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【静岡県の皇室伝承】5.「天子ヶ岳」の「瓔珞ツツジ」起源譚:炭焼きに降嫁した皇女、亡き尹良親王を慕って田貫湖に身を投げた娘(富士宮市)

はじめに

 静岡県富士宮市と山梨県南巨摩こま郡南部町の県境に位置する天子ヶ岳てんしがたけ。その山頂に咲くという花瓔珞ようらくツツジ」の伝説をいくつか紹介しよう。

 天子ヶ岳という地名について、関東地方環境事務所は「少し離れたところから見ると、山の形が天守閣に似ている」ことに由来するらしいと説明しているが、やはり「天子(=天皇)」という字面が連想させるのであろうか、皇室が関わる伝説が形成されている。

1.富士山の裾野の「炭焼きの松五郎」に降嫁した行き遅れの皇女

 昔々、富士山の裾野に、明見あすみ村の生まれの「炭焼きの松五郎」という人が住んでいた。
 彼が炭を焼く時に出る煙は、風のない日には富士山よりも高く立ち昇り、遥か西方の京の都からもよく見えた。都の人々はいつもこの煙を目にしては不思議がった。帝におかせられても不思議に思し召して、ある時、陰陽師をして占わせしめ給うた。
 さて、陰陽師が占いをして奏上するには、あれは皇女の婿になられる方が立てている煙である、と。この天子には、なかなかご降嫁先の見つからない皇女がお一人いらっしゃった。そこで皇女は、はるばるその煙を目当てに、東下りの旅にお発ちになった。

 裾野までの道中は何事もなかったけれども、皇女のご一行が松五郎の家を訪ねたところ、あいにく彼は生まれ故郷である明見村にたまたま何かの用事で行っていた。皇女に対して、留守居の者はこうお答え申し上げた。
「あすみにござらっしゃる」
 留守居の者は「明見村に行って留守でございます」という意味でそう申し上げたのだが、皇女は「明日また見に来い」というお返事だと思って、翌日再び松五郎の家をお訪ねになった。
 留守居の者はやはり同じ対応だったので、お付きの者は皇女に二度までも無駄足を運ばせるとはなんという無礼者であろうかとたいそう怒ったけれども、当の皇女は、
「いやいやその見識が頼もしい」とかえってお喜びになった。

 皇女は三日目にようやく松五郎に会うことができた。ご挨拶に、と小判を二枚お贈りになった。松五郎は小判の価値がわからなかったので、皇女をご案内申し上げる時、路端の長者ヶ池――今日の田貫湖――に浮いていた二羽の鶴めがけてそれを投げつけてしまった。この鷹揚おうようぶりがまた皇女のお気に召して、二人は間もなく契りを結ばれた。
 なお、その鶴たちは投げつけられた小判を背負ったまま富士の人穴の北にある大沼へと逃げて行った。今でも大沼には小判型の草が一面に生えている。

二羽の鶴(イメージ)

 夫婦になった二人は何不自由なく暮らしたが、何十年かして、皇女は重い病の床に就いてしまわれた。松五郎が懸命にお世話し奉るもその甲斐なく、皇女は日に日にお弱りになる一方であった。
 ある日、皇女は枕辺に松五郎をお呼びになって、もしも自分が死んだなら、どうかこの瓔珞の冠を都が見える山へ埋めてくれるように、とお頼みになって、それから七日後、眠るように薨去あらせられた。
 悲しみに暮れた松五郎は、皇女のご遺言の通りにその冠を付近で最も高い京都に面している山――現在の「天子ヶ岳」――に埋めた。

 翌年の春、不思議なことに瓔珞の冠を埋めた場所から青々とした芽が二本出て、年々育って花を付けるようになった。いつしか里の人々はこのツツジを「瓔珞ツツジ」と呼ぶようになった。

品種としての「ヨウラクツツジ」(イメージ)

 もしもこの「瓔珞ツツジ」の枝を手折って来ると、翌日から大嵐が来る。旅人などがこの話を知らないで、折ってくるようなことがあると、村人たちはわざわざ山のお社に返して来させるほどだという。

2.戦死した南朝の皇族「尹良ゆきよし親王」を慕って田貫たぬき湖に身を投げた娘「延菊のべぎく

 南北朝時代の応永四(一三九七)年、田貫次郎という豪族が天子ヶ岳の麓に住んでおり、彼にはたいそう美しい延菊のべぎくという娘がいた。
 宗良親王の御子であらせられる尹良ゆきよし親王」が田貫次郎の居館にご滞在になった時、彼女は父の命令を受けて親王のお側に奉仕した。花のような親王と世にも稀なる美女であった延菊の二人は、たちまち深く愛し合うようになった。しかし、尹良親王は南朝再興のために間もなく館を立ち去られた。

 やがて尹良親王が信州大河原において自刃なさったという凶報を聞くや、延菊は悲嘆に暮れ、食事はろくに手に付かず、夜も眠れないありさまになってしまった。
 そして延菊はとある晩、家族の目を盗んで尹良親王の形見である着物に袖を通し、耳に瓔珞の飾りを付けて、お屋敷の前の長者ヶ池にとうとうその身を投げてしまった。

秋の田貫湖と富士山

 哀れに思った村人たちは、天子ヶ岳の頂上に祀った親王の祠の横に、彼女の遺骸を葬った。
 その翌春、彼女を葬った塚から二本の新芽が出てきたので、これを「瓔珞ツツジ」と呼ぶようになった。
 これを里に持ち帰ろうとしようものなら、たちまち山は暴風に襲われて、下山できなくなるということである。

