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下瀬ミチルというどうしようもなく不器用な物書きを紹介しようと思う

今回はね、一人の物書きを紹介したいと思う。
その人は、note内ではなかなか浮かばれない文章を書く女性で、どこかドロッとした感情を文脈にしのばせることができる物書きだ。
名を下瀬ミチルという。

時にR18指定の様な内容をnoteにつらつらと書く彼女はなかなか公式運営者からはピックアップされにくい存在で、その実力に反して知名度は低い。
はじめに浮かばれない文章を書くと言ったのはそういった彼女の生き方というか、物書きとしてのスタンスが招いているnote内の立ち位置の微妙さから抱いた私の印象である。

でも読めばわかるんだけど、とてもいい文章を書くんだ。

その存在を知った時から類稀な文才を秘めた女性だと感じていたが、私が心底その文章に触れて震撼したのは2018年12月から翌年1月にかけて『飼い猫の死』をテーマに2本のnoteが投稿されたのを拝読した時だった、、

一度読んでみてほしい。

なぜそんなに心を揺さぶられたのか。

それは彼女が書く文章が人が生きていればどうしても起こりうる残念な間の悪さを見事に描写したものだったからなんだ。
以下に少し引用するね。

ねこが死んだ夜、Amazonで注文した子猫用の哺乳瓶が届いた。
水分だけでも摂らせなければと思い深夜に慌てて頼んだものだった。
佐川急便のおじさんが、夜9時近く、「遅い時間にすみません」と本日中のお届けを厳守するため頭を下げながら持ってきた。
私が今日中なんて無理を言ったからなのに、おじさんはまるで自分の不始末のように何度も何度も謝ってくれたので私も一緒になって笑いながらペコペコと頭を下げた。
大丈夫です、充分に間に合っているし、間に合わなかったのです。
シャチハタをポンと押しドアが閉まると、私は貼り付いた笑い顔のまま声をあげて泣いた。

一読で私は言葉をうしなった。

夜中だろうが律儀に届けてくれる日本の配達業者に、ねこの命に間に合わなかった哺乳瓶、人前では笑顔の彼女、ここではすべてがチグハグにまわっている。
それが滑稽で何ともいえない物悲しい流れを生み出していた。

そして引用箇所からさらに読み進めていくと、下瀬ミチルが下瀬ミチルたらんとする下瀬ミチルっぽい何かが出てくる。

ねこ、ごめん。
おまえのことなんて考えられなくて、
私はおまえの死に映った自分を見ている。

そこからは悲しみではない懺悔の言葉で結ばれてゆく。

そして、年明けからはねこのいない生活が展開される。

こちらも引き続き読んで欲しい。

先生、明日休診が明けたら風邪の薬は欲しいんだけど、喘息の薬はもういらないみたい。
だってもう、咳が出ない。
咳が全然出ないんだ。

この引用文の意味を知る時、あなたはこの私小説の深みに触れる。



そんな彼女はいまnoteを休んでいる。
文学賞に応募する為に小説を書いているのだと言う。

私、ダメだったときダメだったと、正当に傷つきたい。
ちゃんと悔しくなりたい。
泣くならちゃんと泣きたい。

下瀬ミチルさんは決意をした。
きっと不器用だからnoteで人の注目を集めながら、小説なんて書けないと判断したんだろう。

もしかしたらそれは物書きとして今の時代にはそぐわない生き方かもしれない。でもきっと彼女の中の下瀬ミチルはそう生きられない存在なのだろう。

この時からしっかりとnoteの更新は途切れている。
小説を書いているのであろう。

◇◇◇

そんな下瀬ミチルだが、先日開催されたnote関西meetupにひょっこり顔を出してくれた。来ないものだと思っていたから驚いた。せっかくだから会ってみた感想をここに記そうと思う。

この時はじめて彼女を目にしたんだけど、想像したとおりの人間だった。
なんというか文学の香りがしたのだ。言葉は悪いがほっとくとそのまま野垂れ死にしそうな空気を身にまとっているんだ。

やっぱりいい小説を書いてくれそうだと思った。

#note関西meetup #とは  

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