私だって理解されたいもん
{2023.}
根拠は無いけど、私のブログは
〖リピーターさんの方が多い〗
と思ってたんですよ。
でも初めての人も結構いるかもしれませんよね!
🛸ウェルカムウェルカム🛸
今日の話は『受け入れられない!』って感じる人が結構いるかもしれない内容になります
◆毒親系の話が苦手
◆愛が無いなんて認められない
◆『自分が愛されてなかった』って認められない
というタイプの方には特に向いていない話かもしれませんので、ご注意ください。
今日は珍しく
「なぜこの話を書くのか」
って部分から説明しますね。
今日書こうとしている私の意見・考えって、世間から見たらとてもマイナーな方なんじゃないかと思ってるんです。
とは言え、私と似たような悩み・モヤモヤを抱えながら生きてきた人もいると思うので、そういうマイナー側の人たちに
「似たような悩みを抱えてるのは1人じゃないんだよ◎」
って伝えることと、
『そういう悩みを抱えている人もいるのか!』
って知って貰えることで、良い影響が生まれることを信じてるから、書きます。
ただ、繰り返しになりますが、
『受け入れられない!』って人も多いかもしれないので、
『何かこの話無理…。』って感じたら即そっ閉じでお願いします!
〖幼少期のエピソード〗
何か不意に思い出したエピソードなんですけど、4~5歳位の時に母と洋服のカタログを見ていて
「こういうスカートをプリーツスカートって言うんだよ。」
って教えられたんですよ。
そのとき私は【プリーツスカートの定義】を知りたかったんですよね…。
カタログの写真のプリーツスカートは
・ヒダが細かい
・チェック柄の
・ミディ丈位
のスカートだったので、
①ヒダがあるスカートのことをプリーツスカートというのか
②ヒダが細かいスカートに限りプリーツスカートというのか
③チェック柄のスカートのことをプリーツスカートというのか
④ミディ丈のスカートのことをプリーツスカートというのか分からなくて、気になったんです、知りたかったんです。
ですが、4~5歳なので【定義】という言葉も概念も知りませんでした。
また、ヒダという言葉なども知らなかったし、写真のスカートを見て
[何という言葉を使って質問したら自分の求める解答を得られるのか?]
という部分が全く分からなかったんですよね。
だから
「プリーツスカートって、どういうスカートのことをいうの?」
と聞きました。
母は、
「だから、こういうのだって!」
と、写真を指差します。
私は
「そうじゃなくて、えーっと……プリーツスカートの種類が知りたい!」
と訴えますが母は、
「だーかーらー、こういうのだってば!」
と怒ってしまったので、それ以降プリーツスカートについて質問できなくなってしまった経験があります。
〖子供時代の私の意見〗
多分、この経験があったことで、
『自分は、絶対にボキャブラリーが少ない立場の人間が本当に言いたいことを理解してあげようと、気持ちを組んであげられる大人になろう。』
『自分のボキャブラリーも増やそう。』
みたいなことを決意した気がするんです。
あ、その当時は【ボキャブラリー】って言葉とか概念も知らなかったので、雰囲気だけなんですけどね。
どう考えたって、[子供よりも大人の方が言葉を知っている]のだから、
『言いたいことを言い表せない立場の人間の気持ちを組もうと努力すらしてくれないなんて、意地悪だ!』って、子供ながらに思ったんですよ。
〖私の経験〗
この、プリーツスカートのエピソードに限らず、
・私が言いたいことを理解してくれない
・私が言いたいことを理解しようともしてくれない
という経験は非常に多かったです。
次第に[私の意見は無意識にスルーされるのが当たり前]になっていきました。
他のブログでも書いてきたように、私は常に[私の心はシカトされ続ける]という環境の中で大人になりました。
その弊害として、今でもなかなか自分の心の声を引き出すのに苦戦することが多いです。
ちょっとずつ引き出せるように頑張っています。
〖私の分析〗
現代はかなり変わってきてますが、一昔前って
『○○歳までには結婚するのが当たり前』
『結婚したら子供を産むのが当たり前』
っていう価値観でしたよね。
それがたとえ、『本人が心から結婚したい』訳ではなくても『本人が心から子供が欲しい』訳ではなくても
"世間体的に"結婚して子供を作らないといけないから、
「(世間体的に)結婚したい!」
「(世間体的に)子供が欲しい!」
と、思い込まされていた部分が色濃かったと思います。
私の両親ってその典型なんだろうな…。
っていう風に私からは見えていて、
[世間体のためにとりあえず結婚して]
[世間体のためにとりあえず子供を作って]
だから、
[結婚したことによって炙り出された心の問題]
に対しても心のどこかで
『だって自分が本当に望んだ結婚の形じゃないもん!』で、向き合うことから逃げ、
[子供との関係性によって炙り出された心の問題]
に対しても心のどこかで
『だって自分が本当に望んだ子供じゃないもん!』で、向き合うことから逃げ、
で、私にその皺寄せが全部きたんだろーなー…。
と、見ています。
私の親は[心の問題と向き合うことから逃げる]のが[思考の癖になってしまった]ので何を伝えても、とにかく言い訳が先に口から出てきます。
恐らく、もうこの思考の癖は治らないところまで進んでしまったように見えます。
〖今の私の意見〗
【本当に心から望んだ結果出来た子供】
なんだとしたら、子供と上手くコミュニケーションが取れなくても
『何とか取れるように工夫する。』
とか
『子供が表現しようとしてできてない部分を表現できるようにサポートしてあげようとする。』
とか
[子供と向き合う]
っていうことに、正々堂々と取り組めたんじゃないの?
