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あつまる夏!瀬戸芸2019@大島

私にとってなかなか足を運ぶのに勇気のいる島でした。
ハンセン病療養のための島、大島。
近づくと、松がたくさん見えました。

上陸してすぐに、「違う世界」があったことを感じさせる島でした。私たちの日常と地続きで存在していたはずなのに、圧倒的な異質感がありました。

今は、ハンセン病の方はもう治っていて治療をされている方はいないし、かつてのような隔離政策はとられていない。それを分かっていても、かつては差別を受けていた、隔離するための島だったという面影は、はっきりと残っていて、それを感じさせられました。

同じようなトーンの建物が続いていました。
管理されていた、治療をするための場所だったということが分かる建物。
娯楽の気配がなくて、色味もカラフルなものは、芸術祭関連のものだけで、元ある建物はグレーを基調としていました。

音楽が流れていたんだけど、単に流しているのではないということがすぐに分かりました。
流れているのは伴奏だけの童謡だけど、あちこちのスピーカーから違う音楽が流れて重なって聞こえる場所もある。

何のための音楽なのか?と考えさせられました。
私が推測したのは、目が不自由な人が場所を把握するための音楽ということでした。信号機の音色に似ていました。
ガイドツアーで教えてもらったのは、盲導鈴(もうどうりん)であるということ。私の推測は当たっていて、後遺症で目の不自由な方のための音楽。

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道の真ん中に白線が引いてある。
車道の真ん中に引いてあるようなライン。これも弱視の方がはっきりと見えやすい黒い道路に対して白線を引いて助けとしているということでした。教えてもらわなかったら、普通に車道のラインと同じにしか見えなかった。

ガイドツアーで、島の歴史を学び、資料が展示してある施設で大島のことをより知ることも出来ました。
この島で生涯を終えるという前提で連れてこられた患者さん達を弔うための納骨堂、西国八十八か所巡りが出来なかった人のための札所。

いろんな宗教の建物。必ず何かの宗教に入らないといけなかったらしい。お葬式のことと、心の拠り所とするため。ここで死ぬということが前提。

芸術祭のアート作品も、大島の歴史と関連したものが多く、けっこう衝撃的でした。
知識として知っていたことが、リアルにそれを体験した人の言葉や表現としてそこにあるというのは、ただ読んで得た知識と全然違う。

こんな差別が本当に行われていたんだという現実を突きつけられて、怖いというのが大きかった。

小学生の時に、ハンセン病患者に対して差別があったこと、本名を隠して仮名を名乗っていたこと、家族も差別されていたことを習った記憶がある。
それが生々しく突きつけられて、心が少し追いつかないなというのが正直な感想。
心がぐらぐらして触れることが、知ることが怖い。その重みに押し潰されそうでした。

今は、こうして芸術祭の舞台の1つになり、たくさんの人が訪れる開かれた島だけど、未来を考えた時や、過去を語り継ぐことについて考えると、大島が背負っているものが大きすぎて簡単には語れないなと思いました。

知ること、大島へ足を運び歴史を学ぶこと、今のありのままの大島を見て感じることが、未来に繋がれば良いなと思いました。

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