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柳宗悦氏の美意識を【徹底分析】する


今回は柳氏が残した言葉やコレクションから、

柳氏本人でさえ言語化できなかった美意識を徹底的に分析しよう
という試みです。



柳宗悦氏を知らない方にとっては、
おそらくチンプンカンプンな内容になっております。

予めご了承ください<(_ _)>




私は柳氏へ敬意を持って接しています。
詳しくは、過去の記事の
「柳さんへ」という文章で書いております。

それと、念のため書いておきますが、
この記事は分析するのみで、
分析した美意識について優劣や上下関係を言いたいわけではありません。



‐‐‐‐‐



柳氏は自身の美意識を体系的に整理して『民芸理論』としました。
柳氏の美意識を語る場合、ほぼ100%この『民芸理論』を通して考察されます。



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しかし、実際の柳氏は『民芸理論』範囲外の、

かなり広い範囲に美しさを感じていたのではなかろうか?

という個人的な疑問を検証していきます。





あと、もちろん例外はあるんですが時代的にザックリ言うと
柳氏は、
『江戸期~明治期』あたりの工芸品に、特に強い関心をお持ちだったようです。

文章やコレクションを見る限り、日本の陶芸文化の転換点である
安土桃山時代への関心はあまりなさそうだなぁと感じています。
(※安土桃山~江戸初期にかけて日本の施釉陶磁器の文化が花開きます。)