って思っちゃうんですよね。
↑これらを指摘したところで、どうせまた逃げるから聞き入れられないのも分かってるし、指摘もできないという…。
〖あまり理解して貰えない部分〗
結婚してみたら、
子供を産んでみたら、
新しい家族と関係性を育むことが楽しくなって、気付いたら家族みんなで成長できてきた!
っていう人も世の中に沢山いると思うんです。
だから、よく言われている
「子供を愛していない親なんていない!」
という言葉が出てくることも、まぁ分からなくもないんです。
そんな中で私は
[親=子供を愛する存在だから]
って思い込まされているだけで、
全く愛じゃない行動を取る
『自分は親だから子供を愛している。』
とマインドコントロールされているだけで、
本心では別に愛していないのに
「自分の行動は愛故の行動なんだ。」
って言う
そういう人たちもかなりいる
と感じてるんですよね。
そういう人は、自分の心の深~い部分にアクセスできないので、
『自分は本心では結婚したいとも、子供が欲しいとも思ってはいなかった。』ってことに気付けない場合が多いんですよね。
だけど本当なら、
『自分は本心では結婚したいとも、子供が欲しいとも思ってはいなかった。』って部分を認めて、認めた上で
『それでも周囲からの圧に負けて結婚と子供を持つという選択を"自分"がしたんだ。』と認めて、認めた上で
『自分の選択に責任を持って、結婚や子育てする上で炙り出される自分の心の問題にもちゃんと向き合おう。』って考えられるようになっていくのが、理想的な筋だと思うし、大人になるってそういうことだと、私は思います。
↑こういう考え方に対して「厳しすぎない?」って意見もあるかもしれないけど申し訳ないが、産まれてきてしまった子供の立場からすれば
『自分は本当に心から結婚したくてした訳じゃない。』
『自分は心から望んで子供を産んだ訳ではない。』
って、素直に認めてくれた方が
『まだマシだよ。』って私は思うんです。
「これは愛だから…。」
って言い訳にしながら子供を傷付けるの、本当に質が悪いです。
子供側の立場で
[親=子供を愛する存在だから]
って思い込まされてるせいで親からの虐待に気が付けない、逃げられない、
『自分が悪いんじゃないか。』と自分を責め続けてしまう人も結構いると思います。
この思い込みを元に
『自分は親から愛されていなかった。』ということを認められなくて拗らせてしまった…
という人もいますよね。
だから私は
自分の子供を愛せない親なんてザラにいるわ
って言いたいです。
〖理解されにくい理由〗
親側にしても、子供側にしても
[子供を愛せない親がいる]
って認められない人程、拗らせてるケースが多いと思うんです。
特に親側の人間からしたら
「親=子供を愛する存在だから…。」
を都合良く使って、子供に対して酷い言動し放題ですからね。
酷い言動を繰り返した後で
『自分の言動が、子供からしたら、酷いことだったんだ!』って、気付いて認められるような精神力を持ってる人なら、そもそも子供に酷いことしませんし、してしまったとしても仲直りできたり、ちゃんと自分の非を受け止められる器は備わってるはずです。
【自責の念】に真っ向から向き合えない人程、拗らせてしまいますよね。
こういう人たちがいるから、
「自分の子供を愛せない親なんてザラにいるわ。」
とは、大声では言いにくいです。
〖ちょっとスピリチュアル混ぜますね〗
私なりの表現【量子の自分】、【肉体の自分】で書き表しますが、
量子の自分とちゃんとコネクトできていれば、愛に基づいた行動は容易です。
でも、肉体の自分には、爬虫類とか攻撃的な遺伝子もガッツリ残っちゃってるから、愛の無い行動もしてしまうことがあるんです。
ここを押さえておくと、
・人はときに愛の無い選択をしてしまうこともある
・愛の無い選択をしてしまったとしても、『自分には愛が無い。』と思い込まなくて良いこと
・反省するポイントの見極め
・やり直せるという事実
などなど、人々が拗らせている心の問題の色んな部分が解決しやすくなるんです。
