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12月22日(日記)精神の闇屋

雨のち晴れ
寒い

つらつらと、吉本隆明全集6巻を読む。 

その中に、まだ、学生だった頃の吉本隆明さんが、太宰治の「春の枯れ葉」という戯曲を上演するために、許可をもらいに直接、太宰治に会いに行ったという話が出てくる。
そのエピソードだけでも、「えっ?すごい、太宰に会えたんだ。うらやましい」と思ったのだが、そのときの交わされたやりとりも、とても興味深い。

「学校はおもしろいかね。」
「ちっともおもしろくありません。」
「そうだろう、文学だっておもしろくねえからな。だいいち、誰も苦しんじゃいねじゃねえか。そんなことは作品を、二、三行よめばわかるんだ。おれが君達だったら闇屋をやるな。ほかに打ち込んでやることはないものな。」
 

「現代学生論 ー精神の闇屋の特権をー」 吉本隆明全集6巻 晶文社

これを、吉本隆明さんは、精神の闇屋(終戦直後にあった闇市)と受け取った。
それはつまり、価値が固定化しつつある社会において、形にこだわらずに、精神(思想)を売りさばけ。という意味であろう。

それは、今で言うSNSかもしれない。大手メディアや、出版社などの正規の市場でなく、こっそりと、自分が考えている「真実」、や「思想」、「怒り」を表明する。

公になると、炎上するかもしれない、ひょっとしたら違法かもしれない。まったく無視されるかもしれない。それでも表現し続け、多くの読者の賛同を得られたら、官僚主義に陥りつつあるメインストリーム、社会の閉塞感を打破する力を持ち得るかもしれない。
その意義と可能性を、まだ若かった吉本さんに、太宰は伝えたかった気がする。

果たして、SNSで「精神の闇屋」は可能か。インフルエンサーは現代の闇屋なのか、その果てに、デジタル民主主義は可能なのか、そして、ゆくゆくは新しい思想による、市民による世界革命は起こりえるのか、なんてことを、つい考えてしまう。

固まりゆく社会に抵抗し続けた吉本隆明さんと、自らの転向に悩み苦しみ、無頼に落ちていった太宰治、二人が見た世界の物差しは、それぞれ違っていたが、望ましい社会は同じに見えていたと思う。

二人の会談は、太宰治の言葉で終わる、「男の本質は、マザーシップだよ。優しさだよ。きみ、その無精ヒゲを剃れよ。」

冬至にて あっと過ぎる 師走かな

 

 







 

 


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