大まかな柳氏の美意識分類


柳氏の美意識
柳氏の美意識分類

手作りの図ですので、見にくいかもしれません。
すみません…。

※民芸・民藝どちらの表記もありますが、意味は一緒ですのでお気になさらず。


・柳氏の美意識:中央の四角

・民芸理論の条件を満たす工芸:右上の四角
・民芸理論の条件外にある工芸:右下の四角
・実用的な作家作品:左上の四角
・観賞用の作家作品:左下の四角



柳氏美意識を表す中央の四角と、その他の四角が重なっている部分が重要です。
重なりの部分には右上から時計回りに①②③④の番号を振っています。



多くの人が認識している

民芸理論に忠実で柳氏の美意識にも当てはまるものは、

右上の四角の中で、①の範囲だけ
になります。



これから①~④を順番に解説していきます。

中央の柳氏の美意識の四角 と 上下左右の四角の、
重なっていない部分(柳氏の美意識外)も、意外と重要になってきます。


また、柳氏が語った民芸の特性についてまとめた文章は
ここで引用しておきます。

柳の説く「民藝品」とは具体的にいかなるものであるのか。柳は、そこに見られる特性を次のように説明している。


1.実用性。鑑賞するためにつくられたものではなく、なんらかの実用性を供えたものである。


2.無銘性。特別な作家ではなく、無名の職人によってつくられたものである。


3.複数性。民衆の要求に応えるために、数多くつくられたものである。


4.廉価性。誰もが買い求められる程に値段が安いものである。


5.労働性。くり返しの激しい労働によって得られる熟練した技術をともなうものである。


6.地方性。それぞれの地域の暮らしに根ざした独自の色や形など、地方色が豊かである。


7.分業性。数を多くつくるため、複数の人間による共同作業が必要である。


8.伝統性。伝統という先人たちの技や知識の積み重ねによって守られている。


9.他力性。個人の力というより、風土や自然の恵み、そして伝統の力など、目に見えない大きな力によって支えられているものである。

日本民藝協会ホームページ



柳氏の美意識分類


①民芸理論の条件を満たす工芸

柳氏の美意識外

これは9つの民芸の条件に当てはまっているものの、
柳氏の審美眼から外れた工芸をさします。

例えば繊細で細い線を使い、絵付けをすることが作風の磁器などです。

伝統的ではあるが、単純に柳氏の好みではなかった工芸と思っていただければ結構です。


柳氏自身も
民芸の条件を満たしたからと言って、直ちに美しくなるわけではない
という趣旨のことをおっしゃっております。


この範囲の工芸品が存在している時点で、
すでに理論としては矛盾しているようにも思いますが…。




柳氏の美意識内

具体的には民藝館に収蔵されているコレクションの内、
生前の柳氏が直接見定めた工芸品をさします。

『民芸理論・民藝思想』と『柳氏の審美眼』が一致している範囲で、
一般的に認知されている民芸となります。


今回は柳氏本人の美意識を検証する試みですので、

・当時のコレクションでも柳氏が直接見定めていない物
・柳氏がお亡くなりになった後にコレクションに加えられた物

はここに含めておりません。




②民芸理論の条件外にある工芸

柳氏の美意識外

9つの民芸の条件の内、一部もしくは全ての条件を満たしていない工芸品をさします。

例えば機械を使用して成形された器であったり、
手仕事ではあるものの、新技法を用いて制作された工芸品などです。

世の中の無名の工芸品としては、最も数が多いであろうと思われます。



柳氏の美意識内

代表的なものは、
井戸茶碗『喜左衛門』になります。

実は井戸茶碗は朝鮮半島から発見されておらず、実態についても
・白磁の試作品説
・祭器説
・庶民の雑器説
・注文品説
・一人一窯説…etc
意見が割れており、議論は続いています。


実態が何であるかより、
ここでは
『意見が割れている』という状況そのものが重要なのです。



なぜ意見が割れるのか?


それは
『特定の説立証に十分な数が無い』ことと
『井戸茶碗の作風は、他の伝統的な陶磁器との比較検討が困難である』からです。

つまり
意見が割れているという状況は、井戸茶碗が
突然始まり、一瞬で終わった茶碗であることを示しています。



柳氏の井戸茶碗への愛情は大変なもので

大名物中の大名物は「喜左衛門井戸」である。
まさに「井戸」の王と称えられ、これに優る茶碗はない。
名器多しといえども「喜左衛門井戸」こそは天下第一の器物である。

『「喜左衛門井戸」を見る』  ー 柳宗悦

と称えました。
おそらく、一つの茶碗に対してここまでの賛辞を贈ったのは
井戸茶碗『喜左衛門』以外には無いと思われます。


そして、柳氏が井戸茶碗を絶賛したということは、少なくとも

「複数性」
「伝統性」
「地方性」
の条件を満たさないとしても、


美しい物は美しいと証明したことになります。


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③実用的な作家作品

柳氏の美意識外

当時、民芸派以外にも器を作る作家は沢山いらっしゃいました。

代表的なところで言うと
北大路魯山人氏
加藤唐九郎氏
川喜田半泥子氏
・金重陶陽氏
・荒川豊蔵氏
・石黒宗麿氏
…etc…
あたりでしょうか?

多すぎて書ききれません…。
すみませんが、割愛させていただきます。


特に北大路魯山人氏は食器を中心に花器、茶器、風呂場のタイルに至るまで制作し、そのほとんどが使うための器でした。

しかし、美意識をめぐっては柳氏と激しく対立していました。



民芸運動の初期メンバーであり、後に柳氏と決別した
富本憲吉氏もここに加えて良いでしょう。
(特に決別後の作品)

富本氏について、詳しくは下記の
『コラム:民芸運動初期メンバー』で詳しく紹介します。





柳氏の美意識内

代表的な民芸派の作家としては
・濱田庄司氏
・河井寛次郎氏

になるでしょう。

お2人の作品の内、
飾る事を目的とした大作やオブジェはここに含みません。

また、価格設定でいいますとお2人とも他の作家陣と同じように大変高価でしたが、
「見た目とサイズ感が実用的である」ということで、この範囲に含めております。


重厚な造形や大胆な釉薬の使い方など、
作風としては素朴さや力強さが特徴と言えるでしょう。





④観賞用の作家作品

柳氏の美意識外

柳氏が特に批判した
華美な装飾を施した、鑑賞するために作られた高級品はこちらになります。

また、鑑賞用の工芸以外にも絵画や彫刻などなど、
全ての美術工芸ジャンルの内、柳氏の審美眼にかなわなかった芸術作品をさします。

少し後の時代ですが、陶芸では
八木一夫氏をはじめとした走泥社のメンバーもここに入ります。

走泥社は日本陶芸界のオブジェ陶を語る際、重要な役割を果たしています。



柳氏の美意識内

陶芸以外のジャンルでは
・木喰仏
・棟方志功氏

などがこの範囲です。

伝統的なものに着想を得ているものの、
その作品はどこまでも作者個人の個性を反映しており、
独創的な美しさ・個性的な力強さを秘めています。

また、当然ですが日常生活の中で、
一般庶民が日用品として使うものではありません。


陶芸で言いますと
・濱田庄司氏の大作
・河井寛次郎氏のオブジェ

が代表的です。

濱田氏の堂々たる大作は一応器の形をしていますが、
サイズ感と価格の両面から見て

「現実的に庶民が日常生活で使う」という範囲を大きく飛び超えていますので、こちらへ加えました。

無理をすれば使えないこともないのですが、それは
「100号の油絵も使おうと思えば、日よけや部屋の仕切りに使える」
と言っていることと同じです。
想像すると滑稽ですね…笑