だから私は
下手に「子供を愛してない親なんていない」とかいう綺麗事で蓋をするより、
[子供を愛せない親だっている]という事実を認めちゃった方が、愛に近付くのが速いと思ってます。
〖もうちょっとスピリチュアルに寄りますね〗
高次の世界なんかだと
[自分が放ったものを自分が受け取る]
のが当たり前だから、特にそういう部分を語らないけどみんなできるんですよね。
だけど、地球においては
「だって、自分が決めたことじゃないもん!」
など言い訳して[他者に責任を擦り付ける]ってのが横行してきたんですよ。
愛を語るなら、
自分の選択に責任を持つ
って、セットにしとかなきゃダメでしょ。と、私は思います。
私がこれまでに出会った
【愛を唱えるタイプ】
は多くの場合、
【責任は丸投げタイプ】
だったんですよね。
こういう印象があるから、[ほんわかHAPPY発言]にイラッとくることがあって、私はスピリチュアルが嫌いでした。
愛を唱えるタイプ程、
・愛の無い選択をしてしまうことがある自分
・愛の無い選択をしてしまった自分
・反省しなきゃいけないという事実
などなどを『受け止められない』って人、多かったんですよ。
そういう人にも、
「量子の自分と肉体の自分が混在してて、肉体の自分は時に残忍なんだよ!」
ってことが上手く伝われば、[振り回されて困る周りの人間]が減りそうな気がするんですけどね。
まぁ…直には伝わらないでしょうね。
〖私の考え〗
量子の自分と肉体の自分が混在してる以上、
【量子(≒魂)の自分】が成長するためには、同時に【肉体の自分】も成長させないといけない
と思ってます。
肉体の自分を成長させるには、[多少思考を使った教え方]も必要な部分があると思っていて、そういう意味でも
「ほんわかHAPPY発言だけでは人間は幸せになれないんじゃないの?」
って思うんですよ。あくまで私の考えですが。
こういう考え方なので、
スピリチュアルに思いっきり傾倒するのも
目に見える世界の中だけで生きるのも
自己啓発も
心理学も
合わない
のが私なんです。
別に当てはめる必要は無いんですけど、私のことを深く理解して貰えることがほとんどなくて、長い間孤独感もあったりしました。
けど、世の中には私と似たような悩みの中にいて、モヤモヤしてる人いるんじゃないかなー。って思うので、今回こんな風に書いてみました。
誰かの何かしらのヒントになったら良いなって思います。
今日はここまで☆
今日は追記
途中に書いた内容掘り返すけど、【アミ小さな宇宙人】の1冊目かな?で、
「悪いことをしてしまったら、反省するから、それで罰を受けたことになる。」
みたいなことをアミが説明してる部分があるんですけど、私はそれを知ったときに
「地球人は反省して自分の非を受け止めるってことができない人間が多いから、被害者が増える一方なんだよ!!!」
って思ったんですよね。
宇宙のルール的には[自分が生んだカルマは自分が摘み取らなきゃいけない]はずなのに、
何か悪いことをする→悪いことをさせたのは別の人
って、
カルマを擦り付ける、肩代わりさせる
みたいなことが大量にまかり通っちゃってるから、
反省しない人はどんどん悪事を重ねて、
責任を擦り付けられる人はどんどん増える
みたいなことが地球では何故か起こっちゃう。
それが
[争い事が無くならない根本の原因第一位]なんじゃないかと私は思ったんです。
絶対に、100%、とは言わないけど、
【愛を唱えるタイプ】
ほど
【責任は丸投げタイプ】
なイメージを持ってる私としては
「愛唱える前にてめぇのケツはてめぇで拭けや!」
って思ってしまうんですよ。
「自分の選択に責任を持てるようになってから愛唱えて貰って良いですか。」
みたいな。
だから余計に[ほんわかHAPPY発言]に嫌悪感を感じてしまう私がいます。
こうして書き出したことでちょっとは昇華出来たら良いんですけど…。
私も色々と手放せますように。
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