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「わ車さ例えれば、バックのギアねえんず。」米農家 長利謙二さん

中泊町の中里地区の特産品はお米で、秋になると町中が黄金色の稲で埋め尽くされています。

今日は下豊岡という場所で米農家を営む長利謙二さんにお話を聞きました。



ほれぼれするような字

生まれ育った場所だべ。下豊岡。生まれてからずーっと58年間。

家の前に川が流れている鳥谷川っていうのがあるの。その沿線に村がずーっと連なっているの。川の両側に道路がある場所。

今はちっちゃい川だけど昔はずっと大きかったの。20年くらい前だったけな。道路を改修したわけ。

元々はずっと広くて田んぼの用水路的な役割を果たしていた。釣りしたり、泳いだりとかもできる、昔は綺麗な川だったな。今は生活用排水になっているけどね。

武田小学校、中学校、金木高校を卒業して働きにでました。

——どこで勤めていましたか。

高校を卒業してから、津軽鉄道に勤めていた。

あの、どんな仕事してあったっていえばさ列車の運行管理だ。

どら、今から4年位前に辞めたんだな。ちょっと家庭の事情でどうしても会社を離れなくてはまいねぐなって(ダメになって)。

それで退職した。

——じゃあ約36年間津軽鉄道で働いていたんですね。

んだな。

退職して1年後だな、会社にストーブ列車の車内販売やってくれませんかという話があって、そういうことやるのも家族とお話しねばまいねべ。家族のことも一段落していたから車内販売をすることになったんだよな。

ストーブ列車に1日3往復乗ってスルメイカとかお酒を売っていたんだ。

去年まではストーブ列車に乗って売っていたんだけども、今は頼まれて運行管理の仕事をしている。

――津軽鉄道で働かれている間は運行管理以外の仕事もされていましたか。

最初は車掌、そのあとは駅の方で出札業務をやって、本社の業務もやりました。いろんなことをしました。

車掌の時は切符を販売さねばいけねかった。昔はほら手書きの切符ってあったの。で、切符に書くときに綺麗な字でなければ、もうまいねべな。先輩に「おめえなんぼ字下手だば」って喋られたの。

先輩は揺れる車内で書いてもまんず字上手だったな。

綺麗でほれぼれするような字だったわけ。よし、じゃあ上手にならねばまいんべなと思ったのがきっかけで書道をはじめました。

字上手だねって言われたら嬉しいし、それに書道の墨のにおいは落ち着くし。

ボールペンの字もすごいんだよ。昔のいろんな書類見だばって全部万年筆だよ。むじゃけるんた(破れるようで)薄い紙に綺麗に万年筆で書いているわけ。

万年筆の字の良さって太さと細さを書き分けられるところで、それを使いこなせるようになりたいなと思って。

——久しぶりに書道をやりたくなりました。

うん、書道はいいよ。なんも損することないはんでさ。必要な道具も少ないし、身につくものだし。

字が綺麗だって褒められたり、書いてほしいって言われたときは嬉しいし。誰かに必要とされるって言うのはいいことだよな。

自慢でねえけどもよ、今五所川原の立佞武多の館にも飾られている「かぐや」の漢題字と雲漢も書いたんだ。部屋に入らないような大きな用紙に折って一字ずつ書いてまた乾燥させてから書かねばまね。

だから全体像を最初に頭に入れといてから書かなくてはいけない。難しいけどプロだはんで仕上げました。

それでも、私はまだまだだね。書道って言うのは本当に奥が深い。

大変だと思わないでやってきたな

——長利さんは農家もされていると聞いたのですが、津軽鉄道に勤めながらどのように働いてきましたか。

米農家はさ高校卒業してから手伝って、津軽鉄道に勤めながら農家やってずっときた。

休みとか朝とかに農作業していた。そして、お嫁さんを貰ってからは二人でずっとやってきた。

——働きながら米農家ってすごい大変ですよね。

でも好きだったんだよなあ。大変だと思わないでやっていたな。

だって、そうしなくてはいけないんだもん。毎年そういった感じでやってきたな。

10月になると収穫終わってやっと落ち着くっていう感じだべな。

冬になれば自分の時間だから。夏の分にやれなかったことを冬にやれるって言うこともあるし。そうすれば冬もあっという間だべな。

3月になればもう田んぼの準備だでば。田植えは5月。でも田植え前が忙しいんだよ。

——田植えまでにはどのような作業がありますか。

田植えには苗植えるべ。

でもあそこまで成長させるのが大変で、わ小学校さ田植えの体験させているばって、苗を育てるのは相当苦労があるというのを田植えの前に説明している。

まず秋収穫した米あるべ、これを眠らせておいている。

へば水付けて目を覚まして種から芽が出るようにするわけだよ。10日くらい漬けたら、芽が出るようにさねばまねわけで、そうしたら32度のお湯に1日24時間漬けるわけよ。

