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2023年のクリスマスに聴くビリー・ジョエル ~ 「クリスマス・イン・ファルージャ」(2007)

 クリスマス・イブだ。

 無宗教の私には何の変わり映えもしない日曜日 (昼間、イリーナ・メジューエワさんの素晴らしいコンサートを聴いたのだけれど)だが、昨日聴いた音楽が頭から離れず、神妙な気分で聖夜を迎えている。

 私が聴いたのは、ビリー・ジョエルの「クリスマス・イン・ファルージャ Christmas In Fallujah」という曲。2007年にキャス・ディオンという歌手のために書いたそうだが、翌年のオーストラリア・ツアー時にビリー自身が歌ったライヴ録音が日本で初めてCD化されたのだ(オーストラリアでは限定シングルとして発売)。目下、ビリーが書いた歌詞付きの曲としては、これが最新のものとなる。

 タイトルの通り、2004年、イラク戦争で起きたファルージャの戦いをテーマにした歌だ。歌詞の主人公は、彼の地での戦闘に参加し、その後も現地に残った若い兵士。彼はイラクの人々に自由をもたらすため、まさに十字軍として異教徒と闘う任務についたが、土地の人からは歓迎されず、故国の恋人(もしくは妻)からは徐々に忘れ去られ、極度の疲労と虚無の中に沈みながら、クリスマスを一人祝う。

 そんなシニカルな状況を織り込んだ詞で、ライナーに書かれている通り、明らかに「反戦歌」と呼べる内容で、これのどこがクリスマスかと言いたくなるほどに陰鬱で重厚な曲だ。

 荒々しく歪んだエレキ・ギターの前奏に続き、ジョン・レノンを意識したようなヴォーカルが、ヘヴィなビートに乗って、砂漠でクリスマスの夕暮れを迎える若い兵士の心の叫びを、言葉をちぎるようにして綴っていく。バックではアラブ音階を多用したメロディが繰り返し奏でられ、過酷なイラクの砂漠の情景を描き出しながら、兵士の心に湧き起った怒りに火をつけていく。リフレインに至って、ビリーは「ファルージャからメリークリスマス!」と繰り返しシャウトし、バック・バンドが「ハレルヤ ハレルヤ」、そして「ウー・ラー」と背後で唱和する。

 線の太い、うねるような潮流を孕んだ音楽が、私の心に暗くまとわりつき、穏やかな週末の気分をかき乱していく。特にこの痛烈な歌詞が突き刺さる。

There is no justice in the desert
砂漠に正義など存在しない
Because there is no God in hell
地獄には神などいないんだから

Christmas In Fallujah by Billy Joel
日本語訳:Kuni Takeuchi
「ビリー・ザ・ベスト:ライヴ」SICP31669-70

 ここで歌われているのは20年以上も前のイラク戦争での状況だ。しかし、ビリーが歌った兵士と同じような人たちは、今この瞬間も世界のどこかにいて、クリスマスの日を迎えている。ウクライナで、ガザで。

 もちろん、今、私たちがリアルタイムで直面している戦争を、あのイラク戦争での戦闘と同一視することはできないけれど、どちらも無慈悲な殺戮が繰り返される地獄であり、そこには正義も、神も存在しないという点ではまったく同じである。人々に自由をもたらすという大義名分でおこなわれる虐殺で命を失う人たちはもちろんのこと、国家に命じられるままに無辜の人々を殺し、日々のつつましい生活を奪わねばならない兵士にとっても。しかも、彼らは国家にとっては「駒」に過ぎず、その死は都合よく賛美され、都合よく忘れ去られていく。

 この際、神とは何かは脇に置いておいて、私たちにとって「正義」とは一体何なのだろうかと、これまでも繰り返してきた問いを自らに投げかけ、考えなければならない。それは何と辛く、哀しく、空しい作業かと愕然とせずにはいられないが、粘り強く続けねばはらない。ビリーの「最新曲」を聴きながら、そう思った。

 考えてみれば、ビリーの曲には、前述の歌詞と通じるような内容をもったものがほかにもいくつかある。

 その一つは、1982年発表の「ナイロン・カーテン」所収の「グッド・ナイト・サイゴン」。ベトナム戦争から生還した兵士をテーマにした曲のサビの部分で、彼はこう歌う。

And who was wrong? 
誰が間違っていたのか?
And who was right?
誰が正しかったのか?
It didn't matter in the thick of the fight
闘いの真っ只中では そんなこと関係なかったのだ

Goodnight Saigon by Billy Joel
日本語訳:山本安見
ビリー・ジョエル ジャパニーズ・シングル・コレクション SICP31510-2

  ベトナム戦争終結から7年を経て、ビリー自身がかつて徴兵忌避したことを乗り越えようとするかのごとく書いた音楽だが、ここでも、戦場には「正義」なんてどこにもないと切実に訴えている。

 もう一つは、冷戦時代のソ連で青春時代を過ごした若者と、同時期にアメリカで育ったビリー自身を対比させて歌った「レニングラード」。サビではこんな言葉が投げつけられる。

What do they keep on fighting for?
いったい彼らは何のために戦っているのか?

