見出し画像

なぜ?褒められたから?描きたかったから?ううん、伝えたかったから。

画像1

“お絵かき”なるものは、小さい頃から描いていました。
一人遊びが大好きで、積み木を眺めて妄想にふけったり、一人おままごとしたり。
絵を描くのも、その中の一つでした。

自分の中で“絵”と意識して描いたのは確か年長さんのある日。
近所の、『赤い屋根のお家。』を、広告紙の裏に描いて母に見せた。
これを見た母は、保育園児が家を立体的に描いた事に驚いたそうです。
めっちゃ褒められた。
多分、それでこの絵の事を憶えているんだと思う。

奇跡の一枚の絵に何かを思った母は、
スケッチブックを買ってくれ新しいクレヨンも揃えてくれた。
さあ、描きなさい。ってな訳でしょう。が、
「私を染めて!」と言わんばかりに真っ白く構えて待っている画用紙に向かって
ペンを入れよう。と思ってもプレッシャーしかない。真っ白な紙は真っ白なままが綺麗。
そのうち、
あれは奇跡の一枚だと母は気づいたらしい。
ひとり遊びが好きで、友人関係を築くのが下手だった私を、このままではイカンと思ったらしく、今度は「外で遊びなさい」と放り出した。
ギリ、幼馴染が居た頃は何とかなっていたんだけど、学校に上がってから両親は離婚。
引っ越し&転校。人間関係の一から作り直しに失敗して…見事なイジメの対象。
で、
懐かしいお友達、スケッチブックの元へ戻って行く。

その後、
デザイン学校に行き、デッサンにのめり込む。クロッキーにハマる。ところが、
デザインにのめり込まないので当然、デザインのコンクールがあっても入賞経験なし。
絵画展もチャレンジするがこちらもダメ。
そのうち、就職をする時期が来るのだが、
結局、デザインとは無関係の製造会社の事務員として就職。

なんの為にデザイン学校に行ったんだろう。
高い学費を払わせて、結果が出せなかった。と、自分にガッカリした。

ところがココで、思わぬ実力を発揮するチャンスを手にする。
事務職とはいえ、下請け製造業の会社なので、実際は 在庫管理や工場内への連絡通達が私の主な仕事。なんという事でしょう“デッサン力”や“クロッキー”が役に立った!

商品の不良部分の説明。安全確認の案内。外国人社員への説明。などなど…。
絵で説明すると、スッと理解してもらえる!

そこで分かった。
私が絵を描くのは『説明をする』ためだったんだ!
当時珍しい赤い屋根の家も、どんな形をしているかを伝えたかったんだ!

その後結婚して、出産。
共働きだったので、子供が病院に行くときには『お医者さんノート』なる“自宅カルテ”を作り、義母に持参をお願いする。帰ってきたノートを見れば先生の返事(治療方針)が書いてあるので、義母の聴き逃しにイラつく事もない。
そのうち医院の方で、我が家のノートに似たもっと簡易な通い帳が、患者に配られた。
このノートは今でも我が家の宝物です。

画像2

そして近年、私自身が事故にて後遺症が出て、健忘症で困った時にも、絵が助けてくれた。
医師への症状を伝える言葉が思い浮かばず、通院時にたまたま調子が良かったりすると
辛かった時の自覚症状をも忘れてしまい、元気だと伝えてしまい数時間後に後悔…。
自分用に『お医者さんノート』を作って毎日記録を残した。
このノートも毎回、病院への持参物となった。

現在、介護する様になり
福祉施設に通い、通院する様になった義母にも、この取り組み方が役にたった!
カンファレンスでも、私手作りの義母の説明書が出しゃばり、
病気の進行具合を言葉で説明するよりも、イラストにて素早く先生に伝わる。
施設に対しても、家族が義母を大切に思っている事も伝わってくれたらしい。

実は先日、義母は86歳の人生に別れを告げて静かに旅立っていった。
お通夜の日、通っていた施設の職員さんが義母に会いにきてくれたのだけど、
『義母のトリセツ』と名付けたイラストだらけのノートを交換日記の様に共有しているうちに、家族の様な気持ちになってしまってくださったと大泣きされてしまった。
これも我が家の宝物です。



今、こちらのnoteで投稿している内容も、つまりは説明書。
朝ドラを観て、妄想した事を説明して、
いつも行くお店の塩対応の店員さんから拾ったネタを伝える。(あの店員さんは実在します)
居心地の優しい今のノート…。それがnote。



ありがとうございます!楽しく見て、読んで、愉しんでくださったら嬉しいです\(//∇//)\ 🔔出来るだけ気をつけていますがコメントへのお返事を頂いたのに気づけない事があるかもしれません。もしも失礼があったらごめんなさい😅💦