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ナカさんの読書記録 「ものがたり日本音楽史」徳丸吉彦

私は日本人なのにどうして自分の国の音楽について知らないことが多いのか?日本人なのに何故「音楽=西洋音楽」なんだろう。私たちの生活は圧倒的に西洋音楽にあふれています。いつからそうなったのか?どうしてそうなったのか?その疑問を解くためにこの本を手に取りました。

岩波ジュニア文庫という小中学生から大人世代までを対象にした幅広く読める入門新書シリーズから出ていて、とても読みやすく構成も良い本でした。この本と対になっているのが作曲家近藤譲さんの「ものがたり西洋音楽史」なのですが、クラシック音楽周辺では良書と評判です。あとがきによれば近藤譲さんの西洋音楽史が半年先に出版され、その後この本が出版されたそう。2冊とも2020年11月に第74回毎日出版文化賞特別賞を受賞しています。

日本古来の音楽は声明など宗教的なものから次第に貴族の教養としての音楽として広まります。藤原貞敏(807~867)は遣唐使に随行して唐で琵琶の曲を学び日本に伝えたのだそう。今で言うとセレブの海外留学な感じでしょうかね。貴族のたしなみとして外国音楽を楽しんでいたのでしょう。
音楽は様々に「利用」されてきました。古代、中国や朝鮮半島の国々と国交・交易を結ぶために、相手国の言葉や音楽を習得しました。漢字が日本に取り入れられ、楽器や音楽も大陸から渡ってきました。さらに江戸時代が終わり明治の文明開化では音楽も急速に西洋化が進められました。明治政府の神道教育を強化しましたが、歌詞は神道の内容でも音楽は四拍子の長調。ピアノやヴァイオリンで伴奏され、ここでも西洋音楽は「利用」されたのでした。また第二次世界大戦下の状況についてこのように述べられています。

『「贅沢は敵だ」という当時の考え方から、日本音楽の演奏会は、批判されがちでした。しかしこうした政府の政策は、不思議なことに、日本音楽ではなく、西洋音楽を促進しました。日本精神を強調しながらも、ラジオの臨時ニュースで流される音楽も(略)西洋音楽をもとにした日本の作品だったからです。(略)外国語のドレミに代わって、日本音名が使われました。(略)しかし、政府が音名の呼び方を日本化しても、使ったのは西洋の音階や和音で、日本音楽を盛んにしたわけではありません。日本精神や大和魂を叫びながら、音楽に関しては、このような西洋音楽を推進した近代末期の状況が、第二次世界大戦後の日本で西洋音楽が盛んになるのを準備していたのです。』ここがメチャクチャ不思議に感じます~ 歌詞は天皇を崇め忠誠心を煽る内容なのに、音楽は敵国の西洋音楽なんですよね。ジャズなんて敵性音楽として禁じられていたのに。なんか矛盾してしてない?! 戦時中色っぽい内容はNGとして長唄の歌詞を変更させられたり、戦後はGHQから忠君愛国思想のため忠臣蔵や勧進帳などの歌舞伎演目がNGになったり。音楽は時代の流れの中で政治的に利用されたり、制限されたりを繰り返してきました。

こんな記述もあります。「近世から近代になったからといって、人々の音楽の好みが急に変わるわけではありません。明治二十年代になっても、近世の江戸時代から活動していた音楽家が活躍するのは当然です。その意味では、明治時代の日本音楽には、音楽の演奏と聴き方に、江戸時代からの連続が見られます。」そうそう!そこなんです~、いくら文明開化や西洋音楽がどんどん入って来たって、そんなにスグにパッと庶民の楽しみが変わるとも思えないんですよね。まぁもちろん、新しもの好きな日本人の性格として西洋音楽はあっと言う間に広まったんじゃないかな?と想像できますが。。。

そしていつの時代にも「音楽を庇護する権力者」が存在します。今様が大好きだった後白河法皇、江戸幕府は江戸に楽人たちを集めて雅楽曲の復活を考えたり、紀州徳川家や彦根井伊家も雅楽を保護しました。明治政府は雅楽局を作り、能楽は朝廷で演奏されて評価が高かったそうです。いつの時代も音楽や文化の保護はお金もかかりますがとても大事ですよね。どこかの知事さんの様に音楽や文化活動の予算を削るような人もいますが。。。

そして「音楽を記録し残す技術」。
『近代日本の基本方針である文明開化と神道の重視はどれも成果を上げました。この方針で導入された西洋音楽はしだいに普及し、それを(略)西洋楽器の国内生産と五線譜の出版が助けました』レコードの普及とラジオ放送が始まります。西洋音楽の普及の他にも、民謡が日本各地に広まっていったり。またアイヌや琉球の現地録音など貴重な記録として残されました。
楽譜として残されたのは1472年高野山の「文明四年声明集」が現存する世界最古の印刷楽譜と考えられているそうです。また、浄瑠璃の新曲がすぐに印刷されて販売されたり、当時の識字率の高さも分かります。器楽の音色を言葉に移した「ポ・プ・タ・チ」の略称が使われているのは、今現在でもつかわれる「チン・テン・トン」などの「口三味線」と通づるものがあります。

音楽の変化には二つの種類があると分析しています。一つは異なる文化の音楽に接触することで生まれる「文化触変」。もう一つは音楽家の創意工夫によって起こす「内発的変化」。近世の内発的変化から近代後半は西洋音楽との文化触変が目立つ。「伝統音楽」というと古くから変わらない音楽と思いがちですが、常にこの二つの変化で進化し続けているのが日本音楽です。

敗戦国日本と音楽の章でこんな文章があります。
『日本とアジア諸国との不幸な関係は、音楽の交流にも影響を与えています。現在でも、日本音楽がアジア諸国で受け入れられないことがありますが、その背景には日本とこれらの国との間の歴史的な経緯があることはもっと強く意識されるべきです。』
ドキっとしてしまいました。これだけ中国や朝鮮半島から影響を受けているのに、逆にアジア諸国では受け入れられていないとは・・・
たしかにKABUKI、BUNRAKUなどヨーロッパやアメリカなどでは高く評価されているかもしれないけど、アジアではどうなの?近いのに何も知らない隣の国々。日本の音楽を知るにはまずアジアからなのに。
この本がきっかけになり、ますます日本やその周辺の音楽を深く知ってみたいと思いました。巻末で紹介されているサイトが資料探しに便利そうなので紹介しておきます。

2020.11


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