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六道


私、コーン好きなんですよね。茹でたとうもろこしも好きだし、コーンポタージュも好きだし、中でもコーン系のお菓子はめちゃくちゃ好きなんですよ。

今住んでる地域界隈ではなかなか見付けられないんですけど、専用の粉を入手して、トルティーヤ生地からタコスを作ってみるのもプチ夢の1つ。

そんなコーン好きな私のフェイバリットポップコーンがこれ。

これは本当に美味しい!神!

何と言っても、どうやって製造してんのか分かんないんですけど、大概ポップコーンの袋の底の方にはポップが叶わなかったコーンさんがいて、気付かずに噛んでしまって偉い目に遇うことが多いものですが、CGCさんのポップコーンって、ポップが叶わなかったコーンさんが入ってないんですよね!凄い!私の引きが良いだけ?!それは流石にないよね?そーなのかな?分かんない!分かんないけど本当に凄いと思ってるんですよ!

てか、そもそもCGCグループさんの商品美味しい物多いんですけどね!私はとてもとても応援しておりますよ!これからも頑張ってくださいね!

仏教の世界観の中には【六道】というものがありますよね。様々な説もある中で一般的には
・地獄道
・餓鬼道
・畜生道
・修羅道
・人間道
・天道

の6つに分けられることが多いです。

[輪廻転生を経てこれらの世界を体験していく]

という世界観な訳ですが、私はこの世にこの六道が存在している感覚があります。

・犯罪を犯すことが何故悪いことなのか分からないままに犯罪を繰り返してしまって苦しんだり、犯罪とまではいかずとも自分を責め続けてしまうような精神状態
・稼いでも稼いでも満足できず、人から奪うことばかり考えてしまう精神状態
・理性を伴わずただただ本能のままに従って生きている精神状態
・他人を蹴落としてでも自分が勝たなければ気が済まない精神状態
・物事を善か悪かで量ろうとし、悪と決め付けたら一気に叩き潰して良いという精神状態
・自分が楽しければ、満足できればそれで良いというような、能天気な精神状態

などなど

この世には六道のあらゆる地点に生きる人間が混ざっているように私には見えます。

勿論、その人たちに【○○道所属】なんてラベルが貼られている訳ではないので、普通は見分けが付かないから人間関係で苦しんだり、苦労してしまう人も多いのだと思います。


古い時代のスピリチュアルでは、本質的な[スピリチュアルに生きること]と、[これら六道の中から抜け出せていないこと]の差を語ってくれていない、むしろ混同してる話が多いことが、私にはどうにもモヤモヤしてしまうんですよね。

例えば、
スピリットに従って生きることと本能に従って生きることは全くの別物なのに、あたかも[本能に生きること]が[スピリットに従って生きていること]なんだと勘違いし、それを広めているケース。

例えば、
「ポジティブに、波動を高めることが大事だよ。」と、波動さえ高ければそれで良いと言わんばかりに高い周波数を押し付けているケース。

最近はマシになってきてるのかもしれませんが、

『ミスリードしたんなよ、可哀想に!』

って思うことがちょこちょこ(結構?)世の中にはある気がするんです。

その最たる例が🔻この話🔻

で書いた余計な解釈だったりする訳ですけど、[六道から抜ける]ということは、ある意味[肉体の自分の意識から抜ける]ということでもあるのだから、

「本能とか波動に干渉しないような世界観がゴールなんだよ。」
って何で教えてあげないの?まじ可哀想なんだけど?

と、私は思ってしまう。


先ほどの例え話を元にすれば、

肉体・本能に従って生きることがスピリチュアルな生き方という安直な解釈ではなくて、
肉体・本能が満足する行動をすることで精神(スピリット)と肉体のシンクロ率が上がるから、スピリチュアルに生きやすくなる
ということであったり、

波動を高く保って生きることがスピリチュアルな生き方という単純な解釈ではなくて、
波動(周波数)が下がりやすい地球上で波動を高めたり、チューニングを上手く行えるから、スピリチュアルに生きても様々なバランスを欠かずに人間としてスピリットの意向のままに生きられる
ということであったり、

『細かいプロセスをしっかり説明したれよ。』

と思っちゃう訳ですよ。

肉体・本能に従って生きることがゴールなんじゃなくて、
肉体・本能と精神のシンクロ率が高まって、肉体・本能の欲求にわざわざフォーカスせずとも上手く肉体を扱えるようになることがゴール(ゴールというか、スタートでもあるんだけど)
だし、

波動を上げることがゴールなんじゃなくて、
下がりやすい波動を上げるなどを繰り返すことで、わざわざ意識しなくとも勝手にチューニングを上手くできるようになることがゴール(これもスタートでもある)
だし、

中途半端なままで学びをストップさせるのは可哀想だと思います。


「天上天下唯我独尊」
が唱われたのが人間道な訳ですけど、
『これは善行なのか、はたまた悪行か…?』
などと両極を行ったり来たりできるから、その行ったり来たりの真の目的に気付ける
っていうことなんですよね。

六道の中で唯一片方と他方を比較できる精神状態の世界だから、
『いずれかが正しいのではなくて、対で一体なんだ!』
と、一歩引いた視点に立ちやすいのが人間道ということです。


これまでにも色んな話で手を変え品を変えお伝えしてきましたが、
『願望を実現するから幸せ。』
なのではなく

『幸せな状態が当たり前な自分でいられる(どんな状況でも真我の自分でいられる)から楽になれる。』

訳ですよ。

ですが、
『願望を実現するから幸せ。』
という世界観に引っ張られている人がとても多い気がするので、せめてこの部分だけでももう少し認識を改められる人が増えても良いような気がします。

とは言え、私自身も上手く表現しきれているか分からないし、表現が難しいと思ってるのも事実なんですよね。

そんな中で今日改めてお伝えしたいのは
『何かを得ているから幸せ。』
なのではなく

『何かを得ていると気付けているから幸せ。』
であるという風に再認識してみてくださいね

っていう部分です。

何に対してもそうです。お金、物、食べ物、情報、あらゆる物事に対して、それらを"得た"から幸せな訳ではなく、"得たことに気付けている"から幸せだという意識で、過ごしてみてください。

↑この意識で過ごすことで、きっと観えてくるものが変わるはずです。


六道から抜ける方法は色々あるとは思いますが、本日はひとまず【幸せ】というものへの認識を少し変えるお手伝いのお話でした。

"得たことに気付けた自分"にアクセスしてみる、是非今日から取り組んでみてくださいね。



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