プレゼンテーション1-1

大混乱の中東 Part 1

こんにちは。Naokiです。
仕事で今度中近東に行くことになったので、勉強したことをまとめたいと思います。ずっと混乱状態が続く中近東ですが、毎日のようにニュースが舞い込んできます。しかしこうした断片的な情報だけでは、このニュースが一体何も意味するのか理解することができません。ここで一旦歴史を紐解いていき、なぜ中東問題は解決しないのかを多角的に捉えていきたいと思います。
前回までの美術とはガラリと変わったテーマとなりますが、よろしくお願いします。

イエスマンばかりを周りに置くことに必死になるソ連

 中東問題についてなのに、なぜいきなりソ連の話?と思ってしまいますが、中東問題のすべては大国ソ連、ロシア、アメリカの話になってくるのです。中東問題を知るにはソ連という国を知る必要があるので、一旦ここでソ連についてまとめてから中東問題に迫ります。


 第二次世界対戦で日本は負けました。この戦いで日本は300万人もの命を失うことになり、アメリカGHQによって、日本が二度と兵器を持って戦わないように支配し、日本の体制を変えていきました。一方で戦争に勝ったにも関わらず、大量の戦死者を出してしまった国があります。それは当時のソ連です。その数2,700万人。戦争に勝ったのに大きな代償を支払うことになったソ連は、ロシアになった今でも、そのトラウマと戦うことになっています。いかに戦死者を出さずに勝つか。これがロシアの軍事的な意味での”テーマ”となります。


 そのため、当時のソ連は多大な戦死者を出さないように大きな試みをスタートします。それは、イエスマンを周りに配置させることです。イエスマンとは、つまりソ連の周りに自分たちの言うことを聞き、味方になる国を置いて置くということでした。なぜそんなことをしたのでしょうか。要するに戦場での緩衝地帯を置きたかったのです。当時、社会主義国家だった東ドイツやポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニアなどの東ヨーロッパ諸国はすべてソ連の言いなりでした。つまりソ連にとって、イエスマンです。これにより、万が一、資本主義国家の西ドイツやフランス、イギリスが攻めてきても、戦場になるのは東ヨーロッパで、ソ連がいきなり直接攻撃されることはありません。緩衝地帯で戦闘が起こっている間に撃退するための準備をすることができます。ソ連は緩衝地帯を自国の周りに置くことを何よりも最優先するようになりました。これが中東問題の根源となっていきます。


 ちなみにロシアと日本の間には北方領土問題がありますが、個人的にはロシアは、この考えを改めない限りは北方領土の返還はないと考えています。北方領土を日本に返すとロシアに何が起こるのか。ロシアと日本が海を挟んで国境を接することになります。ロシアは社会主義国家、日本はアメリカと同じ資本主義国家。つまり北方領土という緩衝地帯がなくなり、国境を接することになってしまいます。日本とアメリカは日米安全保障条約があるので、日本とロシアの間に何かあったら、ロシアにとっての敵国アメリカ軍が登場してきます。ロシアが何がなんでも避けたい事態です。国境を接するところに敵対する国を置きたくないのが今のロシアの最優先事項なのです。

味方を作るために、アフガニスタンを支配下に置いた

 当時、西アジア(カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン)はソ連の一部でした。ソ連の近くにはイランという国があります。イランはソ連に対してはあまり友好的ではありませんでした。ソ連は周りにイエスマンを置く理論から、イランの近くに緩衝地帯を置きたいと考えました。そこに目をつけたのが、アフガニスタンです。しかし突然アフガニスタンに戦争を仕掛け、占領するのは世界から非難を浴びること間違いなしですので、戦争できる口実を探していました。アフガニスタンでは国内情勢が不安定になり、クーデターが何回も起きるようになっていきます。ソ連はここに目をつけ、
(アフガニスタンの大統領が、混乱している国内状況を助けてほしい、とソ連にお願いしてきた。だから軍をアフガニスタンに派遣します)
という理由で、アフガニスタンに軍を派遣しました。実際には大統領はそんなことをソ連に要請していませんでした。ソ連がアフガニスタンに侵攻して最初に行ったことは、アフガニスタンの大統領の暗殺でした。その後ソ連のいうことを聞く政権をでっち上げて、アフガニスタンをソ連の支配下に置きました。中東の混乱は、ここから始まるのです。

オサマ・ビンラディンとソ連

 急にソ連がアフガニスタンを占領してきたので、国民はソ連に対して反対運動を行うようになります。宗教の話になりますが、アフガニスタンはイスラム教の国、一方ソ連は社会主義国で宗教は弾圧の対象となっていました。宗教は、基本耐えて信じれば道は開くというものです。社会主義国家では、人々が団結し、不幸からの革命を起こすので、宗教があると人々から革命をするモチベーションを奪ってしまうということから、社会主義では宗教は厳禁となっています。敬虔なイスラム教徒が住むアフガニスタンに、いきなり自分たちの信じる神を否定するソ連が入ってきたので、アフガニスタンでの国内での不満が爆発するのは当然なことでした。ソ連の支配に反対する市民と、政府(ソ連のイエスマン)との間に紛争が勃発します。イスラム教では、異教徒との戦いは、聖なる戦いとされ、この戦いで死ぬことが何よりも名誉なことであるとされているため、アフガニスタンの状況を気の毒に思った他のイスラム教諸国からも若者がアフガニスタンに押し寄せ、アフガニスタン政府と戦いました。内戦は激化するばかり。この若者の中に、オサマ・ビンラディンという人物がいました。


 ソ連のアフガニスタンを支配したことで、イスラム諸国との戦いとなりました。その後どうなっていったのか。次回もよろしくお願いいたします。

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