また、
「飾る事・鑑賞することも用である」
という主張をしてしまうと

柳氏が特に批判をした
「華美な装飾を施した、鑑賞するために作られた高級品」
でさえ『実用品』であるということを、同時に認めることになります。




コラム:民芸運動初期メンバー


後に民芸派から離脱されますが、知られざる民芸運動の初期メンバーに
富本憲吉氏
青山二郎氏

がいらっしゃいます。

お2人とも初期の民芸運動に多大な貢献をされたのですが、現代ではあまり語られることがありません。

せっかくですので、この機会にご紹介いたします。


『天才 青山二郎の眼力』より


富本氏は
『民藝』という造語を柳氏らと一緒に世に広めた人物なのです。

大正15年『日本民藝美術館設立趣意書』は柳氏、富本氏、濱田氏、河井氏の4名の連名で発表されました。

さらに、
機関紙『民藝』の題字は創刊号~10号あたりまで、富本氏が書いていたそうです。

バーナード・リーチ氏との出会い等から、民芸運動へ参加するようになります。


次第に、柳氏の思想に反発し

だが、しばらくするうちに、
彼らの主張に根本的に私と相いれぬものがあるのを発見したのである。
私は民芸派の主張する、
民芸的でない工芸はすべて抹殺されるべきだというような狭量な解釈は
どうにもがまんがならなかったのだった。

『私の履歴書』 - 富本憲吉

という柳氏への強い言葉も残されていますが、リーチ氏との友情は晩年まで続いたようです。



民芸派からの離脱後になりますが、
東京美術学校(現:東京藝術大学)の教授を務めていらっしゃいました。

さらに『色絵磁器』の人間国宝に認定されます。

文化財保護法の改正後に認定された、
日本で最初の人間国宝のお一人です。
(※荒川豊蔵氏、濱田庄司氏、石黒宗麿氏も同時に認定されます。)

日本の陶磁器文化へ寄与されました。




作り手ではありませんが、
青山氏も同じように民芸派の初期メンバーでした。


実は、
大正15年『日本民藝美術館設立趣意書』の表紙を飾った伊万里湯呑みは、
当時 青山氏が所有していた器です。

この時の蒐集品選択担当者を、記載されている順番にご紹介すると

・富本憲吉氏
・河井寛次郎氏
・濱田庄司氏
・青山二郎氏
・柳宗悦氏

となります。


李朝陶磁器の買い付けを一任され、
青山氏が買い付けた品々で展覧会が開催されました。


その展覧会の案内状で柳氏は

自分には此会は青山の創作として一番面白い。
品物があるから青山が集めたのではない。
青山が集めたから品物が活きてゐるのである。

ー 柳宗悦

青山氏の審美眼を絶賛していました。


柳氏が初期茶人の審美眼を褒め称えることはよくありましたが、
同時代を生きた美術評論家の審美眼を絶賛するということは少なく、
青山氏は柳氏の目から見てもまったく稀有な人物であったといえるでしょう。




河井寛次郎氏命名の『分け柳』(※まるで柳氏のような美意識を持っているという意味)というあだ名まであったそうです。




さいごに


以上、柳氏の美意識について
私なりに本気で分析してみました。




いかがでしょうか?

柳氏は、
意外と広い範囲に『美しさ』を感じていたのではないでしょうか
?




また、最初に書いていますが、この分析を通して
美意識に上下関係や優劣をつける意図はありません。




というか、
ただただ分析しただけで、今回は特に言いたいことは無いんです…。


なんというか、
「分析したくなったから、テンション上がって分析した」
ということに尽きます…。



締まらない結論になってすみませんね(・・;)
それではまた~



2023年7月13日(木) 西川智成

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