3.その他の伝説

 伝説とは、人から人へと伝えられていくうちに変容していくものである。この「瓔珞ツツジ」の伝承も例外ではなく、細部が異なる話が他にいくつか伝わっている。

 最初に取り上げた伝説の場合、炭焼きは「松五郎」という名前だったが、別の語り手にかかれば「藤次郎」という名になる。炭焼きに降嫁した皇女に関しても、「操の姫」といった通称が付けられていたり、貴人の娘だとしか語られておらず身分が皇女なのかは定かでなかったり、さらには二枚の小判を投げつけられた鶴も鴨になっていたりする。それらの別バージョンすべてを挙げはしないが、特徴的なものを少しだけ紹介しよう。

昔々西の都にさるやんごとなき二人の姫君がありし。妹姫は多くの姫の内より選まれて時の帝の妃に内定せしかど、不幸にも姉姫は忌しき病に犯されて容色を失ひぬ。かの妹姫の世に羨望を集むるに反して、此の姉姫は亦悲嘆いかばかりにや世は無常と独り夜を泣き明しける。或夜泣き労れて仮睡せる姫の枕頭に一人の女神現れて其の不運をさとし、東の方白糸の瀧のほとりに幸福あるをつげて消へうせける。かくて姫は窃かに都を立出でて天子岳の麓白糸に賤家に炭焼を営む五郎蔵を訪れて具に事情を語り、終に彼と生をこゝに共とせり。時々都の空を偲ばんと天子岳に攀ぢ登り遥か西の空をながめて故郷をしのび、常には農耕に楽みける。

『靜岡縣史蹟名勝天然紀念物調査報吿 第九集』(静岡県図書館協会、昭和八年)一四〇頁。

 続いては、商工官僚の田島勝太郎が著した『山行記』(昭文堂、大正十五年)である。この本には「昔、或る皇女が、皇子を慕ふて此処まで来て遂に逝かれたので、里人これを悲しみこの場所に葬つて、その瓔珞の冠を祠前に埋めた」とある。単なる著者の記憶違いの産物かもしれないが、皇族同士の悲恋物語があると語っているのだ。

 また、「天子ヶ嶽」という地名の由来については、中里介山なかざとかいざんの小説『大菩薩峠』の中に、こんな文章がある。

(前略)帝にお附の女房達が、散々ちりぢりになつて、このあたりの村々で亡くなつた、それを神に祭つて「きさきの宮」と崇めてある事、帝が崩御遊ばした時神となつて飛ばせ給ふ処の山を「天子ヶ嶽」と呼び奉ること、そんなこんな伝説が幾つも存在して居る此の山の奥(後略)

中里介山『大菩薩峠』(玉流堂、大正年間)

 これはあくまで小説の記述ではあるが、『やちまた』で知られる小説家の足立巻一はこう述べている。

「中里介山は近代屈指の旅行家で、『大菩薩峠』に書きこまれた地誌は正確で深く、すでに失われた民俗資料をも記録しているので、柳田邦男が推奨していたところである」(『日本美術工芸』第三九〇号、一九七一年三月)。

 事実、江戸幕府勘定方の村上某が聞き取った甲斐の故事伝説などを記した『甲州噺』を収録した上伊那郡教育会『蕗原拾葉 第二十輯』(鮎沢印刷所、昭和十五年)の中に「帝崩御の時神と化して飛せ給ふ山をは天子ケ嶽と申」とある。『大菩薩峠』の「天子ヶ嶽」の伝説は、少なくとも中里の創作ではないようだ。

おわりに

 今回の記事では、天子ヶ岳の山頂に咲く「瓔珞ツツジ」の由来を物語る伝説を紹介したが、この花は品種としての「ヨウラクツツジ」とはまったくの別物らしい。

 高山植物の研究者として知られる武田久吉の『民俗と植物』(山岡書店、昭和二十三年)に、次のようにある。「やつとの思ひでそれを入手して見ると、本州中部以南から四国や九州に分布するベニドウダンであることが判明した」

ベニドウダン(イメージ)

 この伝説の「瓔珞ツツジ」は、「かなり大きな木」(富士宮市当局の談)として今なお天子ヶ岳の山頂の広場中央にあるが、富士宮市観光協会によると「真っ白」な花を咲かせるという。そうなると「ベニドウダン」という説も怪しくなってくるが、本当の品種はいったい何なのだろうか。

 この記事を読んで「実際に行ってみよう」などと考えてくれる人がいるとは思っていないが、一応書いておくと、毎年五月中旬ごろが開花期だという話である。


【参考文献】
長坂宗芳、池谷青水『裾野の伝説狸のお寺』(岳陽文壇社、大正十三年)
鈴木覚馬『岳南史 第二巻』(岳南史刊行会、昭和六年)
歌川小雨『郷土伝説童話集』(谷島屋書店、昭和六年)
『靜岡県史蹟名勝天然紀念物調査報吿 第九集』(静岡県図書館協会、昭和八年)
小山有言『駿河の伝説』(安川書店、昭和十八年)
武田久吉『民俗と植物』(山岡書店、昭和二十三年昭和三十八年)
遠藤秀男『人穴と家康 : 富士西麓の伝説』(井出繁雄、昭和三十八年)
富士市史編纂委員会『鷹岡町史』(富士市、昭和五十九年)

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