Leningrad by Billy Joel
日本語訳:山本安見
ビリー・ジョエル ジャパニーズ・シングル・コレクション SICP31510-2

 自らが所属する国家の発する美辞麗句を信じ、ただ命じられるままに武装し、異国の人たちを敵視し、ときに殺さねばならなかった若い兵士たちは、泥沼化する戦いに疲弊し、自分の果たすべき目的を見失い、自分自身をも見失う。挙句、自らも敵に殺されるかもしれないし、忘れ去られていく。

 「ナイロン・カーテン」が発売された頃、これはアメリカの病巣を描いた社会派アルバムだと評されたけれど、あれから40年以上を経た今、彼が抽出した社会の闇はもはや全世界共通のものとなってしまった感がある。これで良いのだろうか。いいはずがない。

 今後、こうした反戦歌に出てくる兵士の姿は、様変わりしていくだろう。戦場のありようが大きく変わっているからだ。もしかすると、敵を殺すのは兵士ではなく、ロボットだったり、無人のドローンだったりするかもしれない。しかし、最終的にその殺戮機器を操縦し、死のボタンを押すことさえも、AIが実行するようになるのかもしれない。そんな戦場が出現したとき、砂漠どころか、地球上のあらゆる場所から「正義」が消え去っていくのだろう。もちろん、人が人を殺すなら良いという訳ではないけれど、人間が制御できない機械が戦場で「活躍」するようになれば、もはや人類は死へと一直線に突き進むしかない。

 どこに希望を見いだせばいいのだろうか。

 今、私にできるただ一つのことは、「クリスマス・イン・ファルージャ」で皮肉めかして歌われるこの歌詞に願いを込め、静かに祈ることだけだ。

Peace on Earth, goodwill to men
大地に平和を、人類に善意を

Christmas In Fallujah by Billy Joel
日本語訳:Kuni Takeuchi
「ビリー・ザ・ベスト:ライヴ」SICP31669-70

 余談だが、この曲の主人公は恐らくアメリカの海兵隊員だと思われる。バックバンドが歌う「ウーラー Oo-rah!」という荒っぽい雄叫びは、アメリカの海兵隊で使われているものだからだ。事実、ファルージャの戦闘ではアメリカの海兵隊と陸軍が参加し、交代で任務を果たした。また、「ウサマはパキスタンの山にいる」という歌詞もあるのだが、そのウサマ・ビン・ラディンを殺害したのもアメリカの海兵隊の特殊部隊だった。

 この「ウーラー」にはいろいろな意味があるそうで、ごく普通の挨拶に使われることもあれば、別れの言葉("Farewell!", "Until then!)としても使われることもある。推測だけれど、この曲では後者の意味で歌われているのだろうと思う。決して普通の挨拶のようには聞こえない。

 たった数分の曲だが、実に重く、実に多様な問題を投げかけてくれる音楽だ。1993年の「リヴァー・オブ・ドリームス」以来、これともう一曲の例外を除けば、新曲を発表していないビリーだが、こんなに内容の濃い曲を聴いてしまうと、是非とも新しい曲を書いて聴かせてほしいと切望せずにはいられない。当然、もうこれ以上、反戦歌が生まれない世界を望むけれど。

 もう一つ余談。ビリー・ジョエルと言えば、来年の1月に16年ぶりに来日する。今回、「クリスマス・イン・ファルージャ」を初めて聴けたのも、その来日記念盤としてリリースされた「ビリー・ザ・ベスト:ライヴ」という2枚組アルバムで、日本初CD化されたからだ。

 今年、74歳を迎えた彼が日本でライヴをやるのは、これが恐らく最後になるだろうが、幸運にも、一夜限りの東京公演のチケットを入手できた。初めて彼のライヴを聴いてからちょうど40年、2006,2008年に続く4度目のライヴ、今から楽しみだ。まさか「クリスマス・イン・ファルージャ」は歌わないと思うが。


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