そうせば芽が出そうになって鳩胸のような感じにポコッと出てくるんですよ。それを育苗箱さ機械で土を入れて種まき作業がある。うちはさ育苗箱を4000枚くらい作る。

前さ行くギアしかねえんだべな

——「あおもり旨い米グランプリ」まっしぐら部門で準グランプリを受賞されたということも以前町の広報でみました。

受賞したのはさ会社を辞めてから腕試しで、自分の米がどのレベルか試してみたの。そうしたら運よく準グランプリだったの。

それ以降毎年出しているんだけど全然ひっかからない。

一次審査は機械で測って、ある基準よりオーバーしていれば全部終わってしまう。

二次審査に行けるのが20名かな。そこの二次審査に行くと食味計で成分を検査して10人くらいに減らされて。

3次審査にいけばお米ソムリエによる試食して上位2名を決める。

――2名だけなんですね

そう。

青天の霹靂へきれきとつがるロマンとまっしぐらの三種類で上位2位を決める。

わはまっしぐらを作って毎年出品している。

――米農家としてのやりがいを感じるときはいつですか。

やっぱり秋収穫するときだな。収穫して米が袋さ入るときだな。ここから売っていくんだなと思う。

袋さ入るまでは何が起こるか分からないべ。

おっけるって分かるべ。

——わからないです。

これは倒れる意味だな。

わ変なこと喋っちゃと思ってるべ(私が変なことを話していると思っているでしょ)。

——そんなことないです、あとの話はわかりました。

収穫できるようになっても、次の日台風来ておっけるかも分からないべな。そうせばちゃんと収穫できねべ。

収穫してから乾燥機さ入れて乾燥させるわけよ。米の皮を剥がねばまいねわけよ、米の中に虫入っていたらまた減収になるし。

だから袋さ入るまで分からないんだな。

それでも値段高ければ良いばって、今年みたくやしめられでまったら(いじめられたら)。米の値段下げられたべ、もう最近の農家の話を聞いても値段の下落の話しかないから。

だはんで今年はなんぼ袋さ入っても対価がねえんだべ。

だから今年はやりがい感じねくなったよな。なんぼ良いもの作っても価格が低いどこで。生活もかがっているしな。

今年はみんな下向いていると思います。

でももう来年のことを考えねばまいしな。

こうやって話しても価格上がるわけでは無いし。来年どういう風にして米を売るようにするか考えねば。

わ車さ例えれば、バックのギアねえんず。前さ行くギアしかねえんだべな。ギアかけてもまいばってな。

そういう気持ちでいがねばまいね。もう来年のことを考えている。

——中泊町は農家が多いので長利さんと同じ状況の方がたくさんいると思います。

中泊町って第一次産業を基本にした農家の町だべ。それを基本にいろんな商店とかが活気づくよな。わも買い物することあるばって、景気良い時だばたんげ買い物に来るんだけども。

だからやっぱり農家が元気でなくては町が元気にならないと思う。

もう小さい農家も居なくなってしまっているよ。もう五町歩くらいだと生活成り立たねえな、だからもうみんな田んぼを手放してしまうのよ。

おっきい農家は機械も補助してもらったり様々な形でできるわけだ。でもわみたいに小さい農家はそうはいかないよな。

だはんでどうやったら小さい農家も暮らせるようになるか県外での取り組みとかを農協や役場が教えてければいいのにな。やっぱり農家個人だと調べられる情報が少ないはんで。

——これから中泊町がどのように発展していったら良いと思いますか。

各地から視察に来るような、小さい米農家でも食べていけるような仕組み作りが出来ればいいと思う。第一産業が資本の場所だからそういう手本となるような場所を作っていけたらなと思う。

やっぱり農家が活気づかなくては町が活気づかないからな。

他の人さも示せるような場所にしていけたら良いと思います。

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