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【旅の記憶】いきなりのオーバーブッキング(Sydney 1)

「ご搭乗の便にオーバーブッキングが出ております。
 こちらで一泊分のホテルをご用意いたしますので
 明日の便に振り替えていただくことは可能でしょうか。」

私はその日、知り合いの誰一人いないオーストラリアへ3ヵ月の一人旅に出る高揚と不安に包まれて関空にいた。
私は旅慣れているとはまったく言えない身で(それは今も同じだ)、
カウンターの女性のきびきびした言葉の意味するところが、まずもってよくわからなかった。

オーバーブッキングなるものが存在することは知っていたが、
それが私の身に降りかかるとは想像したことがなかったし、
私の認識では、オーバーブッキングというのは、例えば
「エコノミーからビジネスクラスに変わってもらえないか」といような
座席クラスの変更をお願いされるものだった。
そして、私はその時、その提案が私への個人的なお願いのように聞こえた。
私は今よりもっと自己主張の弱い、相手に合わせがちなタイプだったので
聞き入れなければいけない依頼のように感じて、ちょっとひるんだ。

私はカウンターの前で、しばし沈黙した。
なるべく安く済ませたい貧乏旅なので「タダで一泊」という事実がまずキラキラと頭をよぎっていった。
いや、しかしここ関空近郊で一泊したら、当然オーストラリアに着くのは一日遅くなる。
旅の初めはオーストラリアに慣れるため、シドニー近郊の町でしばらく過ごす手筈になっていた。
お世話になる家の方は、私が明日到着すると思って待っている。
しかもその家までは、空港から送迎車を予約していただいている。
(列車やバスを乗り継いでももちろん行けるが、初心者に最初からは難しいだろうと配慮してもらった。
そういった、空港から指定場所まで送ってくれるサービスがあったのだ。
出費にはなるが、出だしでつまずくよりは安心な方を選んだのだった)
そうした準備をすべて台無しにするわけにはいかない。
そこまで思案して、私はおずおずとそれらについて説明した。

カウンターの女性は私の話の出だしを聞いただけで、あっさり引き下がった。
ああ、私だけに頼んでいることではなかったのだ。
頼めそうな?全員に声をかけているのだ。
「残念ながら無理です」と言うだけでよかったのかもしれない。
主張すべきことはきちんと主張していかないと。
まだ日本を出ていない内から、私はそのことをひしひしと実感した。
一人で旅をするということは、そういうことの連続なのだろう。

私は予定通りの便に乗り、一路シドニーへ向かった。
世界地図を思い浮かべるとわかるように、南下するだけなのであまり時差はなく、時差ボケの心配はほぼなかった。
ただし季節は逆だ。私は寒い2月の日本から、真夏のオーストラリアへ向かおうとしていた。
どれぐらいの気温なのだろうか。荷物をなるべく少なくするため、最小限の服しか持ってこなかったが、それで3ヵ月やっていけるのか。
こんなへなちょこ英語でやっていけるのか。
危険な目に合わないか。

夜が更けてくるにつれ、様々なことが気になって、
私はまったく眠れずに一晩を過ごした。
そのおかげで、空に輝く月と、美しい日の出をずっと眺めることはできたけれど。

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