービスの代金を後で支払うという点は同じです。)

しかし、現代人の多くの人の感覚は、
[月々の自身の収入]と[クレジットカードの引き落とし額]の"差し引きを計算した上で使う場合"がほとんどではないでしょうか。

引き落とし時に残高不足に陥る事態や、お金の使い過ぎを防ぐために、プリペイドカードやデビットカードなどのシステムも生まれています。
(お金が確実にある分だけを使える、というシステム。)


このように、[江戸時代の人々の感覚]と[現代人の感覚]を比べてみると、現代人は非常にビジネス思想の影響を受けている、という風に感じませんか?

私個人は、ゴリゴリに
『手元にある範囲内でしかお金を使ってはいけない!』という感覚が強く、金持ち思想からは縁遠い人間だと常々感じていました。

しかし、引き寄せの法則や、心の在り方について色んな気付きを得ていく内に、[現状は関係ない]ということを学んできました。

これもまた、頭では分かるけど、なかなか実行するのが難しい内容ですが、
『現状がこうだから…。』と、[現状ありき]で物事を考えるのではなく、
『こうしたら、もっとハッピーになれるから!』などのように、[自分の心の動きを原動力として行動すること]が幸福への近道だということが分かってきたのです。


そして、改めて考え直すと、私はしょっちゅう算用していて、
算用してからでなければ行動してはいけない!』という無意識の感覚に強く強く縛られていた
ということに気付きました。


江戸時代、[学がある人]と一言で言っても、現代人のように全ての人が同じ内容を同じレベルで学んでいた訳ではありません。

現代人の私たちからすると、ちょっと理解しにくい感覚ですが、
学がある=計算ができる
とも限らなかったのです。

商人の家に生まれた人間などは、算盤、算術などはかなり勉強していたかもしれませんが、農民や、たとえ武士であったとしても、計算ができたかというと、人によります

そんな世の中だったからこそ、
『収入はいくらだから、支出はいくらで…。』などいちいち計算しなかった、という側面もあるでしょう。


ところが、現代人はほとんどの人が簡単な計算は当たり前にできますし、電卓、スマホ、PCなど、計算機を使えます。

もっと言えばコンピューターが勝手に計算してくれるような時代です。

江戸時代から比較して、数字を扱える人が増えた。

時代を経て現代、数字はコンピューターが扱ってくれる

これは、下手をすれば、[数字について人間が考える時代では無くなってきている]とも取れますよね。

そんな時代の中で、
『[いちいち算用している自分]は非常に古典的な人間かもしれない。』なんて風に、少し思えてしまったんです。




今日は話が前後左右してしまい、ややこしい内容になってしまったかもしれませんが、私がこの話で言いたいのは、

『お金ありきで物事を考える癖を手放していこう!』

と自分に対して思った、という話です。

とはいっても、計算できることが強みとして活かせる部分も0になった訳では無いとも思うので、計算する場面と、計算しない場面をバランス良く使い分けていくのがベストだと、今のところは感じています。

昨日の閃きがあるまで、自分がそこまで計算中心に生活しているなんて、自覚が無かったんですよね。

気付いてみて改めて、
『そりゃ、金持ちとは縁遠い人間だわ!』って、笑えてきたんですよ *⌒艸⌒

これまで、一時的に[金銭的余裕のある状態]になれることはあっても、その状態を継続出来なかったんですが、
『その原因を見付けられた!』そんな気分です〃⌒∀⌒


私だけでなく、
『お金の引き寄せ苦手なんだよね…。』なんてタイプの人が何かに気付くきっかけになるかと思い、この話を書きました。

これだけ『お金』というキーワードを沢山書いておきながら、結論は『お金じゃなかった』って、変な話なんですけども、
『[お金について考える癖]から抜け出せさえすれば、お金を持っていようが持っていまいが、精神的に楽になれるんだ!』って部分を少しでも多くの人が気付くと良いのかもしれない、そんな風に思います。


私個人的には、今後
『どうしてそんなにお金の計算ばっかりするようになってしまったのか?』という自分のインナーチャイルドの部分を探って、成仏させようと思っているのですが、これも一筋縄ではいかないかもしれませんね。

とにかく、楽~に生きられる、風船のような人間になりたいです。

同じように、
『楽~に生きたいな。』っていう人の参考になったら嬉しいです。

沢山の人が楽に生きられる時代を迎えられますように。


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