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世界の中の日本①トルコで日本が尊敬されている3つの理由✨

いつも記事を読んで下さり、本当にありがとうございます!

今回からちょっと新たな試みとして、世界の国と日本の関係について、国ごとにご紹介していく企画を出してみたいと思います!

まずはじめにご紹介するのが、トルコです!

トルコは中東にある一国で、日本から飛行機で13時間ほどの場所にあるのですが、実はものすごく親日国で、日本を尊敬しているという噂があります。

この噂は本当なのでしょうか?
迫っていきたいと思います⭐️


トルコは大の親日国。

結論から言うと、トルコは大の親日国として知られており、日本人は大変尊敬されているそうです。

日本からトルコまでの距離は8527km。
羽田空港からイスタンブール空港まではおよそ13時間で到着します。


そして、トルコが新日国であり、かつ日本を尊敬している3つの理由には、それぞれ歴史的な事件が関わっています。

トルコで日本が尊敬されている理由①エルトゥールル号遭難事件

エルトゥールル号(引用:Wikipedia)

トルコが親日国となった歴史的理由の一つが、エルトゥールル号遭難事件。

1890年、和歌山県沖で、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が遭難し、600名あまりの乗組員のうち500名以上が死亡・行方不明したという大事件です。

少し時代背景を含めつつ紹介しましょう。

当時、トルコのあった地域にはオスマン帝国とよばれる帝国がありました。

日本とオスマン帝国の間では交流があり、アブデュルハミト2世が明治天皇に勲章を奉呈するために、日本へ派遣した船がエルトゥールル号でした。

1890年9月16日の台風の夜21時頃、和歌山県串本沖で、エルトゥールル号が遭難。

東京で明治天皇に拝謁して、オスマン帝国の最高勲章を奉呈した後の帰路で見舞われた悲劇でした。

水蒸気爆発を起こし、22時半ごろには船が沈没。

600名あまりの乗組員のうち500名以上が死亡・行方不明という大惨事となり、司令官オスマン・パシャも海へ投げ出されてしまいました。

この時、事故現場となった和歌山県の串本・紀伊半島の人々が、危険を冒しながらも、遭難者の救助に全力で当たり、約69名が救出されたそうです。

救出されたトルコ人たちが運ばれた集落(樫野地区)は60戸ほどの小さな集落で、地元の人々は決して裕福な暮らしではありませんでした。

しかし、住民たちは、惜しげもなく食料や衣類を提供し、お正月にしか食べないような白米も炊き出し、時を知らせる役割の鶏さえもつぶして振舞ったそうです。

 明治天皇も知らせを受けてすぐに、政府としての救援を命じ、トルコ人の生存者たちは手厚い看護を受けました。
翌年1月2日、日本海軍の軍艦でイスタンブールに帰還。

さらに、この事件が報道されると、日本全国でトルコへの義援金を募る声が上がりました。

現在の貨幣価値で1億円ともいわれる金額が集まり、トルコへ届けられたそうです。

この時の日本人の温かな心配りがトルコ人に伝わり、以後、トルコで親日感情が大きく高まったといいます。

トルコ人の皆さんは大変義理堅く、この時に日本人から受けた恩義を忘れていないそうです。


トルコで日本が尊敬されている理由②日露戦争の勝利

連合艦隊旗艦三笠で指揮をとる東郷平八郎(引用:W ikipedia

トルコで日本人が尊敬される歴史的理由の二つ目に、日露戦争が挙げられます。

1894年にはじまった日露戦争で、日本はロシアに勝利しました。

有名な話ですが、連合艦隊総司令官の東郷平八郎が、日本海海戦において、史上最強と言われていたロシアのバルチック艦隊を完全に撃滅したのです。

実は、トルコの前身であるオスマン帝国でも、歴史的にロシア帝国から何度も侵略を受け、困っていました。

ロシアは凍らない港(不凍港)を求めて、南の国を狙っていたのです。

長い間大国ロシアの脅威にさらされていたトルコ人たちにとって、アジアの島国・日本がロシアに勝利したという知らせは、とても勇気の出るビッグニュースでした!!

当時のトルコ人たちは、日本の勝利に感銘を受け、東郷平八郎や乃木希典を尊敬したと言います。

東郷平八郎にちなんだ「トーゴービール」というビールが生まれたり、「トーゴー」「ノギ」という名前の子どもが増えたそうです!

エルトゥールル号遭難事件。
そして、日露戦争の勝利により、トルコ人たちはさらに親日感情を強めました。

トルコで日本が尊敬されている理由③トルコ建国の父、ムスタファ・ケマル・アタテュルクが日本を崇拝

アタテュルク像(引用:Wikipedia)

トルコで日本人が尊敬されている3つ目の理由として、「トルコ建国の父」であるムスタファ・ケマル・アタテュルクの存在があります。(アタテュルクとは、「父なるトルコ人」の意味です。)

現在のトルコ共和国が近代国家として誕生したのは、第一次大戦後の1923年。

第一次世界大戦で敗戦したオスマン帝国は、帝政が廃止され、600年以上の歴史の幕を閉じます。

トルコにあたる土地は、連合国により分割占領されていましたが、一方的な占領政策に国民が抗議。

ムスタファ・ケマルは、その国民が抗議する中で台頭。

新政権を樹立(トルコ革命)し、現在のトルコ共和国の初代大統領となりました。

ムスタファ・ケマルは、新憲法の採択、世俗主義の断行、トルコ語の文字改革、法整備など、抜本的な構造改革を行いましたが、国家整備のお手本としたのが、日本の明治維新だったそうです。

ムスタファ・ケマルの執務室には明治天皇の肖像まで置いてあったと言いますから、本当に日本を尊敬していたのだと思います。

トルコの国民がトルコ建国の父として慕うムスタファ・ケマルが日本を尊敬していたとなると、国民全体が親日国家になるのも分かりますよね。

トルコから日本へ―イラン・イラク戦争での日本人脱出

今まで、トルコが新日国となった理由を3つ紹介しました。

トルコとの絆を感じるエピソードをご紹介しましょう。

1985年。イラン・イラク戦争が起こった時。

時の大統領サダム・フセインが「イラン上空を飛ぶ飛行機のすべてを48時間後に撃ち落す!」という宣言をした時がありました。

イラン国内に滞在中のすべての外国人が帰国できなくなり、多くの国が大急ぎで救援機を出して、自国民の救出にあたっていました。

その中で、なんと日本人だけがテヘラン空港に取り残されてしまいました。

当時の日本政府が憲法違反を恐れて、自衛隊機での救助が出来なかったからだそうです。

タイムリミットが近づく中、216人の日本人が取り残されたまま。
その時、1機の救援機がテヘラン空港に着陸したのです。

それはなんと、トルコ航空でした。

トルコもイラク内に国民が残っていたのに、なんと日本人の救出を優先してくれたというのです。

トルコ航空がなぜ、日本人を救出してくれたのでしょう。

当時の駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は、「私たちはエルトゥールル号の借りを返しただけです」と答えたそうです。

なんと、95年前の借りを返してくださったのですね!

※その後、トルコで地震があった際には、日本から医療チームが派遣されました。

東日本大震災の時には、トルコが駆け付け、最長期間の3週間も救助活動をしてくれていたといいます。

助け合う関係性の続いているトルコ。

とても義理堅い方々なのですね。


<まとめ>


いかがでしたか?
今回の学びポイントをまとめておきます。

トルコは大の新日国であり、日本人は尊敬されています。

その背景には、

エルトゥールル号を必死で助けた和歌山県の人々がいた事。

・日露戦争での大勝利(日本海海戦)がトルコなどの中東の人々を驚かせ、喜ばせた事。

・建国の父、ムスタファ・ケマル・アタテュルクが日本を尊崇していたこと。

がありました。また、

・自分の身を顧みず、相手のために何かをしてあげようという日本人の姿。

・アジア代表として強国と戦った潔さ。

そのような日本人の精神が伝わり、恩義を感じて親しみをもってくれるのだと思います。


先人たちが尊すぎて、今を生きる私たちの未熟さは申し訳ないのですが。

自分の身を顧みず、常識を越えて動くのは難しいものですね!

トルコと日本の、何かあった時にお互い助け合う絆はとても素敵だと思います。

私もここぞという時に、人のためにパッと動ける人間を目指して、頑張っていきたいものです。

最後までお読み下さり、ありがとうございました☆

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